2025年8月3日日曜日

明治維新から敗戦までを時系列、ならべてみるとです

戦後80年ですね。明治維新から敗戦までを時系列、ならべてみるとです。 いくつかあるのですがその一つの捕虜の扱いですが、日清戦争の時はよくわからないです。 ただ、秀吉の朝鮮侵略の時と同様のことが清のほうにあったようですね。 日露戦争ではジュネーブ条約のようにというか、捕虜生活がよくて日本に住みついた捕虜も。第一次世界大戦のドイツ人も同様だったとか。 それが軍部が先鋭化してか、太平洋戦争になるとむちゃくちゃですよ。 戦後の戦犯裁判ですね。BC級戦犯で死刑が多発しています。これは捕虜の扱いについてだそうです。 撃墜されたパイロットを私刑も。泰緬鉄道建設での捕虜動員とか。このときに日本軍として使われていた朝鮮半島出身兵士も含まれます。死刑だったかな。朝鮮出身の日本兵、敗戦と同時に日本は放置したのですよ。 日露戦争から50年ほどでのこの落差ですね。どうして、起こったのかですよ。これの反省がないからブラック企業等がのさばるのかも。 帝国陸軍での脱走は多くがうやむやになっていたようです。理由は「恥」のようでした。隠し事の例ですね。 例えば、兵士の「軍靴」がなくなると、上官は「調達してこい」といったらしいのです。この「調達」は隣の部隊から盗んでこいだったとか。これは上に報告すると・・で、且つ、元々供給に余裕がなかったことによるようです。 兵士に対して「軍馬は高いが兵は1銭5厘の召集令状でくるから安い」とも。これは人命軽視の帝国陸軍の象徴的言葉ですね。 特に太平洋戦争の時に一番ひどくなったのでは。参謀本部(現場を知らない)の作った戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けるな」と救援に部隊を派遣しなかった参謀本部ね。で、各地で「玉砕」が多発したのですよ。 参謀本部が戦争したいからの戦争ですよ。 この投稿のメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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