2026年2月21日土曜日
闘病記(視床出血) 左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して) No704
昨日、投票でしたね。昨日の大手の予想が外れてほしいが外れた。 太平洋側での一昨日からの雪でようやく降水でしたね。 わんことの散歩、朝は少し早く、夕刻は少し遅くしています。これで、屋内でのお漏らしは一応なくなりました。 忘れていました、発症14年の記念日を。2月9日ね。 病気とかの受容ね。本当?に受容できているなんているのかな。 感覚の戻りですね。瞼がわかりやすいので瞼ばかりですみません。 発症14年目なので思い出を少し。発症時に入院した病院で・・。
2月9日(月)、昨日、投票でしたね。昨日の大手の予想が外れてほしいが外れた。中道は急すぎたのもよくなかった。もっとも急なのは解散総選挙でしたが。趣旨の周知の時間がなかったということか。あの政権交代させた民主党はこれで壊滅なのかな。政策で労働については保育園の壁、小学校の壁等をなくすことが必要なのに将来も貧困を103万円の壁でごまかされた国民かな。アメリカでも賃上げのほうなのにね。「身を切る」や「減税・・」は低賃金への道ですよ。増税とかなしに賃上げですよ。縮み思考から脱却できていない国民が多いのかな。ひがみ根性が身についている日本かも。今の政権では「貧困強制政治」になっていくかもね。
2月10日(火)、太平洋側での一昨日からの雪でようやく降水でしたね。ところで、一昨日の夕刻と昨日の朝のわんことの散歩ですね。昨日朝は雪が積もっていました。この2回の散歩中にワンコとの遭遇は4匹でした。犬種は柴犬のみでした。柴は成長上のある時期からは屋外でしか排泄しないのです。そう、台風でもね。閉じ込めていたら我慢しきれなくなると仕方なく室内でも出しますが・・。雪のほかにさらに問題が・・。そう、視床出血による麻痺があるのです。麻痺して動かしにくいので雪道等を歩くことにね。一部、滑りやすそうなところは迂回しました。一昨日の投票所へは坂道があるので一時は「棄権」もありましたが、晴れ間が出たり、行きは送ってもらったりで投票できました。坂道で上りと下りでは下りのほうが危険なことが多いですね。確率ですがね。もう一つが寒冷による筋肉の硬直ですね。動かしにくいのがさらに動かしにくくね。そうそう、相変わらず「手袋なし」で出ています。排泄物回収時に手袋が邪魔になったのでね。おかげで麻痺側親指で皮膚がパックリと切れて100均のカットバンを使っています、「キスミー」のハンドクリームも使っているのですが使い方が悪いのかも。私的にはほかのクリームより愛用しています。血流はそれなりにあるはずです。
2月11日(水)、わんことの散歩、朝は少し早く、夕刻は少し遅くしています。これで、屋内でのお漏らしは一応なくなりました。ただ、外に出たとき、結構すぐにおしっこを、割と早く大便してくれています。ということは・・。夏になると日中の間隔が開くのですけどなんとかなるでしょう。次の冬が心配にね。この件については「しつけ」ですね。マットの上で尿を出せるようにということです。ついてに便もね。でも、無理かもね。訪問リハビリで「片足立ち」の話が出ました。そう、長いことしていません。その昼にちょっとしてきたのですが、はい、「数秒」というか1秒も持たないかも。バランス感覚の問題ですね。手すりを持ってですともう少し長くできますが感覚不良により筋力調節ができないのです。「しゃがむ」ですが、コロナの頃にできなくなっていきつつあったのでした。これに気がついて、自宅玄関先の階段の上り下りの繰り返しで短時間ならしゃがめるようになりました。なので、練習方法を考えてみて「片足立ち」の時間が延びればよいなと思います。
2月12日(木)、忘れていました、発症14年の記念日を。2月9日ね。一番は後遺症が本当に日常になってきていることかも。選挙もあったしね。脳卒中感覚麻痺での後遺症は「感覚がない」ということが主因ですよ。感覚がないから筋肉の様子がわからない。この中には筋力があるのに感覚がないから筋力がないと思い込んでしまうというのもね。筋力増強に比べて筋力維持は楽ですよ。また、筋力は感覚があると「発揮できた」と判るのですが感覚がないことでまともに使えないから筋力の状況が判らないのです。それで、下手にリハビリをおこなうから運動神経系興奮ニューロンが興奮したままになって痙縮にね。このように考えていたので痙縮になっていないです。が、感覚がまともに回復していないので動作しにくいです。感覚が回復するまでは「楽な外力による関節可動域確保動作」が継続してできるようにしながら地道にリハビリをおこないます。後50年ぐらいしたら感覚が回復するかも。老齢年金受給中です。感覚がないということを甘くみないようにしようね。自民党は過去の成功体験?の繰り返しですよ。小泉さんの「増産」はあるときからの米あまりの記憶を呼び起こしたようですが、今の生産調整は大規模農家(今後の農業を担う)切り捨ての過去の農政への逆戻りで日本の農業を自滅に導いたことに気がついていないのですよ。太平洋戦争でも日本軍(参謀本部)は日露戦争の勝利の方程式をまねたということでした。敵軍は変化し、対応策を考えていたのでした。時代の変化に無頓着なのです。
2月13日(金)、病気とかの受容ね。本当?に受容できているなんているのかな。消化管出血の時、肝腫瘍の時、肺がんの時、で、この視床出血の時、それぞれそれなりに受容の段階に進んだかも。否認とかないですが。病気はそれなりに「運」と思っていますからね。視床出血の時は脳で血が漏れた感じがあって麻痺が出てきたとき、「やっぱりか」とね。この5年ぐらい前に某箇所で出血があったときに次はどこかで出血で治療かもと思いました。まさか、脳内で消化管出血の推定出血量の百分の一より少ないかもの出血ね。消化管出血は推定1リットル以上ですからね。発症してしまったらジタバタしても無駄ですね。それより、回復や治療でどのようにすれば最善かを考えましたよ。何回か棺桶に足を入れかけたわけですね。知人が「代償性肝硬変」になったというのです。治療法は基本「肝臓移植」のみなのです。肝臓ですが、肝腫瘍の時半分切除しました。その後、元の大きさに回復していました。移植するそうです。状態がドナーともによいとともに普通の大きさになると期待できますね。肺がんの時は右下葉切除で減ったままです。今回は後遺症がありますが、脳の可塑性に期待して、地道にリハビリを発症直後からね。そう、廃用症候群にならないように、過剰にならないようにね。「受容」ができるのは少ないのでは。大谷は受容ができたのですね.稀勢の里は周りが受容できないで稀勢の里を追い詰めたのでは。「受容」は周囲の家族や関係者も含めてできるのではと考えています。
2月14日(土)、感覚の戻りですね。瞼がわかりやすいので瞼ばかりですみません。先々週ぐらいまでですね。麻痺側瞼が今までになかったぐらいのコンタクトレンズを感じてしまったのでした。装着時も外したときも作業後、瞼を開けれない。そう、視力ゼロですね。このとばっちりが健常側に波及して・・だったのでしばらくは両目とも視力ゼロでした。作業後数10分ですけどね。それが徐々に穏やかになりここしばらくは着脱後すぐぐらいでも見えるようにね。この変化は視床で新しい接続ができて、高感度で情報量が大きすぎる状態がしばらく続いて、徐々に適正な量になっていったためでしょうね。こう、考えると再生医療で幹細胞を点滴で送り込んで定着して新しい接続ができるのでしたらしばらくの間は脳が過剰な刺激で処理できなくなり、その後、穏やかになるまではまともに動作等ができないのでは。もっとも、私的には幹細胞を点滴に送り込んでも脳血液関門等の問題もあって必要部位に送り届けることはできないと考えています。だから、H大学では脳内に直接送り届ける治験をしたのでは。結果はどうなったのかな。ネットで広まっていないということは未だに公表できない段階なのでしょうか。中枢神経系では軸索が伸長しないという問題がありますね。樹状突起に比べると伝導速度の速い軸索ね。脳卒中前は軸索なのですよ。これが樹状突起になると情報伝達に遅れが生じます。これだけでも脳の働きは大きく低下したままになると考えられるのですけどね。この状態でも「障害の受容」に大きな影響があるのでは。受容できていないから「健常者風歩行」ができないから「ナンバ歩き」なんてのも出てくるのかな。関節が楽に動かせたら健常者風もナンバもどちらもできると思うのですが。
2月15日(日)、発症14年目なので思い出を少し。発症時に入院した病院で・・。初日の夜ベッドから頭を下にぶら下がりました。救急車で到着時、意識不明ね、その後、時々、意識があったり、不明の時はなにも完全にわからないです。病院の入院着に着せ替えされたりもね。このとき、ワコールの男性用ガードル(クロスウオーカー、日経ビジネスで知りました)だったのです。以来、高級品は避けています。また、出血したくないので。験担ぎね。そうそう、どうしてかというと鼻が詰まって呼吸が苦しくなって気がつき、ベッドを探ったらベッドのリモコンがあって、頭部を立てると楽なので、ベッドの頭側を少しあげたら・・で、気がついたらぶら下がっていたのでした。手足が麻痺しているというのはわかっていたのですが、ここまで麻痺しているとはでした。そして、頭と床の間隔はほぼなしでした。よく頸椎を痛めなかったものだとほっとした次第でした。問題はいつ助けに来てくれるかでしたが意外と早く助けに来てくれました。大きな音がしたからといわれて、「そうなんだ、大きな音を出したらナースコールをしなくても来てくれるのだ」といってしまいました。で、危険人物としてブラックリストにかな。でも、以後は品行方正でしたよ。頸椎損傷していたらこんなブログなんてできなかったかもね。体幹の筋肉も含めて麻痺していたということでした。脳卒中感覚麻痺は皮膚感覚等だけではなく筋肉の感覚もなくなって連係動作ができないのですよ。尿道の管がとれて車椅子に座りだしても転院日まで移動はすべて看護師等に介助されてでした。なので、転院も車椅子のままタクシーに乗りました。包括医療費の病院に1月以上入院しながら3ヶ月半ほどでリハビリ病院を退院したのでした。が、リハビリ病院も退院日まで車椅子、病院の車椅子を使っていました。で、退院したらすぐ装具は外し、かっこよく健常者風歩行ね。この落差はどうしてでしょうね。俗にいう「頑張り」はしていないです。病気の受容がほぼできていたためと思います。医師がいなかったら天国のリハビリ病院ね。
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