2013年9月30日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No60

手足のブルブル(暴れるほうね)   視床出血の前兆は? 私の実感→諦めてね。予防ぐらいかな。  介護やリハビリなどでの休息→やすまにゃ草臥れるわい    パソコンの不都合、で、パソコン、手段と目的、どっち?  皆さんDHA(ω6系)などの不飽和脂肪酸をぼちぼち摂取していますか   原因と結果、その関係は。一番のダイエット食は糖尿病食   病気の原因で本人分はどの程度?  9月23日(月)、またまたまた、ある方のブログに「暴れるけれど」というのがありました。腕がかってに震えているとね。私の場合は入院中ですと、自立浴や展望風呂での入浴時にいすに座ったときに足で震えを。そして、退院後は中途半端な力を加えてやると、そこら中で。腕の震えはだいぶん治まったようです。コンタクトレンズ装着が楽になってきたのでね。腕が震えると、指先も震えますよ。私の解釈では筋収縮の度合いを脳に知らせる感覚神経がちょっと復活するたびに忘れっぽい脳が調節具合を求めて試しているから震えるみたいに暴れているのかなと思っています。筋肉の収縮具合は筋紡錘などで感知しているようです。出血後、代わりに働くようになった神経細胞が練習しているためかな。代わりの神経細胞に働いてもらうためには、「つなぎ替え」が必要です。これは、動かなくても動かそうとするとか、健常側の助けを借りて動かしてみるとか、脳に働きかけるしかないと思っています。そして、早ければ早いほど筋拘縮とかになる前に少しは動かせるようになる可能性が高いです。そうできたら、リハビリによりよく取り組めますよね。だから、「時間がない」のです。待てないのです。悲嘆に暮れる暇はないのです。待てないというのが私の思いでした。いつ回復するかわからないですが、待っていたら回復しなくなります。続けることも必要です。人間の足や腕などは筋肉の収縮具合などの感覚情報があって、脳は安心して筋肉に収縮命令を出せるのです。ですから、代替の何らかの情報を与えることで幾分かは動かせるようになるのでは。そのひとつが、「視覚」からの情報かな。思い出してみると、指が動かせるようになったときは「じっと手を見る」状態だったです。はい。手の感覚は戻っていなかったと思います。いまでもかな、コンタクトレンズを持たせても無感覚です。歩行練習の時も健常側で麻痺側の感覚を補うように感じてやってくださいと教えてもらった記憶が。  9月24日(火)、ほかの方のブログを読んでいると、「脳梗塞の前兆」とかを投稿されている方が結構あります。ならば、私の視床出血の前兆をかければよいのですが・・・。出血したのは夕方6時頃職場のトイレでほげーと気を抜いて放尿中でした。頭の中で異様な感じが。手を洗ったときにすでに左手がおかしかったです。即、病院に行こうと行動を起こした次第ですが、あとあと救急車の方がよかったとね。脳外科で掛かり付けでもあったのでそこに救急車でも連れて行ってもらえたようです。知らないというのは恐ろしいですね。当日とか前日など全く違和感とかなしです。突如ブチューと漏れたようです。ただ、20数年前の一晩2~3リットルの消化管出血やその後のちょろちょろ漏れていたので、そのうち、体のどこかでドバッと出血するかもとは思っていましたが、いつものちょろちょろ漏れで鼻血より少ない量だったもしれないですが、視床に。視床は10ミリリットルを超えると死亡率がグッと高くなるような出血だというのです。20ミリリットル越えは全滅みたい。リハビリ病院で50ミリリットルほど頭のどこかに出血された方が居ましたが、視床では完全に葬式の量だと思います。動脈瘤破裂の場合は前兆があるとかいいますが、視床出血とかでは前兆がないみたい。なにか悪いですが、出血してから慌ててくださいね。それから、よく漏れている場所みたいなので、皆さん、出血しても困らないような生活をするしかなのかな。「視床出血の予後について ー入院時の意識レベルとCT所見の立場からー」などの論文も参照してね。視床出血は今は血抜き程度を行う施設もありますが、しないところもあります。、脳圧亢進時に水抜きをするとか。視床は頭蓋骨の中心、頭の中心、そして、脳の中心にあるので手術の難しい場所だとか。漏れたら治療は諦めて、リハビリに励みましょうね。  9月25日(水)、一昨日、「待てない」と書きましたが、「休息が取れない」とは思わないです。ただ、どのぐらいの休息期間なのか、1日?2日?3日???で話は変わってきますし、1日の中でも休み時間は必要だと思います。健常側の腕で麻痺した腕を1日中動かし続けれると思いますか。私はできませんよ。実際していなかったし。「奇跡的回復」とかいわれた私でもです。まあ、諦めずに継続的にくたびれない範囲でかな。わんちゃんは家族が言い出して飼い始めました。生き物の世話に休みはないですね。子育ても休みなしですが、こちらは成長すれば・・だし、今回ひょんなことでちょいちょい助けてもらえました。ところで、「介護」になると、多くの場合、徐々に徐々に重症化していくことが多いですね。介護している家族に休みなしでは倒れてしまいますよ。「休息」というのがどのようなことにも必要では。プロ野球の選手がどうしてゴルフ? 好きで好きで野球選手になったのでしょ。人間一つのことに没頭しすぎると弊害が出てくるようです。それを防ぐのが「趣味」であったり、「「ボケッとするだけの休息」であったりとかが必要になるのでは。私が「奇跡的な回復」ができていなかって、車いす生活でしたら、家族の負担はもっと大きいものになっていたでしょうね。「世話をする立場の人に休息を」取れるようにしてあげることも必要です。わんちゃんとの朝夕の散歩で1日4000歩前後になっています。世話をしているのやら、リハビリにつきあわせているのやらどっちかな。勉強も仕事も休息と笑いが適度に必要と思っています。歩行練習リハビリの休息をとりすぎるとあとあとず~と車いすに座って休息状態とかになってしまう恐れもありますよ。適度な休息を。これはある方のブログを読んで思ったことです。  9月26日(木)、またまたまたまた、ある方のブログで「パソコン不都合・・・」がありましたので、ちょっと趣を変えて、パソコン趣味の話を。私は俗にいう「パソコン自作派」で、最盛期は年に1台ぐらいは増殖していました。ここしばらくは大人しくなり、Windows7のファミリーパック(3台分ライセンス)もまだ1台分余らせている体たらくです。この8月までメインで使っていたビスタマシーンがしょっちゅう硬直してくれるようになってしまったので、小遣い銭稼ぎにも支障がでそうなので、Windows7マシーンに乗り換えました。1~2ヶ月ぐらいかけて移行ね。故障の理由は?手な感じなのですが、マザーボード交換か電源交換かな。視床出血していなかったら、原因究明をしているのでが、する気が起こらなかったです。で、今のところ、まともに使えるのは1台もなしみたいな手間はあります。USBの機嫌が悪いとかなどなど。トラブっていないとパソコン使っている感じがしないとかね。修理を考える前に、新しいのを組み立てを考えるかな。今まで、「パソコンで・・」と「パソコンをいじってきたついでに・・」の違いかな。前者は仕事の手段、後者はパソコンが目的?で、私は後者ね。今、手元にあるパソコンで一番新しいのは35000円ぐらいで組み立てたと思います。電源付きのタワー型ケースが4000円ぐらいだったかな。CPUが6000円ぐらい、メモリーが5000円ぐらい、ハードディスクが5000円ぐらい、マザボが7000円ぐらい、DVD-Rドライブ(ダブルレイア書き込み可能)が3000円ぐらいかな、マウスは500円の愛用者だし、キーボードは1000円も出せば高級品ね。だから、マウスなんて消耗品です。あるパソコン雑誌で3万円で組み立てるパソコンなんて記事が出ていたときだったです。これ以前は電源だけでも10000円以上のを購入したことも。今回ぽしゃった分ね。ですので、常に最低2台以上はパソコンが使用できる状態にしておかないと困ると思っています。「メーカー製にしたら」とは思わないです。ですから、マックはないでしょうね。まあ、トラブルを楽しみながら、自作パソコンを使い続けていきます。私の人生もトラブル続き? 思い出したこと、相当以前に調子の悪くなったパソコンのマザボの電源コネクター(受け口)に別のケースにつけたままの電源のマザボ用のケーブルを伸ばしてコネクターに無理矢理差し込んだことがありました。正常に動作するもんですね。ケースをたたいたり、接続しているケーブルを揺するとか抜き差しなどはしょっちゅうしています。ただし、引っ張るとかはしていないですよ。LANケーブルですと、引っ張ると留め具が破損してコネクターに滞在しくれなくなったりなどの被害がありますのでね。また、内部で断線が起こるとか。ケーブルは少しゆったり目がいいですね。パソコンは精密な電子機器ですから、丁寧に扱いましょう。自作のよいところは好みのソフトだけをインストールできることかな。また、特定用途向けを考えることも。手段と目的を取り違えないようにね。あくまでも、リハビリは回復の手段だと思います。パソコンは何かをするための道具のはずですが・・・。  9月27日(金)、脳梗塞や脳出血でダメージを受けた部分の神経細胞は死んでいるはずですね。神経幹細胞なんて見つかっていますが、まだまだよくわかっていないです。普通は神経細胞体は死んだらお仕舞いかな。だから、感覚麻痺や運動麻痺などが起こるのですかな。脳の中で何らかの修復ができないのなら、麻痺したままになるはずですが、現実には徐々に回復していますね。これは脳で何らかの変化が起こっているのですね。この変化のために必要なのが栄養と刺激かな。刺激とは使おうとする刺激などかな。だから、リハビリね。栄養ですが、脳は脂質の割合が高い。ネットで調べたら50%とかもありました。でも、脂ぎっていない。どうしてでしょうか。脂肪細胞や霜降りの脂肪は人間でも大量生産できる飽和脂肪酸かな。飽和脂肪酸は室温で固体ですね。そのままでは生命作用には使えないですね。適度に不飽和脂肪酸を混ぜてやる必要があるのです。この不飽和脂肪酸で人間が合成できないのがあって、必須脂肪酸といっています。では、脳のどこに大量に使っているのでしょうか。それは主に細胞膜などの生体膜などです。まあ、人間のすべての細胞で生体膜はあるので必要ですが、脳などでは大量に。樹状突起や軸索の構造を考えると、細胞膜がやたらと多いですね。細長い管ですからね。小さいほど、細いほど、体積に比べて細胞膜の割合が高くなります。子供の脳の成長は樹状突起などを伸ばして、神経細胞間の接続を増やすことだともいわれています。我々の脳も樹状突起等を伸ばして、新しい接続をつくることで感じれるように、動かせるように徐々に徐々になっていくのではと思っています。ですから、人間が合成できないω3系(リノレン酸)やω6系(リノール酸)などの不飽和脂肪酸が必要なのです。ぼちぼちの量ね。不飽和脂肪酸を摂取していないと細胞膜が弱くなり、いろいろな弊害が出てくると思います。樹状突起などで新たに接続ができた神経細胞がはたくためには「学習」が必要です。繰り返し学習する必要があると思います。それが、「動き始めたが、できていたのにできない」になると思います。子供の成長を見てください。歩行でどれだけ練習しているのか。話すことでも、お箸を使うというようなことでも。そうそう、以前投稿しましたように病院食に不審を抱きました。で、サプリメントを購入しました。不飽和脂肪酸が足らなければリハビリの効果も落ちてしまいます。脳での修復している最中は痺れが起こるともね。  9月28日(土)、我々の脳出血では「手や足が麻痺したから脳出血した」とは誰も言わないですね。「脳出血で、その結果として手足が麻痺した」とかいうのが普通ですね。この麻痺したに当たる症状に「尿にブドウ糖がでた」という病気がありますね。それで、糖質制限に突き進むというのはよくあるようです。でもね、血液100ミリリットルあたり100mgぐらいのブドウ糖が含まれるように調節されているのが普通です。炭水化物を食べなくても、肉や脂肪だけであっても血液中には必ずブドウ糖が含まれています。理由は神経細胞がブドウ糖のみをエネルギー源に使っているというためです。そのためか、糖尿病食ではどうも結構炭水化物の割合が高いみたいです。脳に必要なブドウ糖を摂取するか肝臓でつくるかする必要があるのです。インスリンは炭水化物だけではなくアミノ酸などでも分泌されるというのです。インスリンが分泌されれば、血糖値は低下します。そのとき、下げる対象のブドウ糖が摂取されていなければ、血糖でも下げることに。糖尿性昏睡ね。昏睡は困るので血糖値上昇のホルモン総動員して肝臓にブドウ糖を生産させることにかな。肝臓はインスリンの指令を守らなくなっていく可能性ね。炭水化物の摂取なしも過剰摂取もだめだよ。早くいえば、過食はだめね。バランスの悪い食事はだめ。運動不足もだめね。日本人が欧米に長期滞在すると糖尿病の発症率は倍になるとか。アメリカ現地人のビマ族でしたか、アメリカのあるところにすんでいる人は20歳過ぎれは半数以上糖尿病で、同じ民族でも貧しい昔ながらのトウモロコシ主体の食事のメキシコの方は発症率は低いとか。欧米はタンパク質と脂肪の割合が日本より高いそうです。「ブドウ糖が尿にでたので糖尿病になったのではなく、糖尿病と診断された」であって、「何らかの原因があって、血糖値が上昇し、その結果として尿に糖が出てきた」かな。食事の後、ある程度は血糖値を上昇させている方がよいかも。急上昇はよくないかな。インスリンが分泌されている間、ぼちぼち程度の上昇、インスリンが作用できる程度までの上昇ね。「こうすれば大丈夫」などはないと思います。食事や日常生活全般で予防する方がよいかな。このときの食事には「糖尿病食」でね。糖尿病食が健康に一番よいのではとも思います。ダイエットにもね。  9月29日(日)、病気の原因で本人分ね。例えば喫煙ですと肺がん(扁平上皮がん)は喫煙が大多数ですかな。咽頭がんもね、とか、直腸がんも何割か喫煙由来というし。COPD(慢性閉塞性呼吸器疾患)は「たばこ病」として有名です。これ、根本的治療法なし。肺移植が根本的かな。糖尿病にも影響。書いていたらきりがないので。脳梗塞では喫煙や高血圧など危険因子があります。食生活や生活習慣も要素ですが、喫煙がない場合は本人責任分は少ないかな、またはない場合も。区別できないよ。あるあたりから「遺伝的」や・・などがあって「お気の毒に」の割合が増えてくると思います。脳出血もね。脳動静脈奇形でですが、これは生まれつきの奇形なので本人責任なしね。人間の遺伝子はよくできていますが完全な保証はないです。人間いろいろありますからね。でもね、病気になってしまった本人はどうしたら、よりよいのかな。私は今回の出血では、「なんで」とかは思わなかったです。ある意味、「出血してしまったか」で「リハビリで復活」に切り替えることができました。「出血」にこだわってイジイジしていたら、ここまでの復活はできなかったでしょうね。発病に患者本人の責任はあったり、なかったり、両方だったり、責任なしが大きかったり、小さかったり。でも、まずは「病気を受け入れる」というか「なぜ」とかを思わないようにしてました。もっとも、最初の入院が「消化管出血」で、止まれば治療必要なしの可能性で止まって病変なし。次の肝腫瘍、まだ原因の推定せず。3回目の肺がんは非喫煙なので、原因は「検査の放射線」も可能性があると当時から思っていました。でも、主犯は不明ね。今回の出血は漏れやすい血管が主因かもと思っています。血圧平常時もちょろちょろ漏れてましたからね。ですから、糖尿病などにはならないように気をつけていましたし、今でも血糖値は正常範囲です。この「正常範囲」の決め方は健康と思える人の検査値から統計学的に求めているので「前提」が変わると変化しますよ。昨日は朝の散歩の時、尻餅をつきましたが、異常なし。骨は丈夫みたい。視床出血して気になったことの中に「骨」がありました。骨は骨格筋に力を込める運動の刺激で骨芽細胞が活性化されて強くなるというのです。麻痺したら、筋肉が収縮でないとなると、骨がもろくなります。破骨細胞は働き者ですからね。で、リハビリ関係者は「転倒」にこだわるのです。「転倒」→「骨折」になりやすいですからね。

2013年9月29日日曜日

福島原発事故の真相?

 最近の地下水による汚染水問題の報道を見聞きしていると、事故の真相が浮かび上がってきているような感じがするのです。まあ、津波の想定とかもそうですが、貞観地震などからの指摘に対する対応とかも汚染水問題での対応とそっくりだと。「ケチ」、採算だけ考えているようで採算も考えていない。  採算は「リスク」込みのはずだよね。「リスク」無視していることね。汚染水問題でも2011年には対策を考えていたが「先送り」。勝手に類推した理由は「地下水はそのうち涸れるかな」と思うのです。地下水や地質の専門家にも問い合わせていない感じ。地下水が涸れるのはどのようになったらかを全く考えずに「そのうち、止まるだろう」と「ケチ」で対策先送り。その結果、費用はうなぎ登りね。  地下水対策をしていたら、地下水量はということは汚染水量は確実に減少していたと思います。汚染水貯蔵タンクの増設もぼちぼちで済み、溶接型にする余裕もできたかも。  もっとも、事故すると、アメリカやソ連でどのような事態になったかから類推できなかったみたいですものね。以前にも書いたアメリカの事故の時に「日本人は現場従業員が優秀だから大丈夫」とかいっていましたが、帝国陸軍などと同様、上層部が足を引っ張った感じ。廃炉費用と事故による賠償や対策費の比較とかができないのかな。事故までいくと廃炉費用も急増することに気がつかなかったのかな。  「計算ができる」というのと「量の感覚」とは違います。両方できる人もおれば、「量的感覚での類推比較」ができる人はそう多くはないと思うのです。フランス等で発展してきた数学は「量的感覚」が必要だと思います。日本の和算は計算力が大きな比重を占めていると思います。経営者や国会議員や官僚とかは「量的感覚」絶対必要だと思います。  真相、勝手に思うことは「ケチ」で「量的感覚なし」で目先の費用ばかり気にしていたためかな。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年9月23日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No59

リハビリでできるようになること  「あなたは軽かったのでしょう。」という方は読まれない方がいいですよ    病棟の外へでることができたときなどの感じ   上肢のリハビリの今までの思い出   リハビリの目標の思い出   病気自慢をしておかないと   「美味しくない あれは 美味しくない」  9月16日(月)、昨日夕方、雨の中散歩。うんちはでなかったですね、おしっこだけでした。「リハビリでできるようになること」ということですけど、普通はよくて以前できていたことができるようになるですね。そして、私のリハビリ病院等での目標で、「犬と散歩ができる」とか、意味の取り方で大きくずれがある「コンタクトレンズ装着ができるようになる。」などね。私のコンタクトレンズ装着とかの目標は「左手でコンタクトレンズのケアができるようになる」という意味です。あのハードコンタクトレンズを左手の指で洗ったり濯いだり右手同様に作業ができるね。いつになることやら。でも、発症前はできていたことです。散歩も表向きで、入院中から出てきたのが「階段昇降」ね。これも発症前は普通にしていたことです。そして、発症でできなくなったことを悔やむのか、リハビリでできるようになた部分が増えていくことに喜びを覚えるか、皆さんどうなのでしょうね。私は子育ての時の基本は「ほめる」というか「怒らない」というか「見守っている」という感じで、後は「親の背中を見て子は育つ」でこのの部分について、最近下の子に話をしました。ところで、我が家の子は男のみ。よって、わんちゃんは雌。また、我が家は「女尊男卑」の傾向があるので、「知人が男出産」というのを聞いて、嫁さんが「まあ、かわいそう。」たいていの場合、男はムッツリだし、・・・できないしとかですね。大学の時、下宿しても男なので、心配の度合いは女の子より少なかったかも。子供にとって勉強とは「好奇心からするもの」とか意識づけれたら、下宿させても問題はないです。これと同じようにリハビリも動機付けが大切かも。勉強もリハビリも権利であって、義務ではない。権利はこちらか積極的に行使していくと効果が出ると思います。自身の取り組み次第でできることが多くなっていくと思いますが、人それぞれでどう足掻いても無理というのもあるかな。でもね、大抵はぼちぼち程度はできるようになる可能性を持っています。諦めたらお仕舞い。別の手段とかをとる方がよいかどうかはよく相談してね。別の方法の方がよいこともあります。人間は誰一人として同じ人はいない。一卵性双生児でも厳密に言うと同じではない。ましてやクローン人間などをつくっても核の提供者と同じではない。別人です。だから作成の意味がないです。何か別のところにずれてしまいましたので今日はお仕舞い。  9月17日(火)、昨日、ある方のブログにて「脳卒中、リハビリについて!!(すみません、ムカついています)」で、その方のブログへの投稿に対して、ある方がコメントされていました。そのコメントを読むと「ムカつきます」。どういうことかというと「あなたは軽かったのでしょう。」というコメント。私がほかの患者さんに言ったことない言葉「あなたは軽かったのでしょう。」です。普通、患者にとってほかの患者の症状なんてわからない。それでも、時々、発症期のことを書くのは私は直接「あなたは軽かったのでしょう。」と言われたことがあるからです。いった方の症状はわからない。同様にわからないはずです。ですから、なにかほかの方のをもとにするときにはそのブログを読みまくります。発症したときの状況を知りたいからです。どうも、私みたいな視床出血は出血時に生き延びれて(死亡率が結構高いから)、そのときに主治医からどう言われ、どのような状態だったか知りたいからです。この方も書かれているように、脳梗塞や脳出血の症状は千差万別ですね。ただ、いくつかの条件があれば、割と早く意識が回復したとか、脳卒中だけであって、ほかの外傷等がないなどね、ですと、「リハビリへの取り組み度→回復度の違い」となってくると思います。リハビリ病院入院中にほかの患者さんから「動くのでしょうか」と聞かれて困りました。私の考えでは「動かせるようにするのはあなたです」けど、傷つけないように答えるのに苦労しました。人間の初期の発達状況やそのほかを考えれば、動作を起こそうとし挑戦し続けることがリハビリの基本だと思っています。人間の体は健常者でも使わないと衰えます。「あなたは軽かったのでしょう。」というのはそういう自分を誤魔化す「合理化」(心理学用語)として使っているようです。  9月18日(水)、昨日、一昨日とは別のある方のブログで「入院中の思い出」で花見の話があって、私の入院時の様子を思い出していました。病棟の外へどのような感じででることができるようになったのか、そのときの感想も少し交えてみました。昨年2月9日に視床出血で入院、そこの病院では「要監視人物」(ベッドから頭を下にした転落のためね)だったので、リハビリとお風呂以外は病室の中だけ。4人部屋でしたがトイレ付き。外の空気はリハビリ病院への転院の時までお預けでした。3月13日転院では当然介護タクシーで車いすに乗ったまま。リハビリ病院では付き添いがあれば、車いすでうろうろできますが、5階病棟以外にいくのはリハビリの時だけみたいなものでした。4月になって、車いす使用で一人でのエレベーター使用が許可になりました。その日以来、朝の外出、といっても車いすに乗って、自分の足で漕いで出入り口から数十メートル程度の範囲でうろうろですが、気持ちよかったのを覚えています。そして、1階のリハビリ室の前で誰もいないときに「暴走」、足漕ぎで加速して惰性で走行するというのしました。自己満足に浸っていたのかな。花見にはSTのYさんとYさん担当の患者さんと病院内敷地のを見に行きました。そのとき、やってしまったのが車いすの片方の車輪を持ち上げてしまって、Yさんを慌てさせたことかな。凹みに車輪を落としたのでバランスが取れれば、片方を浮かせることはできますよね。5月の中頃だったかな、杖歩行でエレベーター利用許可になりました。この許可で病院の敷地内は単独杖歩行可になり、毎朝、毎夕などの敷地内散歩を始めました。午前6時頃の散歩は気持ちがよいですよ。次が5月30日あたりだったと思う階段利用許可ね。で、1日に5~7回ぐらいだったかな、5階から1階、1階から5階へという往復昇降が始まりました。「運動せな大損」「体を動かしてなんぼ」というのがリハビリの極意だと思っていました。危険を伴うと思われる部分は病院の指示を守っていた私かな。看護師さんらにとって病棟内うろうろの時期は鬱陶しかったでしょうね。用もないのに病室と看護師詰め所前の往復だったからね。暴走や階段昇降は散歩などとともに歩行のために役に立ったと思っています。  9月19日(木)、腕のリハビリで覚えていること。ちょいちょい思い出しておかないと「記憶が嘘をつく」状態になってしまう恐れがありますからね。「本人は嘘をつく気がなくても記憶が・・・」というのが日経サイエンスにでていたことがありました。高次脳機能検査では、この「記憶が・・・」を調べることも目的の一つでしょうね。冤罪の多くは誘導で「記憶が・・・」もあったでしょう。記憶は変化していくことがありますよ。で、本題。左腕は当初ぶら下がっているだけでした。感覚は当然全くなし。そこで、健常側の右を使って、持ち上げたり、肘関節部で曲げ伸ばしをしていたのを覚えています。リハビリが始まった当初は「拭き掃除」、「ものをつかんで移動(何回目からかは覚えていない)」など(OT)や「手をついて体を支える」(PT、棒状かな、少し体重をかける程度)で、つかむ動作のとき「麻痺すると曲がっているから、伸ばしてものの側に手を持ってきたら掴めるよ」といわれ、そうだと確信して病室に戻ってから、左腕の肘、手首、左手の指を伸ばす試みを何回も何回も繰り返しました。すると、伸ばせるようになってきたのです。主治医に「指を曲げてみて」といわれて試みたら曲がり、指指定でも曲がるようになりました。伸ばし特訓の時は夜熟睡できました。腕の持ち上げはOTでぼちぼちしていましたが、あるとき、PTのセラピストさんが私の車いすを押しながら「腕を上げてみて」といわれたのであげたところ、もう少しで「パンチ」できるところまであがっていたようです。結構真上にストレートとしてあげれていたようです。感覚が戻っていないので私には状態がわかりませんでした。指伸ばしができるようになったら、「グッパ」や「小物つまみ」を病室でもしました。暇だったのでリハビリでもするほかないでしょ。リハビリ病院では、1kgのダンベルを持ってきてくれていたので左でもしていたら、「頭にゴツン」1回ありました。それから1年以上たちますが、異常なしね。退院後はダンベルでは3.4kgまで徐々に増やしましたが、腕の痺れがきついので中断中、コンタクトレンズ装着はリハビリ病院の4月当初ぐらいだったかな、そのあたりから悪戦苦闘しながらも左手も使って自身で装着をしています。それ以前は看護師さんに装着してもらっていました。最近はだいぶん楽になりました。看護の勤務態勢のことを考えると朝はどうしても遅くなります。だから、「自分で」ということに。リハビリの極意か。  9月20日(金)、リハビリの基本的な指導内容はそう変わらないと思います。前にも書いているのですが、「リハビリの目標」ね。OTとPTはぼちぼちのほどほどの目標、読み返してみてください。STの目標が大笑い対象に。どうしてかというと、脳神経外科の主治医は発症前をご存じではないというところからかな。まあ、深呼吸の仕方を忘れていたとか、舌、頬などの動作がおかしいとかはありました。問題は「発声」ね。リハビリ病院に転院した頃には家族にいわせると「元に戻っている」、3月末には知人も「元に戻っている」てな感じ。なので、STの目標には「発症前より美声に」とお願いしました。普通は発症前程度がリハビリの限界だと思いますが、「発声」は前々から気にしていたのでよい機会と思いリハビリを受けることにしました。STで笑い声が絶えないのは私がリハビリをしているときかな。同じリハビリをするのなら、楽しくする方がよいに決まっています。こんな風にリハビリを見ているということは、勉強も楽しく、仕事も楽しくの方がよいと思っています。OTもPTもよく笑いました。STですと、ほかの部屋は静かな感じでした。映画「ローマの休日」でヘップバーンがストローの包装を吹き飛ばしていましたね。このSTでもストローを使うのがあったので、その都度毎回「どこまで飛ぶかな」と吹き飛ばしました。この動作もリハビリにあるのです。担当者は4月の後半あたりから継続で苦労されたみたいです。なにせ「発症前より美声」ですからね。届けの目標は何にしてくれていたのでしょう。今度、遊びに行ったときに聞いてみようっと。昨日、お風呂で左腕を上方に振り上げると、いつもより痛みが強い。角度などは右腕とぼちぼちみたい。左だけが痛い。拘縮でも始まったのかな。毎日振り回しているのに? 昨日、足の爪を切りました。右足は順調に切れましたが、左足では悪戦苦闘も、やはり、麻痺の影響が出ています。  9月21日(土)、またまた、ある方のブログで「病気自慢はしたくない」というのがありました。私のここは「復活の様子」ということなので、ちょいちょい病気自慢をしておかないと、「軽かったのでしょう」とか思われたらインパクトがなくなると思っています。重症でも復活できる可能性がいくらかはある(本人は結構復活の可能性があるのではと思っていたりね。)ということを知ってもらいたいとね。ところで先日投稿した中にショッピングセンターで看護師の知人と会ったことを書いたかな。そのとき、いわれたのが「闘病の武勇伝」です。はい、棺桶に足を入れかけたことがよくあったのでね。その入院歴、今回を含めて4回ね。以前の3回でも「落ち込む」ことはなかったですね。それと、その知人の知人というても、私も直の知人ですが、「嫌な患者」ともいわれました。知っていて何も言わずに値踏みみたいなことを思っているとね。看護師にとってはある意味「嫌な」かもしれないですね。で、武勇伝ね。でもね、1回目はおとなしい限りですよ。このとき最もやばかったのは消化管での出血中かな。止血できないもん。ほんの2~3リットル程度を一晩でね。初めての入院だったし、一応緊急入院だったしね。それと、私は「様子見」をしますので、様子見の間は大人しいです。というか、普通は大人しいですよ。2回目の入院時から「階段」、「病院の階段」ですね。それと、朝の散歩ね。詳しく書いているとあれなのでこれはこの辺で、肝腫瘍でした。3回目が今回(4回目ね)救急車で搬入された病院。この3回目で脳神経外科も「掛かり付け」になってしまいました。肺がんでした。でもね、手術後、ほかの階にいってもよいとなってからは2階から9階までの「病院の階段」ね。それも途中に中4階付き。それと、朝食時、到着を待ち構えて受け取り、ほかの患者さんに配布中に食器返却ね。この入院のときに、「筋肉は使うもの」「筋肉は伸ばすもの」という体験をしています。こうことは同じ失敗を二度しないようにしているかな。脳の方は血管造影ね。だから、受け入れてもらえたのでは。「武勇伝」にはほど遠い概略だけですみません。患者業をちょくちょくしていると、看護師さんの前で裸になるのは慣れてきました。そうそう、発症して半月ぐらいでの介護認定では「要介護4」、重症の方から2番目ね。それが、この半年後の更新認定では「要支援1」まで転落しました。週1回の訪問リハビリで介護保険を使い切っています。月5回の時だけどね。4回の時は少し余っているのかな。でも、使いようがないです。今年の更新でも「要支援1」、そのままです。  9月22日(日)、犬川柳の今年のに次のような感じの川柳がありました。「美味しくない あれは 美味しくない」と柴犬がある食べ物を見ている写真のところにでね。写真はかわいい柴犬がリードとかで食べにいけないところに食べ物があるというものです。これをリハビリに当てはめると「あの人は軽かったのだ。回復しているのは、きっと軽かったからだ。」と派手な字余り川柳ね。自分を納得させようとする思いですね。そこにあるのは「諦め」かな。ある方のブログでボトックス利用ではなく、拘縮から解放されそうだとの喜びの投稿がありました。この方は、字余り川柳とは無縁の取り組みをされたのでしょうね。リハビリでセラピストさんがほかの方と比較しましたか。比較しなかったですね。そして、諦めない。決めつけない。ですよね。子育ての基本でもあると思います。脳卒中だけですと、筋肉や関節、骨などには異常がない。使えるような状態を維持しておく(これが難しいようです)。脳は以外と作り直されているようです。死んだ神経細胞は生き返らないですが、樹状突起等でつなぎ替えが起こっているようです。だから、私でも感覚が徐々に戻ってきているのです。脳のこのような作り替えがないのなら、感覚は戻らないはずです。「きっとおいしくない」とかみたいに思い込んで脳への刺激を与えなかったら、作り替えは起こらないですよ。脳の発達の過程を考えると刺激というのが必要ですよ。「絶対に歩いてみせる」と思い、そのための動作をしようとし、体の各部を動かしてみようとすることかな。ただ、いつになるかは私はわからない。これでリハビリに取り組んだ結果が半年で完全麻痺から杖歩行ですが、1日10000歩とかになったのです。「要介護4から要支援1への転落」もね。麻痺したときに感じたこと、足は重たい。右腕だけではびくともしない。右足が頼りでした。昨日の恐~い話、午前9時頃「超久しぶりに気張りました。血圧上昇で漏れたらどうするのだ!恐怖との戦いでした。途中でやめるわけにもいかないし。(後で見たら、結構ロングサイズ)」

2013年9月22日日曜日

1億玉砕の意味のわからない面々とそれを拝みにいく面々

 いつもはニュースなどから書き始めますが、今回は時期外れ?かな。あの大戦の時に「1億玉砕」とかほざいていたのは誰なのかな。国民に対しては少し出世し損なったあたりかも。でも、大本は当時の中枢でしょうね。特に硫黄島の玉砕などを考えるとね。そう、硫黄島、アッツ島、サイパン島、などなど。実質玉砕をあげるときりがないですね。ノモンハンも入るかも。沖縄も玉砕の同等ですね。  あげくが「1億玉砕」、なにを守るといって始めた戦争なのかな。「1億玉砕」になると、単に戦争したいから戦争を始めたとしか考えらないですよ。「国体護持」が最大目的みたいにいっていましたが、1億の国民が居ての「国体」ですね。その国民がすべて死んでしまうことが「玉砕」ですよね。???です。単に日本を破壊したとしか思えないです。  その連中を拝みに行くということは「1億玉砕」の意味がわかっていない面々を思います。硫黄島などの玉砕がなく「降伏」で多くの将兵が生存していたら、まだ、「スローガン」的といえるのですが、実際は「全滅」ですよね。そうすると、「1億玉砕」はスローガンではなく・・・と思ってしまいます。  実際に行っている行動と言動のずれに気がつかない面々、東京電力や原子力村にも多数居るようです。そして、その場しのぎで事を済ませようとする。根底がドケチ。だから、失敗の上塗りをしている。もう、庶民は面倒見切れなくなってきています。  アメリカでの原発事故の時、「日本では起こらない。係員が優秀だし・・・」といってましたよね。実際、事故が起こってしまった後の緊急対応はアメリカの方がよかったみたい。まあ、「1億玉砕」の意味もわからない面々より、トップの質が違うからかな。ソ連の原発事故もあったのに、原発事故が起こったら、後始末費用が天文学的になるということが想像できなかあのでしょうね。未だに原発事故の被災者の感情を逆撫でしても気がつかないですね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年9月16日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No58

視床出血で入院した当初のリハビリへの取り組みの考え方  昨日の取り組みを補完する考え  後で調べてみたら、効果のあった方法でひとつ  愛飲中の玄米黒酢がいつもの75%ぐらいでしたので購入してぶらぶらしながら帰宅  続けています、1日10000歩  昨日、夕方の散歩でうんちをさせようと某所の歩道を行ったり来たり  昼夜をはっきりさせることも大切ですね。くどいですが「脳が動作を忘れている」ね  9月9日(月)、今日は救急の日ですね。救急で病院にもう二度と担ぎ込まれたくないですね。自分で歩いて行きたいものです。ところで、私みたいな状態で病院に送り届けられた場合、症状の悪化があった場合、対処してくれるということですよね。視床出血の場合は、原則様子見ですよね。くも膜下出血みたいに血抜きの手術なんて危なくてできないものね。前置きが長くなりましたが、新しいカテゴリーをつくって、また発症の時の様子とその後のリハビリへの意識ついて書いてみたいです。ブログ村のポイントは当てにできない内容になると思っています。発症して、後で「無謀」と指摘されたことをして、道路標識と喧嘩しました。この時点で1回目の意識不明ですね。助け出してくれた方に「脳出血なので救急車を」とお願いしました。梗塞とは思いませんでしたし、実際出血でした。診察券を救急隊の方が見つけてくれて、無事目的の病院に行きましたが、ほとんど意識なしです。一度、「コンタクトレンズを外して」といったのを覚えています。視床出血についての論文の中に病院到着時の意識レベルと生存率や回復状況についてのがあり、それを読んでみると「ぞ~」としました。死亡率がある程度高い状態で病院に着いたみたいです。このやばい状態から4ヶ月後にはリハビリ病院の階段を上り下りしていました。最初の病院で手の指を伸ばしたり曲げたりだけはできるようになっていたかな。入院して、しばらくの間は完全に左半身は麻痺状態でした。入院時の意識状態とその後の身体状態ですと、「一生車いす生活」とは家族が言われたことです。このずれはどこから来たのでしょうね。前にもちょくちょく投稿していますが、私の場合、視床出血で感覚神経は大ダメージを受けましたが、筋肉、関節、骨などや運動神経は異常なしです。でも、使わないと錆び付くのが人間の体です。リハビリが始まる前から俗にいう「自主トレ」していました。感覚神経の代用がほかの感覚でできれば、少しは動かせるようになるのではという期待もありました。皆さん、アイマスクをして歩けますか。感覚情報がなくなると人間の体は代用がないと、感覚が元に戻るまでは動かせないみたいなのです。人間の脳での再構成修復はとにかく動かそうとする、なにか触ってみようとするとか能動的に活動しようとする必要があるようです。これは子供の成長でも同様だと思います。ということなので、使えるように使えなくても動かしました。車いすでは健常側だけの足の方が当初は速かったですが、麻痺側も使いました。そりゃ危険性もあります。でも、使いました。車いす暴走族といわれるところまで速くなりました。今日のは脳出血や脳梗塞になって、すぐの段階で私にとって効果のあった考え方です。出血や梗塞の場所、範囲で状況はいろいろあると思います。もっと時間のかかることも多いのではとも思います。でも、筋肉を固めない、関節を錆び付かせない、脳に刺激を与え続けるというは有効ではと思います。  9月10日(火)、昨日、7ヶ月ぶりにリハビリ病院に行ってきました。通院ではなく、ご機嫌伺いね。やはり、少しずつ入れ替わっていますね。担当の看護師さんが変わっていました。リハビリの方では、PTの担当者が変わっていました。これで、再入院の障害(この方、男ね)がいなくなりました。すると、帰りのバスの中で頭の中の雰囲気が・・・。STとOTの方では40年先ぐらいまで勤めていてねと。STさんとはリハビリ中も冗談で笑いが絶えなかった状態が続いてました。OTさんはまじめですね。でも、話し好きなのでリハビリは楽しかったです。最悪はむっつり男性でのリハビリかな。こんなのはなかったです、はい。昨日の投稿の続き、脳の再生について。脳の再生といっても、死んだ神経細胞は元に戻りません。生き残っている部分で失われた部分の働きの代わりをできれば再生といえるかも。ところで、視床出血で視床の細胞がダウンしたはずね、だから、感覚がなくなりました。それが、今は感覚がある程度戻ってきているのです。脳のどこかでダウンした視床の代わりをしていることになると思います。方法は配線のつなぎ替えでしょうね。この配線とは樹状突起などかな。樹状突起は非常に細い管ですね。細ければ細いほど、細胞膜の割合が高くなります。軸索の方でも同様です。脳はこのような配線の集合体かも。で、脂質の割合が高い臓器でもあるということかな。この細胞膜の合成や働きに大切な物質は脂肪酸です。それも不飽和脂肪酸が必要です。病院食への不信感からサプリを購入しました。でも、ω3系の不飽和脂肪酸が役に立つためには脳に届くような刺激を与え続ける必要があると思いました。それで、リハビリを積極的というか、自主トレのみではなく闇トレもしました。問題点は脳での再生中は痺れるという話を聞いていましたが、延々と続くことになりましたが、視床痛のお世話にはならずにすんだみたいです。ω3系の不飽和脂肪酸、特にDHAが脳に吸収されているということです。ですから、子供の脳の成長にDHAなのです。リハビリ中も原理的には同じことが必要なはず。だから、子供みたいに手足を使うとかの動作が必要なのです。  9月11日(水)、後で調べてみたら、効果のあった方法。いくつかあると思うのですが、一つだけ取り上げてみます。状態が落ち着いたときから、日中は上体を直立させていたということです。退院後、ネットである新聞社の記事を読んでその効果を確認できたということかな。もともと、鼻づまりという持病?がある私、でも、上体を直立させているとつまらないのです。寝ると鼻が詰まる。視床出血で左側が麻痺しても左側が詰まりました。入院してすぐあたり(記憶が定かではない)に動かせる右手でベッドのリモコンを操作して、単に上体側を起こしていっただけで、はい、頭を下にぶら下がるように転落しました。左足が動かなかったので途中で止まったのではと思います。右手で探ってみると、頭頂部が床と仲良くしていました。喧嘩をしていたら、頸椎損傷かも。で、ナースステーションからの監視が一番きついところに移動させられました。寝ると、鼻が詰まるので、上体を起こしている。それと、夜、やはり寝たいです。病院の夜は退屈です。それと、点鼻薬を愛用しているのですが、日中は使いたくない。できるだけ使いたくない。ということもあって起こしていました。考えると、背筋や腹筋などの筋肉を使うことになりますね。脳を活性化させるには筋肉を使うということが必要です。ホーキング博士、どう活性化させているのだろう? 脳が起きている方がリハビリに効果があると思います。監視ついでに様子を見ているのですね。後日、訪問したときに「よくリハビリしていたよ」といってもらえました。起きていたら、リハビリでもしないと暇ですしね。私、テレビをぼんやりと見る習慣がない。ほとんど、見ないという方かな。ノートパソコンを持ってきてくれたのでそれで、ハリー・ポッターや寅さんなどを見たり、ネットなどね。このときに気づいていたら、「闘病記」を始めていたと思うのですが、SNSでつぶやきに投稿する程度でした。上体を起こして、パソコンに向かっていると、最初の病院でも自分から何か働きかけないと退屈ですから、ごそごそとね。左腕のリハビリは寝ているより、起きている方が楽でした。ベッドから車いす、車いすで踏ん張ってみるとかで左足にも力を加えてみたりしてみました。まあ、動かなかったか。でも、転院前には車いす漕ぎで左足も幾分か役立ってきてたみたい。人間は直立二足歩行をしているので、上体を起こしておくということが大切だったようです。  9月12日(木)、一昨日、いつものショッピングセンターのドラッグストアで、愛飲中の玄米黒酢がいつもの75%ぐらいでしたので購入して歩いて帰ってきました。持参のレジ袋(100均の)にいれてぶらぶらと。健常側の手は杖、よって麻痺した方で720ml入りをぶらぶらで、1km以上は歩いたと思います。以前は血圧対策やなんやかんやで、黒酢、納豆、赤ワイン少々と血液さらさらに邁進していました。漏れやすい血管なのにね。で、漏れたわけです。ねばねば血液なら、ここまで重症になっていなかったかも。にもかかわらず、懲りずに黒酢と納豆は復活させています。漏れやすさと血液凝固が少し遅いのは消化管出血時から気にしていたことです。視床で血管が分厚くなっていたら漏れなかったかなと思いました。動脈硬化ね。動脈硬化は梗塞の危険因子ですね。この黒酢、訪問リハビリの方が「5000円?」と思ったものです。化粧ケース入りで298円でした。食品売り場の酢より安かったりして。写真はやめておきます。入院中のことで自慢できること、リハビリ病院では消灯してから起床までの間、ベッドで熟睡みたいでほとんど途中で目が覚めることもなく、当然、トイレにも行きませんでした。おしめをされていたときも中に出したことはないです。心残りの一つにおしめの中に出して、看護師さんに世話をしてほしかったということね。今でもトイレで途中で起きることはないです。まあ、日中、活動量を増やすと深い睡眠ができるようになるはずですね。でも、しびれとかで睡眠が少し浅い感じがします。なにか、ドミノ倒しみたいにいろいろなことが連鎖していて、それによってリハビリの度合いとかがいろいろ出てくるのかもしれないですね。認知症を防ぐためにも活動ね。わんちゃんとの散歩は朝夕それぞれ2000歩程度を目安にでています。多いときも少ないときもあります。昨日の夕方は3000歩コースでした。昨日の日中なぜか寒い、左半身が寒い、寒かったです。  9月13日(金)、一昨日、昨日と10000歩前後の歩行になりました。が、なぜか、昨日の方が楽でした。歩行の安定感といい、左足首あたりの痛みといい、どちらもよかったです。杖は持っているのですが、荷物になっているときがやたらと多く、時々ついているという感じでした。歩幅も以前より広がっている感じなので同じ区間では歩数減かな。以前報告した歩数計のことは、たとえば、2000歩ぐらいのところでも1000以下だったりしていましたが、昨日は素直でした。まあ、いつ何時、ごねられるか心配です。目安にも使えないものね。どうも、上下動を大きくすると素直みたい。早くいうと故障かな。歩数計の三次元センサーにも寿命があるとは思います。で、どのくらいなのでしょうね。500万歩以上にはなっていますが、健常者で歩数の多い人なら1年にもならない回数なので・・・。ようわかりません。普通の道や歩道、遊歩道は水捌けのためでしょうか、傾斜がありますね。足の感覚が戻ってきたためか負担を感じています。リハビリ室とかはこのような傾斜はないですね。水平ですよね。なんらかの対策を考えねばと思います。「痛い。」と感じるときもあります。「痛い。」。足首に異常がでなければよいと思うのですが・・・。「続けています、1日10000歩。」となるようにね。発症後の最高は17000歩強でした。  9月14日(土)、ぼちぼち、わんちゃんの名前ですが「花子」と呼んでいます。アイコンを見てもらえるとわかるように柴犬です。昨日、夕方の散歩でうんちをさせようと某所の歩道を行ったり来たり、普通は一往復でするのですけど、行ったり来たり。しませんでした。今日の朝、別のところで割とあっさりと。昨日夕方の散歩はおかげさまで4000歩を超えたようです。割と早足が多いので歩幅も広かったかも。何キロ歩かされたのかな。一日合計ですと12000歩越えです。でもね、今日から3連休。これがくせ者で歩数減になると思います。リハビリ病院入院中でも外泊(自宅ね)すると歩数減。他の方は運動量は増えるというのに私は減。リハビリ病院で後の方の1ヶ月半ぐらいは1日10000歩を超えていましたからね。そして、最後の1ヶ月ほどは1日に5~7回ぐらいは「階段1階から5階までね」往復していました。自分のいる病室のある階のみの自由歩行ができるようになった日以降、その階だけで4000~5000歩以上は行ったり来たりしていました。入院中は暇ですからうろうろするしかないと思います。  9月15日(日)、昨日は案の定、歩数減でした。ぐすん。雨だとさらに減かも。ところで、入院中はある意味暇ですね。その暇なときに何をするのかということかな。日中はまだ、起きてごそごそできますが、深夜帯はベッド灯をつけられるだけでも睡眠の妨げになりますね。足下灯があるところはまだましですが。消灯時間以降は何もできない。寝るだけ。いかに昼間に疲れるかということですね。なら、入院当初は疲れがたまらず、深夜2時頃だったかな、トイレ行きをいっていました。全介護かな。日中、車いすに座る生活に、当初、腰が痛かったです。少し睡眠時間が延びたみたい。そして、リハビリも始まってしばらくしたときから、指伸ばし(腕もかな)の練習を始めました。動かない腕を動かそうと、どうでもよいから動かして前から後ろにふるみたいに繰り返し繰り返しね。このとき、全身の筋肉が収縮した感じになって夕方にはくたくたに。筋肉の収縮制御の方法を脳が忘れてしまったためですね。すると、翌朝6時頃までぐっすり寝ることができました。視床出血なので感覚神経麻痺です。ほかは無事なので踏ん張れたことかも。伸ばす特訓の理由は「麻痺すると腕や指は曲がった状態だから、伸ばせたらものがつかめるよ」という作業療法士の助言があったからです。伸ばせたら、ようもないのに握ったり伸ばしたりで今も続けています。足の方は車いすを健常の方の足で漕ぐというのをして、さらに理学療法士の助言で「麻痺側も使うとリハビリになるよ。」というので両足で漕ぐようにしましたが、当初は麻痺側が当然もたもたです。でも、続けました。リハビリ病院で観察してみたら、歩行練習をしているのに健常側だけの人が結構いました。この車いすでもようもないのにうろうろしましたよ。暇な時間には結構トレーニングしていたみたい。それとね、歩行練習で強く感じたのは「脳は歩き方を忘れている」ということです。どうしても「練習」が必要になるとも思いました。理由は運動を覚えていた神経細胞がダウンしたものね。運動の感覚情報もダウンかな。だから、再学習が必要にね。動き出したら、すぐに前と同じことができるとは思わないことね。不届きなことを思うからリハビリが辛くなるのでは。人間のいろいろな動作はすべて学習によって体得されます。我々のような疾患でのリハビリは、再学習あるのみかな。この学習も脳に刺激を与え続けることが必要と考えて入院当初からゴソゴソしていたわけです。

2013年9月15日日曜日

オリンピックとノーベル賞、似ているところがありますね

 2020年に開催予定のオリンピックに東京が選ばれましたね。いろいろいっている人がごちゃごちゃいますが、つつがなくできるようにできればと思います。オリンピックに来られた方に日本体験、「関東大震災」などがないことを。住み続けるものにとって、日本では地震は逃げられないものと思います。  本題ね。国際連合は第二次世界大戦の時の連合国が相談して「国際条約」として設立されたものですね。国際連盟の失敗を教訓にしてですね。武力行使もできる国際機関としてです。そのほか、多くの国際機関が条約として設立されていますね。  ところで、オリンピックというのは国際連合みたいなはっきりした国際条約ではなく、どちらかというと「私的」という感じがします。でも、ナチスのベルリン大会等ですでに「国家威信」に利用されていますね。IOC委員数の国家間のアンバランスは設立の経緯が影響しているようですね。後は「外交力」かな。  だから、ロサンゼルス大会の頃は開催引き受けがなくなってきていました。「アマプロ」の垣根の低下と企業からの資金を取り込んだユベロス氏の手腕とかで「儲かる」になったのかな。で、今回のような招致合戦が起こるようになったようですね。  ノーベル賞はその通り、アルフレッド。ノーベルの遺言による学術賞ですね。本来はスエーデンとは関係ないはずですが、授賞式等で政府や市当局が積極的に関与しているみたいです。もともとは、国や国際機関とは無関係に始まったもので、国や国際機関が受賞者選考には関与していないし、できないようになっていることです。  似ているのは、設立に国とかが関わらずに世界的な価値を持ってきたということかな。ノーベル賞はノーベル財団の価値観で受賞者を決めています。ですから、平和賞や文学賞でちょいちょいごちゃごちゃしていますね。国家間のしがらみがないからですね。  日本もオリンピックやノーベル賞みたいな世界に通用して、独創的で価値あるといわれる制度というか仕組みや行事や大会とかを創造できるようになるといいですね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年9月9日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No57

こう雨が続くと運動不足になるかも  脳卒中とかで麻痺側を動かさないと・・・   いつまで続くのかな、感じは徐々によくなってます  いつも夏場に少し高かった血圧が少し低下?   わんちゃんとの散歩の時の歩行速度の推定?  骨折したくない→骨を鍛えるには  9月2日(月)、こう雨が続くと、運動不足になりかねませんね。気象庁ホームページのレーダーナウキャストで雨の状況と予測があるので、雨の合間や弱そうなときにわんちゃんを散歩に連れ出したり、一人散歩に出ています。ところで、わんちゃんとの散歩の時は傘を右手でリードを左手でというやばい状況になるので、できる限り雨の切れ目にでるようにしています。足を鍛えるのには、階段というのがいいのですが、家の階段の手すりは貧弱ですね。それに比べるとショッピングセンターなどのところは丈夫ですし、このごろは階段を使う人がほとんどいないのでゆっくり一歩ずつ足取りを確認しながら登れます。また、降りれます。病院も家に比べると広かったですが、ショッピングセンターも広いですね。私らみたいな普通の速さでの歩行とかには最適かも。ついでに買い物もできますし。買い物がリハビリかな。ヒスタミンH2受容体の阻害剤、ご存じのない方のために、一番有名な医薬品は「ガスター」かな。いろいろでています。口腔内崩壊錠のガスターですと服用しやすいです。  9月3日(火)、歩数計の調子が少しよくなってきたみたい。早くいえば、猛暑から普通の夏の気温になったからかな。で、昨日はわんちゃんにうんちをさせるためにあっちにうろうろ、こっちにうろうろと朝夕で6000歩になってしまいました。うちのはうんちをするとき、速歩でしばらく歩いてしますので、鍛えられます。ほかに気をとられるとうんち中止、また、一からです。ですので、今日の朝、速歩で散歩の方とぼちぼちの速さで歩く羽目になりました。併走(笑)が昨日のうろうろよりは短い距離だったので助かりました。崖の上り下りもしますが、こちらは45度ぐらいかな、1m程度ね。2~3mかなの程度の公園の盛り土のところの上り下りも。リハビリ室での歩行練習なんて楽勝ですよ。でも、一度も転倒はしていないです。小走りはできるのですが、ドッグランは無理なので、今の目標の一つがドッグランができるような走りができることかな。目標はいろいろありますよ。手の届きやすいところから遠いところも目標までね。目標設定を間違うとリハビリが地獄になる可能性を持つと思います。日々、クリアできそうな目標と壮大な目標ね。  9月4日(水)、私のブログにお越しいただき、コメントをいただいていることがあります。すぐに気がつくべきところ、読まないという変な習慣づけになってしまっています。どうもすみませんでした。今後はもっと気をつけていきたいです。ブログ村のあるブログで「手足の左右差が起こる原因」について、投稿されていました。その通りだと思います。ところで、リハビリ病院に入院中に感じたことは多くの患者さんが麻痺した方を使わないというか、私から見ると、「動かす気があるの」という感じで動かさない様子でした。たとえば、歩行リハビリをしているのなら、車いすでの移動の時、両足漕ぎをすれば、麻痺側のトレーニングになりますね。セラピストさんは勧めていると思います。私もそうでした。そのとき、健常側だけより手間ですね。それでも、繰り返し繰り返しトライしているうちに健常側とぼちぼちになっていきました。そして、車いす暴走族にまでなりました。多くの患者さんは「使えるようになってから」とか寝言みたいな願望にとりつかれているようでした。乳幼児の頃の発達段階をよく見てください。リハビリと同様「繰り返し繰り返しトライ」しているのです。脳出血や脳梗塞ですと、この訓練済みの神経細胞を失うことになりますね。どうも、別の神経細胞が肩代わりしているようですね。ですから、一から訓練する必要があるのです。そのとき、麻痺した部分を使おうとする、使うということが大切だと思います。早く使おうとしたり、使ったりすることで左右の差を拡大しないようにできるのではと思います。  9月5日(木)、最近、左腕に安定感が以前より少し増したみたいです。コンタクトレンズ装着時、左手人差し指にコンタクトレンズをのせ、右目を近づけるのですが、そのときの「ゆれ」がぐっと減った感じなのです。指が揺れるとレンズも揺れる。顔はつきあってくれない。ですので、目から外れるとね。右目は左目と違って、瞼の内側に入ってくれれば「眼力?」(瞼ね)で落ち着くところに持って行ってくれます。左目の方の装着でも、左手親指と人差し指とで左目瞼を以前より幾分か上手になったみたい。思うことは必要に迫られてもよいですから、ともかく使い続けることかな。私のこの件はハードコンタクトレンズでのみ矯正可能なのです。装着するしないで見える世界は大きく違います。で、右利きなのですが左手の復活も大切なことなのです。足の方も朝の散歩時は感じのよい歩行ができっる時間が長くなっているみたい。かっこよく歩くのです。意識をせずにかっこよく歩いているときは、歩くというのが楽ですね。リハビリの時はこの「かっこよく」の方が面倒ですが。どれだけ、自主トレもしたことか。  9月6日(金)、血圧ですが、いつもはというか発症前から、夏場の方が冬より少し高いという傾向があったのです。昨年の夏も血圧の薬を飲んでいて少しこの傾向がありました。最近、低めになり始めました。あのヒスタミンH2受容体阻害剤が効いた?なんて思ったりもしています。この薬は状態がよくなったのでやめようと思いますので、経過を見れば何かわかるかも。血圧計とかの説明書を読んでいると最高血圧がいくら以上ですと、境界型、もう少し高いと高血圧とかや、最低血圧が云々とかはあるのですが、最低血圧だけが低下している状態については読んだ記憶がないのです。最近、日本経済新聞の健康面に最高血圧がぼちぼちで、最低血圧だけが低下している場合などでは「動脈硬化」の危険性があるとの記事がありました。心臓から押し出された血液で動脈は広がり、心室に血液をためているときは血液を動脈に押し出していないですね。このときに動脈が収縮して血液を先の方に送り出しているというのです。最高血圧と最低血圧の差が大きすぎるというのは「動脈硬化」が起こっているシグナルと考えられるということでした。両方高いのも問題かな。差が小さすぎるのは心臓に問題があるかも。私のこの頃の血圧は、朝(起きてすぐ、薬を飲む前ね。)、110~120/80あたりをうろうろで差は30~40です。差が50を超えたことはほとんどないです。  9月7日(土)、毎日、朝夕2回わんちゃんを散歩に連れて行っています。それぞれ30分ぐらいで長いときは1時間ほどにもなるときがあります。普通は2000歩程度までで収まるみたいです。このほかのショッピングセンターまで歩行との違いは歩行速度を常に自由にできないということがあります。立ち止まりが長くなると歩数減ですし、・・・。走りかけてもそれは抑えます。ところが、わんちゃんのうんちの時は、まず、すたすたと歩くのです。そう6~8km/hにはなっていると思います。ただ、住宅地の歩道や公園、遊歩道などなのでそれほどの距離にはなっていないと思います。わんちゃんについて行けるのは、リハビリ病院でのリハビリ時にPTで「足をまっすぐ前に出す」というのを仕込んでくれたおかげだと思います。麻痺された方に多いあの足の回し出しですと、距離も速さも出ないでしょうね。確かに病院での練習の時、「回しだし」の方が楽でした。しかし、「回しだし」が楽なら、健常者もそうなってよいのに、健常者はまっすぐ前に出します。まっすぐの方が後々楽ですね。私の場合、感覚が戻るたびに「回しだし」の毛が出てきますので、修正に努めています。そのときに単に「楽」というが後々障害の固定化につながる可能性があるのではと思います。  9月8日(日)、昨日、尻餅というか後ろ向きにごろりと転びました。感覚がある程度戻ってきているのと、左右同程度の衝撃にもかかわらず、痛みなしなのでどうってことなしと判断しました。昨年、左手小指を玄関扉に挟んだときは大丈夫と思いつつ、レントゲンで調べてもらったのに比べると、え~加減になったものです。骨を鍛えておかないと昨日みたいな軟着的な転びでも骨折という危険性が出てきます。骨の強化には栄養分もあるのですが、骨格筋にがんばってもらう、力を込めた収縮による刺激が必要だというのです。発症時に麻痺で筋肉が使えなかったときに気になったのが骨の劣化でした。筋肉を使わないと骨がぼろぼろになっていくので高齢者が大腿骨骨折とかすると筋肉がやせるとともに骨もさらにもろくなり、の悪循環になり、寝たきりになっていくと思います。リハビリで以前と同じように動かしたいというのもありますが、骨折したくないという思いでリハビリ的に筋肉を使っています。

2013年9月8日日曜日

福島原発での汚染水問題から見えてくるもの  想像力の欠如

 汚染水タンクからの汚染水漏洩とかがあったのですが、汚染水の発生源は冷却用に使用した分も含まれるかもとは思うのですが、大部分が地下水だったとは。このことについては部外者にはわからないですね。報道であったのかもしれないですが、地下水と言い始めたのは最近になってからかな。地下水は水脈があれば、雨が降るたびに止めどもなく流れ続けるのが普通だと思うのですけどね。  普通の感覚だったら、流入を、総敷地内への流入をいかに防ぐべきかをもっと前から考えて取り組むものみたいな気がします。その昔、地下水の水脈を地下鉄(阪急京都線)工事で切断されて、苔が枯れた寺院があったとか。地下水も長い年月同じところを流れ続けるようですね。ナイル川ですと、見えている流れの水量の何倍もが地下水になっているともいわれています。  冷却用に注入した水量と比較したら、初期に気がついてしかるべきだと思うのです。そして、大外での流入防止策をね。ただ、水脈の厚さが大きいと今回考えている方法ですと、下をくぐり抜けてきそうです。汚染水処理対策も大切ですが、地下水が流入して汚染水になっていると確認できたときから、どうして、地下水対策をしていなかったのかな。確認がもし最近なら、今まで何をしていたのかな。  巨大地震についての指摘があり、スマトラ沖の巨大地震があっても、考えが回らなかったのか。単に「ケチ」なことを考えたのか。汚染水対策でも同時にできることは可能な限り同時にしておけばと思うのですが、そこまでは思いつかなかったのでしょうね。地下水は流れ続けるということをね。想像力の欠如ですよ。  「風が吹けば桶屋が儲かる」というたとえ話的想像力も欠如しているのでしょうね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2013年9月2日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No56

リハビリ、諦めたら終わり。セラピストさんのいうことも聴きましょう   左半身が寒がっています。「慣れて脳が左右で同じように感じてくれる」のを待つしかないのかな   結構すぐに役に立つことも教えていますよ、学校での勉強も   もう繰り返し繰り返しですよ、硬直感ね   最近、胃液が食道に逆流しているみたいな感じ   今日もまだ、胃液が食道に逆流しているみたいな感じ  見た目の常識というか思い込みから脱出を  8月26日(月)、脳出血や脳梗塞など脳血管系が原因でほかに麻痺の要因が考えられない場合、初期からの取り組みがあとあと大きく影響するようですね。意識不明期間とかが絡みますが、早期に意識が回復した場合などですと、本人の取り組み、これの影響が大きいようです。そのときに目標をどのように設定するかも要因の一つになります。「片麻痺が教えてくれた人生のヒント」さんの「目標を設定するときに?」というと投稿にあった適切な目標というのも非常に大切だと思います。ただ、症状とか諸般の事情で改善が足踏みしているとき、「我慢してそのときの必要最低限のリハビリ」に継続できるのかどうかと言うのも大きいと思います。私は脳出血を意識し、麻痺を感じたときから「リハビリで完全復活を目指す」でした。まず、第一段階の目標「筋肉や関節を固めない、錆び付かせない。」で取り組んでいました。歩行練習とかは先の先の話と思えるときにね。自身の経験とかで筋肉を普通に使えるようにしておこうと。それと、人間の動作はすべて経験する必要があるということ、脳卒中などで神経細胞が死んだ部分があるので麻痺したこと、新しい神経細胞間の接続ができたとき、学習が必要であること、新しい接続は練習によってできることですね。人間生育の時、環境が大切というなかに直立歩行はそれを見て「歩きたい」と思い、練習してできるようになるのです。「使わないと使えなくなる」というのもあります。で、これらを意識して、リハビリを取り組んでいました。いつまでに歩行ができるようにとかの期限は考えてなかったです。リハビリにも順序があるのですね。普通はその順序でしてくれます。ですから、セラピストさんのしてくれたことは、私の思っていた順序の通りだったことになりました。それで、左半身完全麻痺から5ヶ月でリハビリ病院退院しました。そのとき、病院の階段を1~5階まで往復でき、一日10000歩以上も歩けたり、コンタクトレンズを自分で装着できたりとか。ただ、右利きなので回復には不利だったようです。  8月27日(火)、昨日、土曜日曜の大雨の後という曇り空、気温も上昇せず、30℃まででおさまっていました。当然、クーラーも扇風機も使わなかったです。で、左半身寒い寒い病が復活しました。こちらは、手足のリハビリと違って、「慣れて脳が左右で同じように感じてくれる」のを待つしかないのかな。前にも書いたように、私より感覚のずれの大きい方もおられるというのです。昨年の夏は手での感覚にアンバランスを感じた程度にすんだのにです。ここでも、脳が発症前を忘れているという現実に直面することになったということかな。視床出血なので感覚が途絶えただけで、大脳感覚中枢にはダメージはないはずですよね。汗の方は中枢の視床下部がすぐそばなので影響は十分考えられます。寒い暑いの感覚は大脳のはず。結局は忘れているという言い方で済ませますけど、つなぎ替えられた部分も含めて対応できていないことからかな。学習がすむまで続きそう。で、いつまで学習が続くのだろうか。  8月28日(水)、昨日、全国学力テストの結果の一部が公表されましたね。どうも、解答を文章表現したり、文章題の問題文の意味の解釈とかが苦手のようですね。これは日本の伝統かな。よう「学校の勉強は役に立たない」とかほざくのがいますね。でもね、新聞が読める力とかは学校の勉強でですよ。ただ、歴史の勉強は「悲惨」の一言に尽きますね。年代と事件名だけとかを覚えて役に立つのでしょうか。これは理科でもいえるかな。そして、選択で生物の勉強をしない。しても歴史と同じような勉強では。保健や生物で人間の体について、いくらか勉強しているのに、病気になるとあたふたで、ちまたの戯れ言を信用してしまったりね。脳卒中とかですと、筋肉や関節や骨には障害がないのに気が回らない。勉強の知識がばらばらになっているのなら、ばらばらで考えれば、動かそうという気になってもいいのに変なところで一緒くたにしている。筋肉や関節とかにも障害が起こったとかね。症状とかいろいろなのですが、それらを整理して考えれたら、もっともっと回復できていたはずの人が多いように感じています。その原因の一つが教育での評価というか教育の成果をどう受け止めるかです。いろいろな分野のことを調べて、考え、活用できる力がリハビリでも必要のようですが。結構すぐに役に立つことも教えていますよ、学校での勉強も。順位争いとかになってしまうと無意味になるかも。  8月29日(木)、今日は朝というのに足も腕も筋肉の硬直感に悩まされいます。早朝(午前6時頃ね)にわんちゃんを散歩に連れて行ったときは、快調でした。会心の一歩の連続だったのです。帰宅後あたりから、やばくなりました。今日はいつもよりストレッチをしたり、右手でもみもみしてみるほかないのかな。硬直感があっても夕方の散歩には行きますよ。それと、目指せ10000歩に。ところが、最近歩数計が計測できなくなってきているのです。今まで1500歩ぐらいのところで100歩以下とかになったりしています。どうも、使いすぎでセンサーがおかしくなってきたようです。ところが、無茶でなかったら、適正な使い方なら、人間の諸器官は使う方がよいようです。筋肉に力を込めて運動するとかですね。消耗性でない運動であれば、骨が強くなるか、もろくなるのを遅らせることができますが、筋肉を使わなかったら、どうも骨はぼろぼろになっていきますね。だから、運動するしかないのです。もう繰り返し繰り返しですよ、硬直感ね。  8月30日(金)、ヒスタミンH2受容体阻害剤の服用をやめて6ヶ月、順調でした。ところが、最近、胃液が食道に逆流しているみたいな感じなのです。嘔吐とかの経験から類推してみると「胃液」が食道ですね。回復してきているようで、視床下部の制御のバランスが狂ったのかな。2月に処方してもらっていて服用していなかった阻害剤があるので試しに服用しました。前にも書いたようにこの薬、取説では「朝食後と寝る前」なのですが、医師の指示は「朝食後」と「夕食後」です。就寝中の胃液の逆流防止ということでは「寝る前」だと思うのですが・・・。で、寝る前に服用しました。やはり、視床下部にも影響があったのですね。このような意味では視床出血は怖いですね。視床下部は自律神経中枢であり、ホルモン分泌中枢でもあるのです。やばい、やばい。  8月31日(土)、胃液の逆流ですが、寝る前服用で昨日はぼちぼちだったです。昨日も寝る前服用しました。ところが、朝食後、少し逆流しているみたいなのです。明日から、しばらく朝食後と寝る前に服用してみます。ところで、医薬品の長期服用は基本的にはよくないと思います。また、複数の医薬品の服用もね。医薬品は副作用をどの程度目をつぶることができるかで、主作用の方の医薬品として認可されていると思います。ですから、「気休めに服用」というのは副作用しか作用が起こらないという状態になります。医薬品は必要最小にしていきたいと思っています。結局は、主作用による利益と副作用による害との程度によって服用するかどうかになります。日本ブログ村の病気カテゴリーの中のあるカテゴリーで医薬品の長期服用についての投稿がありましたが、その医薬品、ネットで調べただけでも長期はやばそうだったです。私の現状は逆流性食道炎とかのリスクを避けるためにヒスタミンH2受容体阻害剤を服用しています。ヒスタミンH2受容体阻害剤も副作用があって、その中に「心疾患を持つ患者には処方しない」とかがあるようなのです。これは、胃のほかにも心筋にもヒスタミンH2受容体があるからです。  9月1日(日)、毎日毎日投稿していて、個人情報を楽に悟られないようにとか、ほかの方の中傷とかをしないようにとか、もろもろを考えながらしていると書くことがないことがありますね。で、今日は・・・。やはり病気的かな。何かを継続的に行うということですね。そして、効果とかがわからなくても続けている。織田信長みたいに気が長いのかな。織田信長、美濃攻め10年、石山本願寺攻め10年、秀吉の兵糧攻めを結果が出るまで気長に待ち続けている。これと同じように待ち続けてもその間も一応コツコツリハビリを続けています。織田信長のすごいところは戦いの下準備に精力を投入していたことかな。リハビリも下準備が大事かな。私らみたいな視床出血だけですと、筋肉、骨、関節などには問題はないです。感覚が少し戻れば動かせるようになりますね。それまでの間、筋肉を固めない、関節を錆び付かせない、骨をできるだけ保っておくとかいう、一見効果のでていないリハビリが必要ですね。見た目の常識というか思い込みから脱出を。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人ですと、織田信長が一番慎重で待ち続けることができる武将だったと思います。

2013年9月1日日曜日

学力テストの順位競争で失うもの、学力

 文部科学省の全国一斉学力テストの結果が出ましたね。その巷の反応をニュースでみていると、あの昭和の大失敗させられた学力テストの失敗させた方の亡霊を見る思いを抱きました。はっきり言って「順位で何があるの?」。まあ、よい方がちょっとだけましかなとも思いたいのですが・・・。  世界的に見ても、ある程度豊かになってくると、競争というか順位付けでは学習から逃げてしまうのがでやすくなるようですね。それと、この順位には人間性の評価が全く出てこないですよ。どこかの国の金の亡者みたいにあっちが儲かりそうだと思うと雪崩を打って向かい、こっちと思えばドドッとね。それと同じでじっくり育てるとかがなくなって「ともかく得点がとれればよい」だけの人間を育てることになりませんか。  あの昭和の学力テストの時、優秀だった県から人材が輩出したという話は聞きませんね。並でしょうね。普通の児童生徒は「順位で評価」が普通と思い込むかも。評価してから並べてみたら順位はでますが、そのときの基準は? 価値観は? という大切な部分が抜け落ちたまま比べることになるのでは。  ノーベル賞の価値観は「人類の幸せにどう貢献したか」だとノベール賞受賞者の野依良治氏が母校での講演で述べられたいました。受賞理由のなかに「優秀」とかの言葉は全くないとね。中国や韓国からノーベル賞受賞者が出にくい理由かも。日本もでが科挙の伝統、暗記試験の順位での評価の伝統とはほど遠いと思います。ということは、日本で暗記による順位付けから抜けていたところがあったのかも。  小柴氏は東大理学部物理学科をビリ卒らしいですね。田中耕一氏は東北大学で留年したらしいですね。下村博士は俗にいう秀才ではないですね。益川氏も逸話を持っていますね。そして、どなたも、俗にいう順位競争はせずに自分の信ずる道をというか、努力されてきたということだと思います。いかに自身の力を伸ばしてきたかということです。そして、「これだけしたら十分」というのはないでしょうね。各自いろいろだと思います。学力テストの範囲は、ある意味必要最小限かも。順位や平均点とかが簡単にでるのは、よくて必要最小限のことだけかも。真の学力評価なんてできないのでは。   だから、学力テストの順位は学力テストの順位であって、その人の能力の一面しか評価していないのと同様に都道府県の順位も学校順位も単に一面だけね。児童生徒の学力全般や諸能力の向上に取り組んで、よかったら儲けもの程度でしょうね。それより、生涯を通して活躍できる力をつけさせるため、その一部を担う学力についての全国調査が目的であって、順位付けはおまけでもなく、完全に目的外のはず。アメリカでは学校間競争、イギリスもかな、で、学力が低下したという報告もあります。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。