2026年2月22日日曜日
「自惚れ史観」と「自虐史観」
「自惚れ史観」と「自虐史観」 最近「自虐史観」なる言葉が広まっているようですね。
「自惚れる」ということですね。この言葉と史観をセットして「自惚れ史観」という言葉との対比ですね。
司馬遼太郎氏の「雑談 『昭和への道』」というなかに「日本は自己の絶対視」が国を滅ぼしたというような話がありました。この「絶対視」は「美化」という概念を根底にはあると考えています。
先祖や先代や先達とかの行為についての美化ですね。そうすると、失敗や犯罪行為については意識的になかったこととされるのでは。これが官僚の無謬性にも通じていると考えるのですけどね。独裁国家が割と短期間で終わる理由かも。
日本はどうも大昔から独裁みたいなようで合議の国だったのではと。
それが、日露戦争以降に価値観の著しい強制によってあの破滅の太平洋戦争になってしまったと考えられるのですよ。
今、大事なことの一つが太平洋戦争での犯罪的行為や不必要な将兵、住民犠牲を強いたことへの痛切な反省でしょうか。
この反省がないから非正規等のブラック労働等につながり、少子化がさらに促進され、下請けいじめも加わり「失われた30年」とかになってしまったのかも。
「歴史は未来を見るために学ぶ」のですが、このためにはつらい過去に目を背けるわけにはいかないのです。
政権と最高裁判所の関係は最高裁は政権に批判的であらねばならいということです。政権のよくない行為については違憲判決をすることがその政権をよくすることにつながるのですよ。
政権も反対意見を含めて受け入れる姿勢が必要ですよ。
ないのなら、太平洋戦争の時のように戦争でないのに国を潰すということになりかねないのですよ。
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