2018年4月15日日曜日
どのように愛するのかということは人間においては学習なのですよね。
東洋経済オンライン編集部のメールマガジン(4月10日配信分)にあった「暴言・マジギレ上等、高学歴モンスターの正体」を読んでいて、笑いましたよ。30年ぐらい前に読んだ斉藤学氏の「アルコホリクルの物語」やその後に読んだ関連書物に同様なことが記述されていたと感じました。
乳幼児期からの人格形成で問題があったということですよね。どうも安心感が感じられるような丸ごとの愛というのがなかったのかもね。教育熱心というのと「愛情」とは別物なのですよね。親の自己満足のためというのが結構みられるというのです。ほかの子との比較しかできない親とかもですよ。
理屈抜きの愛を求めてが某元国会議員が40歳ぐらいになっているのに突然泣き出して「ママごめんなさい・・・」という幼児帰りは甘えることがで駅なかった裏返しではと感じました。不登校や家庭内暴力等でも同様のことがあるというのです。
どのように愛するのかということは人間においては学習なのですよね。「愛」と「所有欲」とは別物ですよね。ストーカーは愛ではなく所有欲と思うのです。
今の社会では子育てについての学びの場がなくなってきている感じがします。大家族がなくなり、近所づきあいもなくなり、孤立状態になってきつつあるのですよね。また、守銭奴の横行による余裕のなさが追い打ちをかけているとも思うのです。低賃金こき使い等ね。
ある程度以上の経済力のあるそうでは「学力をつけさせる=愛」という式が成立しているかのうせいがたかいかぞくがふえている、教育熱心の意味の取り違えと所有物としての子であって、人格のある子供を育てているという自覚の欠如等等ですよね。
また、少年A(神戸のあの少年)は医療少年院をおえましたが、反省文ばかりだったのか遺族の感情を逆なですることをしていますよね。人格の作り直しができなかったようです。
エリートの家庭内暴力も結構あると以前生きいたことがあります。
この某元国会銀議員の旦那が被害に遭わないのは格が上だからですよ。この元国会議員は厚生労働省、旦那は経済産業省。昔、「一に大蔵、二に通産、三四がなくて五に農林」という序列が生きているのかな。
、ともかく、斉藤学氏の書籍を読んでみましょうね。
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