2026年8月29日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No731

今頃ですが、今年3月購入のエアコンで初めて「自動」運転をしました。   AIですが、今までの検索で探すことを考えると楽ですね。   母の実家は農業でした。それで、子供の頃、よく農作業しているところに遊びにね。   「固有の領土」という言葉がありますね。   戦況などからの撤退ということを全く考えなかった東条内閣や参謀本部の不作為により生まれたのが「残留孤児」   パスワードとかの問題。フィッシングメールとかでつられてしまうと何桁あっても関係ないですけどね。   戦後の昭和の時代に某国立大学のある教授が「天皇の戦争責任」なんて本を出版しました。  8月17日(月)、今頃ですが、今年3月購入のエアコンで初めて「自動」運転をしました。効率的には自動が一番とネットにはあるのですが・・。1回だけですが,結果として冷えすぎでした。冷房での設定を26℃にしていて「21℃」(電波時計の温度計)は冷えすぎですね。日中冷えすぎでよるよく寝れるのです。「冷房疲れ」なのでしょうね。このエアコン、ドライにしたら冷房より湿度は下がるのですが・・。基本的には26℃強ぐらいで湿度が50~60%ぐらいがよいかなと思っているのですが。夜間は26℃冷房設定で一晩中、起きたら湿度80%なんてね。でも、汗は気になる量は出ていないです。屋外の気温とかも影響してくるのでしょうね。以前のエアコンみたいにある特定の設定で夏が過ごせるようになると楽になると思います。太平洋戦争ですが、玉砕した島にアッツ島がありましたね。これ、アリューシャン列島の一つなので一時期といえアメリカ領占領という名目でしょうか。どう考えても戦略的意義はなかったのでは。大本営は負傷者自決と万歳突撃ですね。救援はなしね。早くいうと見殺しですよ。大本営の参謀将校はのほほんと生き延びているわけですよ。こんなのばかりでしょうか。特攻も日露戦争ではまだ「志願」の色合いがありましたが、太平洋戦争では日本的同調圧力を使って一応「志願」の風を装っているだけでは。出撃前にヒロポン入りの菓子を食べさせていたという話も。注射というのあったようです。参謀本部では使われていないのかも。一般将兵は消耗品と見なしていたのでは。このような状況を改善しようともしていなかった東条内閣ですよ。東条は内閣総理大臣と陸軍大臣と参謀長を兼務していたとか。共産圏諸国の独裁者と同じレベルの地位独占だったかも。  8月18日(火)、AIですが、今までの検索で探すことを考えると楽ですね。その昔、近隣の入院した病院での誤診の時に「骨シンチレーション」の仕組み等を調べたときは手間が掛かりました。今回「猫背と慢性心不全」では望むレベルの回答がすぐにね。ついでの「胸水」という用語もね。ガス漏れでも楽でした。ただ、これらは未知についてではなく知識の補強として調べました。AIの回答を鵜呑みにはしていないのです。知識等の前提があるのでも再確認とかで使ってみるとということですよ。で、グーグルのジェミニを使いましたが、AIサイトの検索をしなくてもGoogle Chromeからすぐ使えるということででした。SNS等を含めてネット上には正しい情報から嘘偽りの情報等までたくさんありますね。今のところ、まともなAIは間違いが少ないともね。でも、価値判断のために常に知識等のアップデートをおこなっておく必要があると考えています。太平洋戦争への時、報道統制その他で本当のことがわからなくなっていって大政翼賛会とかですね。ジュネーブ条約とかを教えられていない上官ですから部下がBC級戦犯だらけにね。天皇が合祀後靖国に行かなくなったのかについては報道統制が続いている日本かな。参謀本部とその上位機関である内閣(東条は首相と陸軍大臣と参謀本部の長)で参謀本部の独走を止めれる立場だったはずです。ところが、追認で済ましてしまったわけですね。満州事変も軍部の独走でしたよね。事後追認ですよね。司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和」への道』ではインパール作戦は東条の裁可を受けたというのです。で、帰路は白骨街道にね。攻めていって待ち伏せされて退却の時にね。ナポレオンも退却については考えていなかったようですね。  8月19日(水)、母の実家は農業でした。それで、子供の頃、よく農作業しているところに遊びにね。当時はそう思わなかったのですが、夕刻になると伯母が先に帰っていました.で、しばらくしてから伯父もね。戻って片付けなどが終わるころには夕食の準備ができていたとう記憶があるのです。この記憶をもっと早く呼び起こせていたら妻も楽だったかもです。思うに分業ですね。自営業というのは配偶者が配慮すればでしょうか。お勤めの場合はこのような配慮をしてくれる勤務先はあるのかな。で、産後で勤務復帰したときに時短をするようになってきましたが・・。とかで、熟年で死別や離婚で単身になると男のほうが惨めな場合が多いようですね。私は病気で家事でできる項目と量に大きな制限を受けましたが・・。妻はまだ勤めていますし、時々、泊まりの旅行も。介護認定は要介護ですが妻が用意をしてくれるので短期間なら大丈夫です。ということもですが、人間時々「一人」や「女子会」とかが必要ではと思いますけどね。昔のほうが家事労働の平準化ができていたお家が多くあったのではとも。仕事場は通勤や就労時間の決まっているリモートなどが主流になってより偏りやすいことになってしまったのかも。  8月20日(木)、「固有の領土」という言葉がありますね。明治維新後についてみると、日清戦争で中国固有であろう台湾ですね。ロシアと樺太千島交換条約でしたかウルップ島からの千島と樺太の交換でしたか。樺太での混住を避ける意味合いが大きい感じもね。このとき、ロシアは北方4島を日本領と認めたかな。で、日露戦争でロシア領と認めた樺太の南半分割譲させたわけですね。中国とは台湾の現状追認のまま平和条約でしたね。ロシアとは国境画定の平和条約を結んでいないわけですね。ポツダム宣言を日本が受諾したした時点ではロシアとは戦争状態になっていましたね。日ソ中立条約を破棄されていました。フィンランドにいちゃもんをつけてきたロシアとこの後継のソ連ですね。あのまま、ポツダム宣言を受諾せずに戦争を続けていたら、北海道や場合によると東北の多くもソ連領になっていたかも。当時の戦争推進派は日本の負けていることや領土問題に知恵が及ばなくなっていたのでしょう。戦争状態になると戦後平和条約による国境画定されるまでは「固有」もくそのない状態になっていたのでは。よくぞ、北海道にソ連軍が入らなかったものだと思います。ソ連は領土については非常に貪欲でしたね。なぜ、勝ち目がないとはっきりしても戦争を止めることができなかったのか。検察が冤罪で悪あがきするのと同様の理由かも。「間違いを認めたくない」ということでしょうね。今のトランプもね。ただ、トランプは経済的状況ではビビるみたいですが。株価暴落、インフレなどね。  8月21日(金)、『「残留孤児の日」は、1981年(昭和56年)3月2日に、中国残留日本人孤児47名が肉親探しのために厚生省の招待で初めて公式に来日した日を記念する日です。』がありますね。昨日、ニュースでこのような日が定められていると知ったのです。ところで、アメリカや南米にも農業開拓などで移民として行かれた方は多数いますが、「残留孤児」という言い方はほぼ中国だけですね。多いのが「満蒙開拓団」として中国東北部への農業移住した家族の子供たちです。農業の農地は南米と違って中国人の農地を安く買いたたいたり、軍が強奪したというのです。軍は敗戦時に開拓団を置き去りにして引き上げたともね。もっとも、軍も参謀本部から見捨てられていたみたいなものですが・・。南米は中国と違って未開の土地を開墾して一大産地にしていますね。ここが大きな違いです。中国では日本へ戻るときに飢餓や疫病、その他で子を中国人に養育を託したりしたというのです。戦況などからの撤退ということを全く考えなかった東条内閣や参謀本部の不作為により生まれたのが「残留孤児」ですよ。それを1972年の国交回復後もちんたらして回復をおこなわなかった政府ね。なので、孤児の初来日、肉親捜しがようやく1981年3月になってしまったのですよ。本当、東条らをよく拝みにいけるものだと思います。千鳥ヶ淵戦没者墓苑のほうに行かれることを希望しますけどね。  8月22日(土)、パスワードとかの問題。フィッシングメールとかでつられてしまうと何桁あっても関係ないですけどね。スマホとかですと機器の方で「・・回」と制限してもらうとPINとかは桁数が多いほどよいですね。普通のサイトの方も回数制限してくれるとよいのですが。顔認証とかもですが、寝ているときにやられると・・。指紋もね。使っているPCはタワーです。持ち運びをしない前提ね。スマホはLINEだけに近いですし、その内容も。各種サイト等でパスワード使い回しがないですが・・。タワーなので少しぐらいはとも思わないことも。一度、どっかのサイトから漏れたパスワード一覧というのがあって、多くの方が同類を使っているようなのでした。ログインIDでメールアドレスを要求するところがありますが、やめてほしいです。類推しやすいメールアドレスで類推されて使われたことが。5年以上前でした。アドレスをなくしましたよ。悪用していたのはその後どうしたのでしょうか。アドレスを廃止したので判らないです。片腕さんは昔から、そのサイトで使える最大にされているとありました。パスワード漏れ一覧で「PASSWORD」なんてのが上位にありました。何を考えているのかな。そうそう、一応、タワーに「指紋」をつけているのですけどね。スマホの指紋認証、顔認証は場合によるとPINより脆弱かも。  8月23日(日)、戦後の昭和の時代に某国立大学のある教授が「天皇の戦争責任」なんて本を出版しました。購入して読んでお蔵入りね。明治天皇も大正天皇も昭和天皇も大日本帝国憲法下では今の日本国憲法と実質的には同じ立場とか。ただ、天皇は政府や軍の要人から話は聞けども何も指示が出せなかったと、司馬遼太郎氏が『雑談 「昭和」への道』で述べられていました。ただ、聞くだけ。だから、ポツダム宣言受諾、玉音放送は憲法違反行為であったことになるのですよ。ところが、政府(内閣ですね)、軍部は国事行為を天皇の名前を勝手に使っていたのですよ。満州事変とかでも事後報告であって事前に許可を求めたものではないということね。これは真珠湾攻撃等でもでしょうね。であるからして、戦争責任は当時の軍部と内閣にあるのですよ。でも、戦後も昭和天皇はなにもいわなかった。これは両憲法の規定を守ってのことです。でも、許せないからか合祀が判って以降、天皇は靖国神社に参拝していないというのです。判る前の戦後も参拝していたのかな。天皇の政治上の権力は南北朝に分かれたときに完全になくなっていたとも思います。そして、血統的にはつながりがあっても飾りの天皇、北朝の方が南北合一で続くことになったのでしたね。以後、権力のない天皇ですよ。政治責任がないのに昭和天皇は決断され、「私一人が・・で国民が助かるなら」とマッカーサーとの会談に臨まれた聞いています。往生際の悪い連中の多い日本かな。

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