2013年5月27日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No42

久し振りの現状報告  椅子の組み立て   脳出血や脳梗塞に備えて調べておきましょう。  「クールビズ」は汗腺の訓練から、麻痺した左半身が心配  自分のリハビリのために、他の方の経験を。  バリアフリー改修減税についての雑感  熟睡したい  5月20日(月)、左半身の寒さへの感度は高いですが、暖かくなったりすると感じにくくなります。お風呂ではぼちぼちよい感じになっています。手や足の感じですが、硬直感が強く出ることがよくあり、足の方はその後、歩きやすくなっている感じをよくしています。つま先立ちで少しうろちょろもできるようになりつつあります。手の方の感覚は戻ってきているという感じは最近していないです。顔の方ですと、左目でコンタクトレンズを感じている度合いが少し戻ったようです。ずれてしまったとき、目尻の方に行っていたのが2回続きました。うち1回は目頭の方で失敗したときもです。唇当たりの感覚も戻ってきつつあるようです。そうそう、手足での硬直感、痺れ、筋肉の痛みとかを感じていますが、お風呂で筋肉を伸ばしたり、収縮させたり、手も足もしています。なぜか湯船の中ですと痺れとか痛みとが凄く和らぎます。ですから、特に感じていないときも屈伸などをしています。ここまできて硬直などさせたら元も子もないですからね。  5月21日(火)、今まで使っていた椅子が座りにくいので、事務用椅子を展示しているところでいくつか座り心地を確かめてから、購入しました。この椅子の問題点は「組み立て式」、はい、自分でする必要があります。家族に頼んでいたのですが、完成がいつになるか判らないので挑戦してみました。できるだけ床に置いた状態で空中戦(浮かした状態)の作業がないようにしました。できました。この頃のは組み立てやすくなってはいますが、昨年左半身完全麻痺の状態から見ると、「やった」という気持ちでした。何事にもできないではなく、少しずつ、新しいことに挑戦したいです。でないと、手助けがないと何もできない状態になってしまいます。挑戦する気持ち、そして、実行ですね。また、なにか挑戦してみたいです。  5月22日(水)、昨日、テレビで脳梗塞についてしていました。発症時の症状とどうするかのところを少し見ただけなのですが、梗塞とは別の要因を原因と考えて手遅れになる可能性や梗塞と思われたら「してはならない」行為などでした。私の場合は脳出血と始めから決めつけ、病院に行こうとしましたが、結果的には目的の病院に行けましたが、「しない方がよい」ということをしてしまっていました。できるだけ早く専門医に治療してもらう方がよいので「初期症状」を知っておき、「してはならない」行為をしないように知識を高めておく方がよいですね。一番は「予防」ですけど、どうしようもない感じで発病することもあり、日頃から考えて調べておく必要があります。身近で「脳梗塞」に気がつくのが遅れたのがいました。別の原因と思い込んでいたというのです。  5月23日(木)、昨日は世間は初夏というか25度を超えているようですが、左半身が寒い。右半身主体の汗が出ています。一昨日に比べて少し薄着にしました。一昨日は汗だく(笑)になるくらい着込んで左半身の震えが止まっていました。そうそう、今年は「汗腺のトレーニング」を十分にする前に冬から、即、夏になるようですね。私は毎年、「汗腺のトレーニング」ということを意識して春あたりから徐々にならしていました。ですから、真夏でもクーラーなし(風通しがよいところ?)で過ごしております。昔から「クールビズ」をしていたのです。水分補給は2~3リットルになることもざらでした。全身から割と均一に汗が出ました。俗にいう「汗ふき」が使えないぐらい薄くですが、全身均一的に持続的に出ていました。昨年も難とかしのいだので今年もと思っています。ところで、「汗腺」も毎年毎年毎年訓練が必要なのです。最初は乳児の時に「汗腺の開通」が必要とか。これが不十分ですと、汗が出にくいとか特定部位だけとかなるというのです。次に汗の質ですが、上手な汗腺では「水と塩分」が大部分ですが、へなちょこ汗腺は「水と塩分と栄養分」になるというのです。汗臭くなりやすい汗です。クーラーで汗腺のはたらきを止めるというのは「へなちょこ汗腺」養成コースといわれています。それと「クーラーによる温度感覚麻痺」の可能性も。あるデイリハビリの施設で23度ぐらいでないとクーラーが効いていると感じない人がいました。冷やしすぎ。私の父も、職場でも、まあ、ここまで酷いのは少ないですけどね。今一度ですが、「私の経験としては視床出血で感覚中枢などの中枢が麻痺前の経験を忘れてくれている」という感じを持っています。覚えていたら、こんなこと(左半身ガタガタ)はないのではと思います。  5月24日(金)、昨日は着込みました。汗だくで左半身の震えはほぼ解消。真夏を例年通りのクールビズ(クーラーを使わない)で過ごせば、アンバランスが解消できると期待しています。停電が起こってもよほどの猛暑でない限り、生き残れると思っています。今日は訪問リハビリの日です。ただいま、私の部屋を改装中なのです。段差解消を一番の目的で和室を洋間にという改装。リハビリ病院でも上体を起こしたまま、マッサージをしてもらったことがあるので椅子があればできると思います。先日つくった椅子に座ってしてもらおうと思っています。この訪問リハビリの目標とかいろいろあるのですが、通所リハ(通院リハではないです)と違って担当者との会話を楽しんでいます。認知症予防ですね。その時に私の調べた知識と作業療法士さんの学んできたり、担当して経験されたこととかのすりあわせも重要なリハビリだと思っています。私にとっては退院してからは他の患者さんと会う機会などないですからね。実地経験というのも大切だと思います。  5月25日(土)、住宅のバリアフリー改修などの戻し減税がありますね。このほか、省エネとかも。共有の場合は契約時から共有者全員の名前で契約し、実質的な場合も含めて金銭も共有割合に応じて負担した場合に減税のすべての割合を受けることができるようです。共有者に資金負担能力がない場合にバリアフリー改修以外の同時にした手直し改修でひょっとしたら「贈与税」負担が発生する危険性が伴う減税だと思います。このようなことについては業者が契約時から注意して説明する義務があるかも。このような住宅改修では最後の手段として共有持ち分変更ということで贈与関係は解消できるかも。住宅取得時の税金とかは皆さんよく考えられていますが、「改修」とかですと、主契約者1名のみの契約になっている場合が普通だと思います。どのような減税や公的補助が利用できる可能性があるかとか、その利用時の問題点について,業者は説明をしておく必要があると思います。利用するかどうかは契約者の問題ですが、利用したいという意向があったものについては詳しい説明をし、問答集を渡すようにしてほしいですね。なかには詳しく知っている人もいるかもしれないですが、「知らない」という前提で、まずは軽く紹介し、必要とされそうなのを順次詳しくしていって、ある部分当たりからは税務署や役所に説明してもらうように助言してほしいです。まあ、いろいろあるのですが、夫婦共働き世帯ですと、住宅購入の時、共有は普通ですね。でないと、「贈与」という危険が発生することになりやすいです。バリアフリー改修の上限ですと、「贈与」の危険は非常に低いですけど、普通のリホームですと注意が必要になることもあるのではと思ったりもします。住宅価値の上昇のないバリアフリーなどの住宅改修でも契約時から、持ち分、お金の出どこ、工事内容等、十分に注意する必要があると思いました。  5月26日(日)、睡眠、熟睡できている感じなのですが、どうもできていないみたいなのです。左半身側の痺れが原因なのかと思ったりしています。最初の入院中でリハビリを始めてしばらくした当たりから痺れを意識するようになるまでの間の方がぐっすり睡眠ができていたような感じです。まあ、入院中、睡眠に落ちると朝まで起きないということでした。今もね、若いですから。入院中は看護師さんの夜間巡回などに気がついたのは数えるほどです。患者の状態によっては深夜でも病室に駆け込んできますね。同室者は気がついているようなのですが、私は夢の中。でも、熟睡ではない。熟睡したい。痺れとかがおさまるまでは無理なのでしょうか。(涙)

2013年5月26日日曜日

植民地支配の方法からの考察

 詳しくは述べませんが、イギリスによるインドの支配ですが、どうも間接支配、インドの王族などを間に入れて、支配していたというのです。カーストやその他、インドの民衆を分断したりを近世になるほど強めたみたいですね。それで、現在の公用語がインドだけでも11だったかな。パキスタン、バングラデシュを含むとさらに多くなると思います。支配層に入れた部分には英語を使わせて・・・。で、今のインドで一番言語間の問題が起こりにくいのが皮肉なことに英語だと思います。言語紛争を日本は体験したことがないのと同じようなので判らないかも。ベルギーも言語紛争で苦労している国です。ある意味、国が大きすぎて、まとまっていなかったため植民地になってしまったのがインドという気がします。  大分前になりますが、どこかの放送でカンボジアのことがありました。カンボジアでは小学校の低学年はカンボジアの言葉で、その後はフランス語もとだというのだったと思います。アフリカのフランス植民地での言葉についても「現地語」での教育もありますが、出世コースはフランス語ですかな。無知で慣習等での行き違いはあっても、民族性の否定はしていないですね、欧米は。  日本の支配方法はどうもすべての面で「皇民化政策」ですかな。朝鮮・韓国語の否定、創氏改名などで民族を否定してきていたわけですね。故司馬遼太郎氏が「雑談 昭和への道」でいわれていた「1000年経ても忘れない」ことをしてきているのです。ですから、少々社会資本投資をしてこようが、日本でいう「天皇制廃止」を強制したのと同様のことをされてきたということを韓国・朝鮮の人々は1000年たっても忘れないと思います。  アメリカがあの時、日本語廃止、天皇制廃止、靖国神社等国家神道禁止政策をもし実行していたら、どのように思われますか。すぐ、強い者にしっぽを振りやすい国民性の日本ですから、受け入れていたかも。その割に、こちらが強いと思ったら、図に乗りやすい国でもあったのです。  国会議員、大臣、政党関係者などは変なことを口走らないでください。世界中の恥さらし者に日本をしないで下さい。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年5月20日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No41

今一度、人間の体について、「使わないと錆びつきます。」という言葉で云えられるかな。ドッグランを目指して。  感覚の復活のアンバランスと子育て  体の構成要素の維持、例として「骨」と子育て  リハビリと教育、どこが同じで、どこが違うのか???   ブログでの初期の病状についての必要性あり、なし、どっち と 人格障害   脳卒中のブログですが、今回は人格障害だと思う「アル中」  私の回復度がなにか「奇跡的」ではなく「普通の」の感じが。  5月13日(月)、今一度、人間の体について、「使わないと錆びつきます。」という言葉で云えられるかな。「錆びつく」とは「使えなくなる」という意味です。脳出血や脳梗塞では、筋肉や関節などは普通無傷です。ただ、制御する脳が一時的に、あるいは再構築されるまで指令を出せないだけです。結果として「使わない」になってしまいます。すると、筋肉は固まり、関節は癒着し、脳は発症前を忘れてしまいます。脳の再構築がリハビリの目的だとしたら、それは筋肉や関節が使える状態であるということが前提になります。脳が回復してきても筋肉が固まっている(痙縮)と動かせません。それで、出てきたのがボトックス療法かな。ただ、普通の寝たきりですと、筋肉が減少しますね。ある程度以上減少すると動作に支障が出てきます。ですから、どちらにしろ、「動かし続ける」ということが必要になってきます。「動かし続ける」といっても程度の問題だよ。基本的な動作練習を続けることかな。腕だと「伸ばす。曲げる」とかですね。凍りつきそうになったときは「休息」。揉みほぐしてもらったときもあったと思います。単純な動作が幾種類かできるようになると、組み合わせかな。「物を掴む」とかの練習は指が伸ばせるようになったら、楽になりました。小さなボールやパチンコ玉でも掴めるようにね。私の感覚からすると、「どう考えても筋肉硬直させているだけだよ。」というリハビリ?に取り組んでいる方もおられます。麻痺で脳と筋肉がリラックスするのを忘れたのが問題なのですね。筋肉をリラックスさせて動かせば脳への刺激もより多いと思うのは私だけでしょうか。私はこのような考え方で、左半身完全麻痺から復活してきたのです。使い方を間違うと動作が固着してしまうのでは。指が曲がったままですと、指を伸ばせなくなり、歩行の時、足を回し出しをしているとまっすぐ出せなくなると思います。どちらも、治せたはずの障害を固定化することになるのでは。歩行の方は隠れた目標として「ダッシュができる。ドッグラン(リードなし状態の柴犬の成犬のわんちゃんと並んで)ができる」ようになることです。回し出しでは絶対無理な走り方が必要になります。健常者のように足をまっすぐ前に出せる歩行がほぼできつつあるから云えることです。ここに来て「すみません。筋肉を固めてしまった方は筋肉をほぐすことから、関節を固着させた方は関節がなめらかに動くようにされることを第一にした方がよいと思います。すみませんでした。」  5月14日(火)、視床出血を調べていたら、以前から気になっていたことがあるサイトでありました。運動神経との位置関係、図とかではなかったのですが、脳幹部なのでやっぱり、ご近所でした。出血がどの方向に広がるかで回復の早い遅いが少しはでてくると思います。他の部分の出血でもどのような働きの部分かで違ってくると思います。視床出血は基本的には感覚麻痺ですね、視床出血は。感覚には温覚、冷覚、圧覚、痛覚、そして体内部での感覚、筋肉の収縮状態の感覚などがあります。今、一番堪えているのが「冷覚」かな。過敏すぎるのです。一昨日(日曜日ね)など右半身は良い季節を満喫中で、左半身は「真冬」みたいに震えています。真冬と大体同じ服装といえるような着込みかたで「ガタガタ、ガタガタ」。朝、コンタクトレンズ装着作業が辛かったです。筋肉が貧乏揺すりするので、左手が安定してくれなかったです。両手使いなもので片手では装着できないのです。手の感覚で冷覚や温覚が過敏なのは昨年わかっていたのですが、冷覚がこれほどとは思いませんでした。どの程度で馴れてくれる(右と同じぐらいに)のでしょうね。寒い、寒い、寒い、寒い、寒い、寒い。話は変わりますが、子どもの育て方は一昨日投稿したような感じでしました。おかげさまで二人とも旧帝国大学に進学しました。どこを、受験せよとかはいっていないです。「親の希望を押しつけるのは虐待」ですからね。学校の成績とかで「順位」がどうのこうのや、通知表が・・・とか言ったことはないです。「勉強しなさい」も他の家庭に比べたら言っていない部類に入ると思います。高校生の頃は「早く寝なさい。」が一番よく言ったことかな。  5月15日(水)、体は成長の時に作り上げられていきますが、その後どうなるのでしょうか。また、成長の時もどうなのでしょうか。一例として「骨」ですね。堅いですが、これ何年かですべて作り直されています。古いですが、NHK「驚異の小宇宙 人体」では約3年で作り直されているとか。その番組では、破骨細胞は働き者的に、骨芽細胞は怠け者的に紹介されていました。バランスをとらせるためには筋肉を力込めて使うときの刺激が必要だとか。とすると、私らみたいな脳出血などで麻痺して筋肉が使えなくなると,骨芽細胞がサボリ出す?。サボられると骨が弱体化します。それでなくても年齢を重ねると骨は弱体化してきますが、より促進かな。それで、リハビリ等で「転倒」などを極端に恐れるのですね。転倒で骨折しますからね。すると、使えなくなって、さらに骨と筋肉が弱体化します。筋肉の強化は荷重が必要です。適度ですと、ぼちぼち筋肉が傷つき、修復、回復時に以前より強くというのが普通らしいですが、過度に傷つけると回復しないそうです。弱すぎると強化にはならない。難しいですね。筋トレは回復時の休息が大事なのです。まともな筋トレなら間隔(24~72時間ぐらい)をとってトレーニングしています。健常者ね。我々ではどのくらいの間隔がよいのでしょうか。筋トレみたいなのは筋肉がリラックスしている方がよいでしょうね。脳などの神経細胞以外は常に作り直されていると思った方がよいですね。脳も含めて「活動させている」という方がよいようです。昨日の子育ての続き、「家族会議」については私は虐待だと思っています。だいたいが親の意向に従わせるためにするのからです。まあ、上手に育てればそう会議などする必要はないはずです。親は子供を存在するだけで愛することができるはずですが、「他との比較」にのめり込み出すと愛せなくなるみたいです。結局は「親の自己願望の実現」のためかな。子供に一番よくないと思います。成績を見るのは難しいですよ。どう解釈するのか。どこがよいところか。どこを復習すればよいか。などなどで、「何番」とか関係ないよ。ところが、「何番」とかの方がわかりやすく感じるみたいです。子供の通っていた高校の平均点程度の生徒はほとんどの高校で上位者でしょうね。なんで平均点なんで見るんだよ。私の子についてはその高校の先生が「優秀」といっていたみたいです。「平均点あったよ」とか平気でいう生徒は「その高校の平均点程度までしか勉強しないよ」を宣言しているようなものですよ。だから、順位や平均点とかを子供にいったことがないのです。問題は「理解しているかどうか」で、それも「自己の思考で」ね。これ、つきっきりでないとむりかな。まあ、子供の足を引っ張らないようにしました。  5月16日(木)、月曜日とかは朝は冬のセーターにジャンパー、さすがに日中は暑くなりました。左半身の震えがおさまったのですが、火曜日の午前9時あたりから再び出てきました。室温27度程度です。リハビリでも勉強とかでも、企業活動とかもしれないですが、自分の経験した範囲内、もしくは想像できる範囲内から考えられることで思考が止まっている感じの人が結構いるのです。「義務教育」の意味は、「国民に普通教育をうけさせる義務ある。」の義務です。そう、国や地方公共団体、親にね。子供は権利です。固定観念の「・・しなければならない」とかと思い込んでリハビリを受けると回復が遅れると思います。私の回復スピードが普通で他の患者さんが「義務的」に捉えて遅れただけでは。それは、皆さん落ち込んでいましたからね。歩行での足の回し出しも多くの人がそうなってしまっているのでそれが普通と思い込んでいるのかも。想像ができないようです。学校の教師もこの例に綺麗に入ります。科学オリンピックに参加して上位に入賞するような生徒は学問分野では教師の手には負えないですよ。大学レベルを独学で勉強できます。ところが、そのような生徒を知らない教師は「特訓」だけでできると思い込みやすいですね。特に大都市圏の公立高校にはこの意味での「教師の手に負えない生徒」は行かないですからね。「順位」「順位」で育てられた教師は「順位」しか評価基準を持たないといっていいかも。その点、リハビリのセラピストさん達は各個人をよく見ている人が非常に多いですね。まあ、リハビリでの回復度はその人の発病の状況によって違ってきますからね。私なんか「意識不明」の時もあった視床出血みたいです。病院到着時も意識はっきりの視床出血もあるようですが、意識なしなので家族がきていたのは記憶がありません。この状態では、どうも「一生車イス」が一番多いみたいなのです。死というのもね。だから、「奇跡的」みたいになったのですが、私としては「生き延びて」、「割と早く意識が回復」すれば、という条件が満たされたみたいなので、こんなものかなと思ったりもします。過去の経験や学習してきたことなどを上手くつなぎ合わせて思考回路を働かせることができるかどうかということかも。教育の目的は「自分で情報を集め、過去の経験などと合わせて、思考回路を働かせ、新しい価値を創造できるようにする。」ことだと思うのですが、「暗記」ばかりで思考回路の使い方の練習ができていない人が多いですね。  5月17日(金)、数日前に日本ブログ村の病気のカテゴリーの中の「脳卒中」に「私の病名と症状…今さらですが…」というのが投稿されていました。最初の頃から読んでいるブログですと、そう「病状」がでていることが多いので経過とか頑張りとかが理解しやすいです。ブログの投稿の分類分けをしっかりされているところでも、どういう症状だったの?と思うことがたびたびあります。個人情報の問題もありますので、どこまで公開してよいのかという問題もありますが、初期の病状がないと理解しにくいのがこの病気ブログでしょうか。ですから、「私の病名と症状…今さらですが…」というのは途中から読者になった者にはありがたいです。このブログ村のブログでは、最初に遡って読ませていただいたのが結構な数になりました。私の現状だけを見た人は「ちょっと悪くなったようだ」という感想を、だから、「あんた、軽かったのでしょ」になります。リハビリ病院で他の患者さんと話をしていて、発病当時の様子からみると私より重症と思える人でも回復していたり、同程度だと思うのですが、今考えると固着させてしまったような患者さんもいました。結局はリハビリなどの参考にさせていただくためには必要な情報が初期情報や背景でしょうね。ちょっと読んで良さそうだからではよくない場合もあるのでは。ここからはここ数日の子育ての方です。教育にも影響するのが「家族」や「親族」ですね。「毒になる親」というのはそこら辺にもたくさんいますよ。親の面倒を見ない子供もね。これは家族関係が病んでいるからです。学校関係で「親は子供のことを考えている」とか思い込んでいる教師も多いのでは。学校によったら、奨学金などを子供に渡す学校もあります。理由は親に渡すとギャンブルや酒代などに使われてしまうからです。親に金銭的能力があっても子育てできないことが結構あります。教師の子供にもその影響がでていると考えられることもありました。「人格障害」ですね。これ、いろいろな程度でいろいろな発現パターンがあります。「真性のアル中」はわかりやすいですが、高学歴の「素面のアル中」は、同じ高学歴でも周りに与える悪影響は非常に大きくなります。AC(アダルトチルドレン)とは、アルコール中毒の親によって育てられた子供ということで非常に親の影響(まあ悪影響ね)を受けているとか。教師をすると、児童生徒もに悪影響をまき散らします。では、アル中とはどのようなのかは明日アップしたいです。飲んだくれているのだけがアル中ではないですよ。  5月18日(土)、アルコール中毒についてですが、斉藤学氏の定義によると、アル中らしさの性格があって、酒が飲める人が昔からのアル中であり、酒は飲めないがアル中的性格をしっかり持っている人を「素面のアル中」と定義されていました。アル中には金持ちもいれば貧乏人も。男もおれば女も。年寄りもおれば若者も。高学歴者もおればそうでない人も。詳しくは斉藤学氏の「アルコホリクルの物語」を。この著書のなかで「アル中らしさ」として、「人付き合いが下手である。」、だから、疲れて一杯といことになりやすいとか。「怒りっぽい」なのですが、「恨みの感情を持ちやすい」とも。「自分の過去を自慢したがる。」や「権威主義」であり、「有名人でも知っているとその話ばかりする」とかなどなどで、すべてがそろっていなくても「立派なアル中」は存在するのです。酒の飲めない人は「仕事中毒」、「ギャンブル中毒」、「買い物中毒」などなど何か嗜癖をもっているというのです。これらを弱い程度から真性アル中までいろいろな状態でいると思います。教科書みたいなアル中はまだ一人しか見たことがないです。どこかそうらしいというのは結構いますよ。教師の場合は児童生徒に威張れますから、目立ちにくいかも。どこかでこの生活がしにくいつらさを解消できると酒にのめり込む必要はないですね。官庁での出世競争をしているエリート官僚が出世で挫折したら家庭内暴力とかいうのも聞いたことがあります。有名人を知っているから、私は偉いのだと威張ったという話も聞いたことがありました。「虎の威を借りた猫」そのものね。話し相手より、どこかで威張れたらそう本性は出ない人が多いようなので気がつきにくいようです。でも、その子供にはしっかり影響が行きますよ。ACね。このことを切っ掛けにこのような関係の心理学とかの書物を読み始めたら、私も含めて、程度問題ですが、「人格障害」を背負って息苦しく生きている人だらけという感じの世の中だと思いました。このような感じで医療関係者を見るとリハビリ関係が一番まともかも。医師がやばい感じの人の割合が高いように思います。教師は結構やばいと思います。大阪で子供2人を部屋に置き去りにした母親の父親もやばい感じの報道がありました。教師である競技の部顧問で有名だとか。あの堀江氏を「平気で他人を傷つける人々」で取り上げた作家がいました。読みますと、堀江氏が心を傷つけられてきたということを感じました。再生産されるのです。、  5月19日(日)、ブログ村で他の方のブログを読んでいて感じていること、「奇跡的回復」とかいわれたと紹介文に書いているのですが、どうも「奇跡的」ではなく、私の症例ですとリハビリへの積極的な前向きの取り組み、自主トレをしていたら、「回復して当たり前」という感じがしてきたのです。最近は発症後早い時期からリハビリを始めて貰えますね。どうも、その意味を理解できたかどうかの違いという感じが。発病して数週間での取り組みが非常に大切だという感じのブログが多かったです。昏睡状態が長かった方は本人の意思でリハビリはできないですが、家族で取り組まれていた方のもありました。高次脳機能障害が出てきた方も回復が遅れるようですね。ですので、読ませていただくとき「予断」ではなくできるだけ正しく理解させていただくために「病状」が大切になってきますね。私は視床出血なので開頭手術なしでした。意識が回復したらリハビリをはじめることができました。その時から「筋肉の固着」、「関節の錆び付き」を防ぐ動作をしていました。だから、感覚がどこか少し戻っただけで徐々に動かせるようになったのでしょう。入院中にボツリヌス菌毒素を使ったリハビリ(ボトックス療法)があるというのをテレビで見ました。この毒素は筋弛緩作用で有名な毒素です。破傷風菌毒素を打ち消すためにもつかわれることがある猛毒です。固着させなかったら必要のない療法です。初期の取り組み当たりから、ほかの患者と意識が違っていたためと思ったりします。本当に左半身が完全に麻痺しました。それから、4ヶ月後には病院の1階から5階までの階段昇降や一日に10000歩、作業療法ではパチンコ玉をつまんだり、小さな円柱を回転させたりとかできるようになりました。コンタクトレンズはまだ右手が独占的に扱っています。筋肉や関節がいつでも使えるようにしてきたからだと思っています。痙縮させてはダメなようです。症状によってその待ち期間はいろいろあると思うのですが、筋肉と関節、いつでも使い始めれるように常に整備点検しておきましょうね。

2013年5月19日日曜日

空虚な言葉で議論する国、日本

 いつもながら議論とか論戦とか聞いていると言葉が一人歩きをして、実感がこもっていないですね。司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」に「空虚な軍人言葉」というのがありましたね。そう、東条英機などの演説と今の国会での演説や議論を聞いているとタイムスリップしてしまいそうなのです。ですから、見ておく必要を感じながら虚無感になりたくないということで避けます。家族は見ていますが、よく見れるなあという感じです。ですから、アベノミクスででてくるのは二番煎じや「じゃどうするの」(具体的方法提示なし)で空虚な言葉の羅列です。だから、「農業保護」などで説得できないというか農業を潰してきた団体相手に説得はできないか。何をしてきたかを判らせようとせず、威勢のよい言葉だらけです。威勢のよい言葉だらけなら北朝鮮も負けてはいませんね。違いは一応民主国家で国民が国を発展させてくれたところかな。  年金改革とかでもそうですね。政府や官僚の言葉がむなしいだけなのです。「待機児童解消」も入っていますね。保育所に入りやすくなると希望書がさらに増えそうですね。表面的小手先改革がそこら中に充満して抜本改革ができなかったというのは多いですが、その原因も「空虚な言葉」にしがみついているからかも。薬害ですが、一番は医師が処方した医薬によるものだと思うのです。あるブログで患者名が違う検査結果をカルテに張ってあっても確認せず、処方されて酷い目にあった人とか。この人は10年ほど前らしいです。で、医者嫌いに。処方薬はネット販売できる薬品よりキツイですからね。最近世間がうるさくなってきても、対面説明はまともにされていないですね。飲み方など説明書きを見たら判るよ。それに加えて,処方の意味、副作用とかもしっかりと説明して欲しいですが、よくて飲み方だけかな。処方した意味が対面販売で一番大事だと思います。「対面販売」とかという言葉だけが一人歩きしているみたい。  それと太平洋戦争中の帝国陸軍などの行為で「証拠を示せ」とか言っている人がいますね。あの満州の731部隊の敗戦時に徹底したのが「証拠隠滅」だから、「証拠隠滅」の証拠も残っていないですよね。強制労働で賃金を払っているはずだから、通帳を持ってきたら払うとか、通帳は誰が管理していたのだ?、敗戦のドサクサに処分しているから、被害者が持っているわけないのに「もってこい」。もっと、歴史を勉強しなさいよ。どうして、天皇陛下が靖国神社への参拝をしなくなったのかということも。天皇陛下の神社参拝は国事行為ではないから内閣が「助言と承認」という形の命令は出せないですね。国事行為にすると憲法違反になりますのでそれで「憲法改正」かな。  橋下さん、「従軍慰安婦は強制ではないから、今の沖縄でも開設できる」と思っているからこっそりだったようですが威張っていったのかな。日本は凄いノウハウを持っていたことになります。いろいろ弁明していますが、根底は女性蔑視だと取ってしまいました。日本が外国から軽蔑されるから、しゃべらないでください。なにせ、「空虚な言葉」で実質意味を持たない言葉だと思ってしゃべったのでしょうね。そりゃ、アメリカも不愉快でしょう。世界を敵に回したあの時代に戻る気のようですね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年5月13日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No40

リラックスを忘れた脳と筋肉   「諦めずに頑張りましょう。」死に損なった視床出血により左半身完全麻痺になった者より。 お肌を紫外線から守りましょう。  リハビリをする意味合い  リハビリ効果の定着に必要なものは?  自慢はしたくないですが。それなりに特訓をしました。  自主トレをしましょう。  5月6日(月)、昨日もこの頃の硬直感に悩ませました。視床出血ですと、大脳の感覚中枢や運動中枢、小脳も無事のはずです。当然、筋肉、骨、運動神経、感覚器官などもね。視床なので感覚情報が入ってこなくなっただけですよね。それなのに、昨日の投稿に書きましたように「脳が平常を忘れてしまっている」ということです。ですから、感覚が少し戻るとオタオタしてしまうのでしょうね。であるから、なにか悪化したとでも思う人もでるのでしょうか。このオタオタしているときは疲れます。お風呂で筋肉の曲げ伸ばしを念入りにして、脳に以前を思い出して貰おうと思っています。腕の方はしっかり伸ばして右腕とよく似た感じぐらいまで回すことができました。目標の一つに右手(肩の方から)と左手(左脇腹付近から)を背中でがっちり握り合わせることを目指しています。で、歩きにくいとか思っていましたが、9000歩以上になりました。連休中なので歩数は大分減るのは覚悟していましたが、昨日はまあまあということになりました。暖かくなってきましたが、左半身がまだ寒がっています。いつになったら、右半身と同じような温度感覚になってくれるのでしょうか。  5月7日(火)、昨日漸く5月らしくなってきましたね。気温も平年並みになのかな。ところが、このような気温でも左半身は震えています。右半身は快適なのです。汗が出ていても左肩あたりを中心に震えています。この違いも平常を忘れてしまっった脳の感覚中枢のなせる技かな。どのくらいで左右が同じように感じてくれるのでしょうか。私の場合は「寒い」とか「冷たい」をより感じています。まあ、ある意味、少し低めに感じているということのようです。人によってはもっと大きな違いを感じている場合もあるとか。お風呂に入ったら、洗い場の温度(洗う前ね、使用前)では極端に冷たく感じるとかがあるそうです。そのほかにもね。熱く感じる人とか。徐々にならしていくほかないでしょうね。昨日ブチブチ書いた足の硬直感は解消に向かっていて、楽になり、歩行も楽になりました。結局は、一進一退みたいにして回復していくのでしょうね。そして、早いか遅いかの問題はありますが、「諦めたらお終い」の世界と考えてます。ですから、「諦めずに頑張りましょう。」死に損なった視床出血により左半身完全麻痺になった者より。だれかと競争するものではないですよ。期限を区切るものでもないですよ。コツコツとね。最善を尽くすのが「まだ死ぬのは早い」と戻して貰った者の努めかな。  5月8日(水)、最近晴れのよい天気が続きますね。ところで皆さん日焼けに注意されていますか。紫外線の強さは太陽高度に比例します。夏至(6月20日頃かな)の頃が最高かな。すると今は1ヶ月半前(90日ほど)です。夏至から90日ほどというと8月10日付近かな。皆さん、8月ならバリバリ日焼け対策をしますよね。全く同じ強さというのではないかもしれませんが、「同等」ぐらいは覚悟した方がよいと思います。ひょっとしたら、春の方が強い?なんていったりして。気温が低い分露出部分が少ないことが多いので日焼けする皮膚は少ないかもしれませんが、日当たりのよい部分はこんがり焼き上がりますよ。お肌の健康を保つために過度の紫外線は避けたいものですね。  5月9日(木)、その昔は脳卒中による片麻痺は回復しないとか思われていたのですね。とすると、私みたいなのは麻痺したままだったのかな。リハビリの知見の集積から、脳卒中でも早期からのリハビリが有効となってきたようです。脳の可塑性がこの取り組みの一つの要因ですね。破壊された神経細胞は回復しないですが、その細胞の担っていた役割を周りの細胞が肩代わりしていくというのかな。まあ、隠れ脳梗塞などでは障害が表面化しないですね。この手の脳梗塞も頻発すると、障害が出てきます。少しだけなら障害が表面化しないといわれています。これは脳の修復機構によると考えられています。どのように修復するのでしょうか。生き残った神経細胞が樹状突起や軸索を伸ばして回路を新たに作って、失われた働きを補うといわれています。軸索の伸長については「促進因子」や「抑制因子」とかいわれていますし、なが~い軸索は再生しないともいわれています。なが~いというと脊髄部分で軸索が損傷すると脳までや筋肉までとかはとお~いですね。視床部分で損傷が起きる視床出血ではどのように改修しているのかな。感覚が大分戻ってきているのです。全く無感覚になった足の裏とかもです。軸索が再生したのかな、それとも他の神経の軸索を借用?(こんなことできるの?)。軸索の伸長に抑制因子とか促進因子とかあるのは当たり前かな。視覚の軸索が聴覚部位にいっても無駄だからです。軸索突起誘導因子が「おいでおいで」と働いているとしたら、使おうとする必要がありますね。樹状突起や軸索は細胞膜の塊ですね。では、伸ばすのに必要な栄養とは何なのでしょう。以前に書いたことを再び次回投稿します。  5月10日(金)、リハビリの成果が脳の再構築で現れるとすると、それは樹状突起や軸索が伸びているということですね。樹状突起とか軸索とかは細い細い管ですね。管は細くなるほど表面積の割合は高くなります。だから、細胞膜ね。軸索は髄鞘をもっています。シュワン細胞が平たく平たくなった細胞が神経突起(軸索のもとね。細い細い管です。)に巻き付いています。薄く平たくなるほど体積に対する表面積の割合は大きくなります。だから、細胞膜だらけですね。ですから、脳は細胞膜の割合が非常に高くなります。だから、構成成分で脂質の割合が高くなりますが、見た目は脂ぎっていないです。どうしてかというと、細胞膜の主成分が脂質で、細胞膜はその表面は水と仲良くできます。水と仲良くできる親水部と水が嫌いな疎水部からなるリン脂質などのタイプの脂質からできています。この脂質は人間が造れる飽和脂肪酸も原料に使いますが、人間が造れない不飽和脂肪酸を必ず使う必要があります。飽和脂肪酸だけですと、ラードみたいに脂ぎって固体になってしまい、細胞膜の特徴の柔軟性(流動モザイクモデル)がでなくなってしまうからです。それで、必須脂肪酸と呼ばれるのがあるのです。必ず食事で摂取する必要のある脂肪酸です。不飽和部分の位置とかでω3とかω6とかなどの系統があります。普通サプリでよく出ているのがω3系列でDHAとかEPAかな。DHAが脳の発育で有名なのはこのような理由だろうと思います。そして、食材に偏りが結構ある脂肪酸です。ω6系統の例としてはリノール酸、これ、工業的に大量に安価に穀物から抽出できるようになりました。まあ、サプリで摂らなくても、普通に食事をしていても細胞を食べていたら、極端な不足はないかも。ただ、樹状突起や軸索等の再生時には結構な量が必要とも思います。リハビリ効果の定着が脳の再構築によるとすると考えられることだと思います。しっかりと万遍なく栄養を摂りましょう。偏りとか、食べ過ぎはダメですね。  5月11日(土)、リハビリ病院入院中で記録を記憶しているのが2つあります。一つはリハビリ病院に転院した直後の歩行時間、杖をついて10mを何秒で歩けるのかというものです。38秒でした。時速ですと947mぐらいになります。但し、数十m歩くのがやっとの時です。それから、100日ぐらいのち、退院前の測定ですと、6分間で420mでした。時速にすると4.2kmです。当然、ノンストップです。まあ、この頃には「散歩」で2000歩ぐらいを一日に3回は歩いていました。今一度、振り返ると発症時は完全左半身麻痺、視床出血ですから「感覚麻痺からの麻痺」です。このことは、視床出血と聞いたときに思いました。筋肉や運動神経には障害がないということも理解しました。ただ、感覚(入力ね。これを「文」とする。)がなくなると、制御情報がなくなるので動作(出力ね。これを「武」とする。)できなくなりました。文武両道で体の動作ができているのですね。「物を掴む」という動作は、物の形状を判断し、手の状態を掴みやすいように筋肉を使って調節する必要がありました。物の状態は視覚及び触覚などですね。触覚は麻痺して使えません。文の一部(視覚)でしました。物の状態に合わせて、手の位置を合わせたり、手のひらを広げて、掴めるようにするわけですが、腕の筋肉を使うことに(武ね)、ところがどの程度の位置かとかは筋肉感覚(当時は戻ってなかった)と視覚(文ね)で調節することにね。ところで、腕や手の指が曲がったままではものは掴めないです。それで、特訓しました。はい、指を伸ばして、且つ、特定の指を曲げる動作もできるようになりました。歩行についても足の筋肉感覚や皮膚感覚がない分を補うようなリハビリを当然しました。歩行に対しては「車イスを麻痺した足も使って漕ぐ」というのが役にたったと思います。リハビリ病院でみていたら、麻痺していない足だけを使ったり、押して貰ったりだけの患者さんを結構みました。事情はあると思いますが、歩行練習ができるのなら麻痺した足も使おうよ。  5月12日(日)、昨日、特訓とか書きましたが「自主トレ」ですよね。これ、公認の自主トレとヤミの自主トレがありました。公認の方はリハビリ室でできますので、危険の度合いは低かったです。自転車こぎで自転車と一緒に倒れそうになったりしたこともありました。倒れていたら、退院はもっと後になっていたでしょうね。PTでは平行棒を利用しました。足運びの練習です。足運びが悪いと疲れるわ、格好悪いわ、速度は出ないわの三重苦になりますので。今でも足運びに問題が出そうになるので矯正を意識して歩いています。自主トレで他の患者さんをみていたら、「足の回しだし」の方を結構見かけました。これでは自主トレになっていないのでは。私は今は6000歩ぐらいは休息なし(少しの立ち止まりあり)で歩けます。急性期の病院では原則、看護師が車イスを押しますので「漕ぐ」はできないので、車イスに座ったまま、麻痺した方の足を踏ん張ってみるとか、トイレで介助棒にしがみついて体重を幾分かけてみるとかしました。しがみつく方は失敗すると床落ちになります。こっそりで失敗なし。車イスに乗り移るときに床に落ちたことはあります。看護師さんも慌ててました。私も想定外でした。階段の昇降練習は危険が伴うので許可が出るまではセラピスト付ですので、リハビリの時間のみ。で、「階段練習」をしつこく要求しました。足を鍛えるのに階段は有効ですよ。許可が出てからは、エレベーター使用は激減しました。これも自主トレに入ると思います。作業療法の方は、まず、腕や手を伸ばすや広げる。夜よく寝れるようになりました。これ以降夜9時ぐらいに寝て、朝6時頃起床になりました。若いですから、一旦就寝すると翌朝まで起きる必要なしです。指を伸ばせるようになったら、必要に応じて指を曲げる練習、作業療法の自主トレね。筋肉と関節が固まらないようにトレーニングしていたのが自主トレの始めかな。麻痺していない側の助けを借りてもよいですから、麻痺した方の筋肉を伸ばしたり、関節を使ったりしましょう。注意、私の場合の自主トレなどはすべて自発的意志によります。これを読まれて、無理強いすることのないようにお願いします。例えば、子供の教育で一番よいのが「自発的に」であり、「知的好奇心を満たすため」です。自己の向上心が不可欠です。誰かと比べたり、義務的に勉強させるものではないです。「知的好奇心」がないのなら「進路目標」とかでも仕方はないと思いますが、満たされれば勉強しなくなりますよ。持続的に自己の向上に取り組むのが楽しいと思えるように育てることです。

2013年5月12日日曜日

参議院環境委員長の解任決議のゴタゴタ

 参議院環境委員長の解任決議が5月9日に参議院本会議で可決されましたね。形式論で入り口?のことで本質を議論しない日本の特徴がよく出ているゴタゴタでした。今の安部政権の支持率がよいのは民主党3年ほどの政権当時との比較でかな。酷かったですね。学級委員長みたいな鳩ぽっぽ、知ったかぶりの・・、で野田さんが一番よかったですが、足の引っ張られまくりで良さを出せずに衆議院選挙で負けてしまいました。今回のゴタゴタの意味するところの考え方と事業仕分けで「2位ではダメなのですか」と啖呵を切った人の意識は同一かな。典型的な日本人でしたね。「村社会の引きこもり」の面々をよくあれだけ国会議員に選んだものですね。一票の格差なんて関係ないような田舎者ばかりだと思いました。ここでいっている「田舎者」とは狭い範囲の集団の思考パターンしか出来ない者という意味です。ですから、住所はどこでもいいのです。  昔の農村での水争いなどの集落の利益さえあればよいという発想がグローバル化した現在の日本の国会で引き継がれているという無様を世界に見せつけましたね。それで、遂に1ドル100円の大台を突破できたとも考えられます。「歴史を直視」の意味の全くわかっていない総理大臣、天皇制を潰そうとしたのはあの開戦を決定した人々ですよ。政治に携わる者にとって数ヶ月先の予測もできないというのは情けないですね。同類が東京電力にもいたわけですね。議論して実質事項の決断ができなかった人々が。だから、歴史の直視の中には「日本的なあなあ」の問題点の検証も入ると思います。  大日本帝国憲法でも天皇は政治には口差しができないですね。それをよいことにして、天皇の名で戦争を起こしたのは誰でしたかな。天皇に死を覚悟させたのは誰ですか。それで、天皇に犯罪者の汚名を着せたのは誰ですか。このように天皇に責任を押しつけた歴史を直視してください。無責任極まりない当時の政府を主導していたのは誰ですか。  日本得意の「足の引っ張り合い」にはウンザリしています。なんとかならないでしょうか。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年5月6日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No39

脳の可塑性  症状の理解度とリハビリの効果  まだまだ回復させる、完全復活をするつもり 汗腺も使わないと錆びつきます。筋肉などもね。 寒さはリハビリの敵なのかな  当初の症状とリハビリへの取り組み  久し振りに会った医療関係者からみても「回復が早い」と思うみたい  脳と動作器官、感覚器官のあいだが繋がるまでしておくこと  4月29日(月)、ブログ村病気脳卒中のページでいつも上位の「自分の脳をほめてやりたい」というのがあります。そこを読んで感じるのは脳の可塑性を信じて挑戦している姿です。私も「脳が障害を受けた部分の代わりを樹状突起や軸索でつなぎ直して働きを取り戻すことができる」ということを信じてという感じです。脳では「神経成長因子」が働いています。「軸索突起誘導因子」も働いています。でも、これらは「脳を使う、使いたい」と手足などを使おうと悪戦苦闘をするから、分泌されるようです。人間の体は使わなかったら退化します。今回の視床出血で麻痺して怖かったのが、筋肉運動ができなくなって起こる筋肉の退化と骨の密度低下です。筋肉が退化すれば、骨も脆くなります。骨折が起こりやすくなります。筋肉が退化すれば、筋肉収縮による脳への刺激もなくなります。「あくび」の原因の一つに「運動不足」もあげられています。脳の活動レベルの低下ですね。この低下が起こるとリハビリ効果は低下するでしょうね。脳というのはどうも使えばそれなりに答えてくれるようです。それを実感すると「自分の脳をほめてやりたい」になるのでしょうね。脳出血や脳梗塞ですと筋肉などの動作器官は損傷がないのですが、「使わないと錆びる」ですね。脳からの命令があって動作でき、その状況が感覚神経で戻ってくるのです。脳が再構築しているのを助ける取り組み、その間動作器官が錆びつかない取り組みが必要になります。脳の再構築で重要な働きをしているのが「軸索突起誘導因子」(樹状突起でもあるようです。)だと思うのです。これは成長因子みたいに注射とか(動物実験の段階)での投与は無理だと思います。必要な部分から分泌して貰うしかないのでは。そのためには、やはり、日中はからだを起こして、手足を屈伸したりなどリハビリ時間以外も筋肉や関節を錆びつかせないようにし、いつものリラックスしている状態に近づけてあげる必要があるのでは。  4月30日(火)、先日、姪夫婦が生後6ヶ月の赤ちゃんを連れてやってきました。その時、子供を作ってノイローゼになった母親の話を聞いて、不安になって産むのを躊躇っていたという話を聞きました。産んでよかったが今の実感だと。今は情報が溢れているようで普通の情報が得にくくなっているように感じるのです。以前はそこら中で子育てがあり、身近で新生児から育てている様子がみれたのです。今は、各戸に分離され、手伝う機会などがなくなってしまっています。「わからない」→「不安」→・・・となりやすくなります。チンパンジーでも、人間が隔離して雌を育てて大人になるまで、他の雌が子育てしている様子に接する機会がない場合は子育てできないといいます。人間はもっともっと学習して生きている動物です。闘病も学習効果が出てくるようですね。そこで、重要になるのが医療関係者の説明では。悪いですが、症状の説明はなかったです。「視床出血」→「感覚麻痺」→「筋肉、関節、骨や運動神経などには損傷なし」→「感覚が戻れば動かせる」→「感覚を取り戻すために刺激など」→「脳を活性化して、再構築を促進」→「筋肉や関節、骨を使えるように維持しておく」(安静はダメ)→「動き始めました。」。以上、視床出血ときいて、考えた道筋かな。ちょっとちぐはぐがあると思います。私の学習が「知識のバラバラ記憶」ではなかったという証拠になると思います。ところが、学習の道筋が悪いと「感覚がない」→「麻痺」→「どうなるのだ」で止まっているようなのです。リハビリ病院で他の患者さんをみて感じたことです。「状況がわからない」→「不安」→「何もしない」→「筋肉硬直、関節さび付き」→「動かせない」→「固定化」となるようです。ただ、医療関係者にとってはいえないでしょうね、「歩けるようになりますよ」とかは。歩けないと訴えられますからね。「車イスのままかも」の方でしょうね。理由は患者の状態がいろいろだかだと思います。視床出血で出血量がぼちぼちまでで、意識不明に一時なっても、半身完全麻痺になっても、ともかく死に損なって意識が戻ってきた私みたいなのは心掛け次第で私みたいに「奇跡的回復」といって貰えるようになるはずです。前提条件に注意ね。あるいは他の患者から「軽かったのでしょ。(あんたのリハビリへの取り組みが悪かったのよ。くそったれ。)」とか嫌みを言われたりね。医療関係者の方々は後で訴訟を起こされないようにしながら、患者のモチベーションをあげて下さい。  5月1日(水)、少し近況を。この頃、顔での違和感の範囲が少し狭くなった感じがします。腕の痺れは相変わらず続いています。硬直感はお風呂での体操の効果か、引きずらないようです。足の硬直感はよく出ますが、お風呂で足を伸ばすということ、腕同様に痛みとかは浴槽では余り感じないですね。翌日になると硬直感が弱くなって歩きやすくなります。そして、また、硬直感が強くなって・・・の繰り返しですが、基本的には回復してきていると思っています。完全復活を目指して、日々ごそごそしたり、うろうろと歩き回ったりして、腕や足の感覚刺激を与えたり、筋肉を使うようにしています。使わないことには退化してしまいますからね。感覚のない部分を動かしてみたり、他のものに触れさせてみたり、怪我をしないように注意しながらごそごそしてみましょう。「使ってなんぼ」ということを忘れないように頑張りましょう。  5月2日(木)、5月だというのに寒い日が続きますね。日経サイエンスにあった「温暖化で冬が寒くなる」を証明するような冬であった感じだけではなく、春がなくなってしまうのかという感じも。ところで、リハビリには筋肉が緩むということが大切と感じています。寒さで収縮してしまうと硬直しているのと代わらないですからね。暖房をして、室温を上げるというのもぼちぼちぐらいでないと気持ち悪くなりますね。暖房はこの程度と乾燥による問題程度ですむみたいです。室温を上げすぎると弊害が多くなるのでは。夏の冷房で強すぎると、「体温調節能力」がはっきり低下するようです。特に発汗できなくなることによる弊害です。人間の汗は、自然に一応は出ますが、体温調節に役にたつような発汗は練習と訓練によるところが大きいといわれています。体を使わないと退化して使えなくなるのと同じだそうです。昨年、視床出血した後、気になったことのなかに「汗」というのもありました。例年は今頃にその年の夏に向けて「発汗の練習、汗腺の訓練」をし始めるというのが普通だそうです。汗腺は訓練によって能力が維持されているのです。脳梗塞や脳出血では、制御する神経系がダメージを受けている場合もありますね。私の場合はそれでもなんとかなったようです。電気料金も東京電力のアホのお陰で値上げですね。損害賠償を請求したいです。例年以上に二酸化炭素で暑い夏になりそうですが、汗で熱中症にならないようにしていきたいです。ブログ村からOUTポイントをつけないで参加サイトに行く方法を漸くしました。邪魔くさいですね。普通にします。自分のサイトは書き込んでいるから、ほとんど見に行かないですよ。訪問して下さっている方々にはお礼申し上げます。  5月3日(金)、症状の重症度とリハビリとの関係ですが、症状の方の程度は発症時は軽く軽くみていたと思います。「死」はまったく考慮外でした。麻痺の方は左半身にでていたので覚悟していました。「リハビリで復活だ」とね。その後、意識不明やベッドから頭を下にしての転落とかありました。視床出血の死亡率の高さや後遺障害の深刻さはネットで調べることができるようになってから、追々わかってきました。リハビリの方は確信犯的に「筋肉を伸ばす。関節を使う。筋肉を使う。」などが絶対必要と考え、やっていました。後で調べることができるようになってから、やっていてよかったことが結構ありました。死亡率は生き延びてしまえば関係ないですね。意識もはっきりしてきたら、他の人の例は関係なしかな。回復例は役にたったはずですが、入力なし。家族は医師から「一生、車イスかも」とかいわれたりしますよね。それで、「がっくり」を患者に悟られたら、患者が沈没するかも。私も「一生・・・」は聞きましたけど、「馬耳東風」、それと「かも」とかいうのは可能性をいっているだけです。結局はやってみな判らない。前にも書いたように判断をしていたので、リハビリが早く進むことになったのかも。脳梗塞や脳出血での障害がどのようなものでどのような回復例があるかを例示してやればよいかも。但し、失敗例も必要かも。何もしなくても、間違った方法でも回復すると思う不届き者もいると思います。私の回復が結構早いのでこのような「復活」とかの信用度を上げるには「発症時の症状」というのが絶対必要と考えています。歩行ですと、麻痺したとは見えないような歩行になってきています。あの麻痺した人特有の足の回し出しではなく、普通の人の足運びの感じになってきていますから。腕も伸びています。モーツアルトを聴きながらの血圧測定は聞いていないときより低めになっていると感じています。  5月4日(土)、近くのショッピングセンターで看護師をしている知人に会い、杖と歩き方で感知され、さすがです、視床出血というのでで話は早かったです。ただ、回復の度合いについてはびっくりされました。「早い」とね。リハビリ病院でも「階段」というと、「それで、追い出されたのでは(笑)」。回復が早いので入院している必要なしかな。腕の方も伸びていますしね。また、時間ができたら、武勇伝でもという話になりました。今の困りごとはちょくちょく書いています筋肉の硬直感や曲げ伸ばしの時の痛み、これはお風呂でするときには痛みはないです。痺れはいまだに続いていますが、後しばらくしたら顔の部分は終了するのではと期待しています。各所で感覚が回復してきているのがわかるのです。いつ頃からかは別にして、感覚のなかった部分で感じることができるようになってきています。このような再生が起こっている間は痺れは続くようです。完了すればおさまるということですが、再生が起こらなくなってもおさまるみたいです。この再生というのは脳でです。脳での再生というか再構築を起こさせるにはどうすればいいのでしょうか。方法はいくつもあるかも。どの方法を使うかですけど基本はあるみたいです。そうそう、発症直後の介護認定で「要介護4」、次の更新で「要支援1」。このまま回復が続くと「介護保険からの転落」かもとかいわれました。  5月5日(日)、手や足の動作を観察してみると、「曲げる」という関節を介して屈曲させるということで作業ができるようにできていると思います。ところで、麻痺すると勝手に曲がりっぱなしになってくれますね。私もそうでした。例えば、コップを掴むという動作をするためには指を伸ばす必要があります。伸ばして曲げて掴むになるのです。筋肉はなぜか麻痺すると収縮したがります。俗にいう緊張状態かな。さらに脳が普段のリラックスした状態を忘れてしまっているようです。その結果、腕や手が固まってつかえないのだと感じました。それで、発症後1~2週あたりから必至になって腕と手を伸ばす運動をしました。伸ばせたら、指は簡単に曲げることが、そして割と早く指定の指の曲げ伸ばしができるようになりました。後は感覚神経の復活待ちに、それまでの間は手や腕が固まらないようにしています。手や腕を伸ばす動作を始めた頃は全身の筋肉が収縮している感じになりました。そう、脳が忘れているという感じです。これは以後、頻繁に感じています。私みたいな視床出血では、脳での再構築と再学習が完了するまで筋肉や関節を動作できる状態で維持する必要があると思うのです。どのようにすれば、脳の再構築が進みやすいのか。これは、進化の歴史と日常の普通の生活を考えたら出てくると思います。最近、ブログ村のいくつかのブログで脳についての投稿がありました。それで、私のリハビリへの思いをくどくど書きたくなりました。人間の脳は直立して、手を自由に使い始めたから、それに連れて発達したというのが今の一番確からしい説です。だから、手を使うと脳が活性化されるのですね。ただ、足も使う方が当然いいです。そして、人間は言語を使うようになりました。聞くというのもありますが、「誰かと話をする」ということも脳の活性化にはよいようです。そして、脳に受け身としてではなく主体として「・・をしたい」とかを感じさせることが必要のようです。認知症予防にも効果がありそうな気もします。人間は普通直立しているのですから、入院中も上体を起こせるようになったら、上体直立。ベッドから移動してよいのなら椅子へ。等々、できるだけ普通の活動をすることが脳への刺激になります。脳に刺激を与えて活性化を、再構築を。脳と筋肉や感覚器官をつないで、はじめてリハビリができたということになるのでは。繋がるときまで、動作器官や感覚器官を維持しましょう。

2013年5月5日日曜日

憲法改正の前にすること

 憲法改正論議が盛んになってきましたね。憲法はころころ変えるのものではないですが、どこかの宗教みたいに「永久不滅」みたいに扱うものでもないですね。時代に応じてどうしても必要な変化には対応する必要があります。  ところで日本の場合、先の「大日本帝国憲法」をその規定に則って、今の「日本国憲法」に改憲せざるおえなかった経緯について、十分な反省、検証が全くないですね。明治の元勲達が精魂込めてつくった「大日本帝国憲法」を無視して、条項の拡大解釈をし、憲法の精神の通り、行政などに天皇が口出ししないことを逆手にとって、日本を潰すというか、国のことを省みないで戦争に突き進んでいったあの時代の検証と反省がないままです。昭和天皇に死を覚悟させた戦争、国体が潰れると簡単に類推できたはずの戦争に突き進んでいった行政機構(軍も官僚機構だよ)の発想やその精神状態などへの検証がないのです。  議論をしても、核心部分からずれる日本、熟慮しての判断ではなく「流されて烏合の衆」になりやすい日本。だから、あの時の指導部の責任は日本を自分らの見栄の博打につかったということ、部下には必要な情報を収集することをよくないことと思い込ませ、無知状態にしたことなど、等々です。あのようにならないようにするにはどのようにすることが必要なのかが全く出てきていないのです。  金融緩和でも、日本は世界のトップを走っていたのに、どうして市中にお金が回らなかったのか。この点で今回の異次元緩和でももうすぐボロが出てくるかも。多くの国が規制緩和で市場が拡大しましたね。日本は一部元気な企業によって引き出された規制緩和部分以外は失敗の部類に入るものが多いですね。どうして、そうなったのか議員は考えたことがあるのでしょうか。東京電力の体質はこのような日本の体質と同じだったようですね。事故の大切な情報はまだ出ていない気がします。戦争末期に敗戦受け入れの決断ができなかった内閣と同じように決断ができなかったのでしょうね。  物事の本質を見極め、的確に判断するということへの取り組みが必要だと考えています。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。