2025年8月9日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No676

リハビリは早くならないよ。リハビリの成功は体の生物学的回復に追従して回復したときに以前と同様に生活できることかな。   腕の骨折とかで以前は完治するまで三角巾とギブスで固定みたいだったとか。   「頑張る」より「楽して・・」にしませんか。   ポツダム宣言受諾の日から80年になるのですね。故司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和」への道』をみられたことがありますか。   一昨日、カムチャッカで巨大地震がありましたね。マグニチュード8.7とか。   脳卒中感覚麻痺でのリハビリで問題になりそうなこと。「痙縮」とかでしょうか。   明治維新から敗戦までを時系列、ならべてみるとです  7月28日(月)、リハビリは早くならないよ。リハビリの成功は体の生物学的回復に追従して回復したときに以前と同様に生活できることかな。脳卒中では「脳の回復」より早くはできないですよ。また、早くと過剰にすると弊害が出てきたりで回復できるものも回復しなくなりますよ。リハビリはそのときの患部の状況に応じてですよ。大谷ですが、160km以上の速球を投げれる体に回復しましたね。もし、昨年に今年と同様にしていたらほぼ投手としての生命は終わっていたかも。何代か前のケアマネさんが膝の手術後に歩けなくなったのは「頑張り」ではと思うのです。手術跡が生物学的な修復前に頑張ってしまったのではとね。脳卒中後の修復が必要なのは「脳」です。手足の修復は必要ないのですが、動作では脳にコントロールされているので手足に問題があると思ってしまうのかな。大谷は手術跡の問題が解消されるまでは廃用症候群対策程度で待っていたのですよ。では、脳卒中後はというと脳が回復するまでは廃用症候群にならないようにですね。でも、歩行ができる方ができないより便利なので脳の回復程度や残存機能とかを活用しているだけですよ。歩行リハビリはおまけですよ。上肢の方のリハビリもね。それを頑張るから、運動神経系興奮ニューロンを興奮させたままにしてしまったりね。こうなるから、関節が動かしにくくなったり、痙縮になってしまったりですよ。脳卒中後の廃用症候群は手足では手足が主かも。痙縮等は脳の問題ですよ。  7月29日(火)、腕の骨折とかで以前は完治するまで三角巾とギブスで固定みたいだったとか。今は骨折部位はギブス等で固定のようですが、関節は適度に動かすようにしているようですね。これは「関節を動かさない」ことによって動かせなくなることを防止しているのです。腕で以前と同じことをさせているわけではないですね。そして、関節を動かすということは筋肉も負荷がかからないように弛緩と収縮をね。筋肉の廃用症候群防止ね。大谷は左腕の靱帯の手術ですね。この手術後、手術した部位が完治するまで廃用症候群対策でしたね。骨折では骨の完治までは通常の動作はしないはずですよね。ところが、脳卒中の手足では脳の回復する前に脳のコントロールが必要なことをしてしまっているのですよ。脳がコントロールができないから麻痺しているのです。ですから、余計な負担を脳にかけてしまっての弊害が起こっているのですよ。脳が筋肉をコントロ-ルするには筋肉等の感覚情報が適切にあって、運動神経系興奮ニューロンと運動神経系抑制ニューロンがともに適切に使えるということが必要なのに脳の損傷によって使えなくなってしまっているのですよ。それで、興奮ニューロンのみ興奮しすぎて興奮の解除ができないからボトックス療法になるのです。脳が抑制ニューロンを適切に使えるように回復するまでは廃用症候群対策ですよ。この範囲を超えて動作させるからボトックス療法の対象になってしまうのです。この療法、仕組み上「対症療法」です。症状の緩和のみで治らないですよ。添付文書に明記されています。  7月30日(水)、「頑張る」より「楽して・・」にしませんか。どうも、特に江戸時代の五人組の影響かな。幕府が「相互監視」を目的に作ったとか。また、農作業や茅葺き等で共同作業も多かった時にですね。「サボっていない風」を見せるのに「頑張っている」と思われることをしていたのかも。狩猟では「獲物の有無」で成果がわかりますが・・。農作業等では「就労時間」などですね。その昔、農家で朝早く雨戸を開けるので理由はというと「まだ寝てサボっていると思われないため」とかだったとこか。このような思いがブラックな企業やブッラク校則やブラック部活を生む要因かな。で、リハビリも楽して最大の効果をですね。リハビリの目的の一つに「廃用症候群防止」ですよね。あとは損傷部位が治ったときに以前と同様のことができるようにですね。あくまでも脳卒中なら脳の回復があったときにです。皆さん、脳が回復していないのによく頑張りますね。ただ、人間の体はある程度の運動をしておく方がよいですね。「人間は動物」ですからね。ところが脳卒中後は脳の損傷によって痙縮とかになりやすいですね。そこで、痙縮とかにならないように運動量確保の動作が必要になるのです。また、筋力確保の動作もね。筋力確保がいきすぎると痙縮の危険性ですよ。救急病院入院中とリハビリ病院入院中のリハビリは症状が同程度とも思わしき方と比べたら「手抜き」だったかも。ただ、人間の動作は関節動作である。関節が楽に動かせていたらよいとね。だから、リハビリ病院で医師がいなかったら天国であるとなるのですよ。余計ななことをいう医師はいらない。  7月31日(木)、ポツダム宣言受諾の日から80年になるのですね。故司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和」への道』をみられたことがありますか。これはNHKがまだ保守から独立できていた時期の番組かな。教育で45分番組で12回シリーズで放送されました。その後、DVDでも販売されていましたが。どうして、満州から中国全土に、、そして、アメリカと戦争を始めてしまったのかという謎についてです。どうも、いつの間にか手段だったはずの戦争が目的になってしまったのではとね。参謀本部ですね、一応、優秀な参謀で構成されているはずですが、アメリカの誘いにのってしまって真珠湾攻撃ですね。このとき、ルーズベルトはドイツと戦ってヒトラーを打倒したかったのに国民が厭戦なので、あの貿易センタービル同時多発テロみたいな切っ掛けとして日本軍に先制攻撃をさせたかったというのです。で、まんまと乗ってしまった日本ですね。これは戦争とかによる影響等について軍事だけではなく、政治経済などの広範囲について考えることができなかったためかも。最近ですと、ハマスですね、未だにあの行為について理解不能なのです。そして、イスラエルの方もですが、どうも「ジェノサイト」かも。プーチンは「保身」ですよ。だから、絶対、即、勝利すると思ってウクライナにが3年以上の長期にね。停戦は国内事情でできないでしょう。停戦でも地位が危うくなるようですね。トランプは考えていないですよ。思い込みを実行しているだけと思います。「考える」は疲れますのでね。自民党の石破降ろし勢力も思考停止状態と思うのですよ。敗戦の日まで時々(頻繁かも)この方の投稿をします。考えていないから「強要」ができるのかも。  8月1日(金)、一昨日、カムチャッカで巨大地震がありましたね。マグニチュード8.7とか。この「マグニチュード」ですが、地震で放出されたエネルギー量というのです。で、マグニチュード1の時のエネルギーはどのくらいなのでしょうね。調べてみてね。このマグニチュードの数値ですが、0.2増えるとエネルギー量が2倍になるというのです。ですからM1増えると「2×2×2×2×2」の32倍になるというのです。2011年の大震災の時、M9ということですのでこれより少ないですがM8の10倍ぐらいにはなるかもね。それと、震源からの距離で揺れ等が異なりますね。ただ、津波は海底の様子や海岸線の形状等で遠くても勢力そのままや強まること、あのチリの大地震(これM9.5だったかな)後の三陸の大津波ですね。東日本大震災の時の津波被害が大きかったのは近く発生したからです、ですから、一刻も早く避難することですが、局地型か海溝型の巨大地震かの区別は現場ではできないと思うので常に「巨大地震」と考えての行動が必要です。「予知は無理」と考えようね。  8月2日(土)、脳卒中感覚麻痺でのリハビリで問題になりそうなこと。「痙縮」とかでしょうか。リハビリだけではなく、運動量の問題もありますね。人間は動物なのでできるだけぼちぼちの強度と量の動作がいるのですね。よくあるのが超過した強度や量ですね。でも、軽過ぎは運動にならないしね。私の経験ですみませんが、救急病院入院時から始めた着座姿勢「背筋直立、股関節直角程度、膝関節直角程度、足首関節直角程度」で、椅子の背もたれをほぼ使わないというのね。車椅子なのでね。これって、結構背筋、腹筋などの体幹の筋肉を使いますね。これだけでも、夜、よく寝れるようにね。スクワット等はしたことがないです。これは持続的に筋収縮させる必要がありますね。そう、運動神経系興奮ニューロンを興奮させすぎることを恐れてね。階段昇降はリハビリ病院入院中からです。短時間の筋収縮の繰り返しになりますが、下肢の筋肉にとってはよかったのかも。運動神経系興奮ニューロンの興奮も短時間でいったん終了させているはずですね。上肢が痙縮になりやすいのは運動神経系、感覚神経系ともに非常に多くあるからでしょうね。感覚麻痺で感覚神経が使い物にならいということも運動神経系興奮ニューロンの興奮の解除に役立っていないということですね。興奮ニューロンが興奮したままにね。このようなことにならないように運動量確保には健常者風歩行や健常者風階段昇降が、椅子の着座姿勢が有効であったと考えています。結局は「関節が楽に動かせる」ということでしょうか。関節が動かせての動作ですよ。筋肉がタイミングよく弛緩で関節が動かせますよ。  8月3日(日)、戦後80年ですね。明治維新から敗戦までを時系列、ならべてみるとです。いくつかあるのですがその一つの捕虜の扱いですが、日清戦争の時はよくわからないです。ただ、秀吉の朝鮮侵略の時と同様のことが清のほうにあったようですね。日露戦争ではジュネーブ条約のようにというか、捕虜生活がよくて日本に住みついた捕虜も。第一次世界大戦のドイツ人も同様だったとか。それが軍部が先鋭化してか、太平洋戦争になるとむちゃくちゃですよ。戦後の戦犯裁判ですね。BC級戦犯で死刑が多発しています。これは捕虜の扱いについてだそうです。撃墜されたパイロットを私刑も。泰緬鉄道建設での捕虜動員とか。このときに日本軍として使われていた朝鮮半島出身兵士も含まれます。死刑だったかな。朝鮮出身の日本兵、敗戦と同時に日本は放置したのですよ。日露戦争から50年ほどでのこの落差ですね。どうして、起こったのかですよ。これの反省がないからブラック企業等がのさばるのかも。帝国陸軍での脱走は多くがうやむやになっていたようです。理由は「恥」のようでした。隠し事の例ですね。例えば、兵士の「軍靴」がなくなると、上官は「調達してこい」といったらしいのです。この「調達」は隣の部隊から盗んでこいだったとか。これは上に報告すると・・で、且つ、元々供給に余裕がなかったことによるようです。兵士に対して「軍馬は高いが兵は1銭5厘の召集令状でくるから安い」とも。これは人命軽視の帝国陸軍の象徴的言葉ですね。特に太平洋戦争の時に一番ひどくなったのでは。参謀本部(現場を知らない)の作った戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けるな」と救援に部隊を派遣しなかった参謀本部ね。で、各地で「玉砕」が多発したのですよ。参謀本部が戦争したいからの戦争ですよ。

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