2025年8月6日水曜日
原爆が投下されてから80年です。
原爆が投下されてから80年です。
19世紀の終わり頃から核についての知見が蓄積されてきましたね。それで、1930年代には「原子爆弾」が現実視されるようにですね。
で、枢軸側、連合国側ともに開発競争が開始されたわけですね。ただ、連合国側がというかアメリカが開発に成功したわけです。マンハッタン計画でしたね。
最初の原爆実験は1945年7月なのです。ドイツの降伏文書調印が1945年5月9日かな。この日をロシアは戦勝記念日にしていますね。で、残るは日本だけです。
前にも投稿したように1945年になるとほぼ日本上空をアメリカ軍機は飛び回っていましたね。アメリカは当初からの日本軍の抵抗の激しさと硫黄島と沖縄での状況から、本土上陸を躊躇したのでは。
その代わり、アメリカ陸軍が原爆開発を熱望していたとか。また、ソビエト参戦も陸軍が要望したとか。ようはできるだけ兵員の損失をしたくないということですよ。
引き換え日本の方は徹底抗戦、人海戦術、若者(年寄りが生き延びる)に特攻をさせる、住民は不必要に引き回して集団自決させるとかなので本土決戦ではアメリカも被害が甚大になることを避けたいということでしょう。
で、日本には勝ち目がないのに本土決戦を叫ぶ軍部ですね。もうこれは「メンツ」のみですね。だれも、言い出せない日本的雰囲気ですね。現在もこれでいろいろ問題が起こっていますが。「ポツダム宣言受諾」とだれも言い出せないわけですね。
ドイツが負けているので勝ち目はないのにね。「一泡吹かせて」派や「徹底抗戦」派等が渦巻いて内閣は責任をとれないことにね。で、東条内閣から鈴木内閣ですが、状況は変わらずでもたもたしている間に原爆実験成功し、翌8月には実戦投下、6日に広島、9日に長崎、9日にソ連参戦ですね。
それで、陛下が本来は禁止されている「国政判断」をされてポツダム宣言受諾でしたね。
だれが陛下をここまで追い込んだのか検証する必要がありますよ。どうも、陛下は「朕が一人犠牲になって日本を救いたい」とお考えなられていたと伝え聞いています。
当時の軍部は何を考えていたのかな。
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