2014年1月27日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No77

がたがた動作と「全か無かの法則」   自主トレによる鍛え方の順序や強度は後にどう影響するのかな   拘縮になる要因についての疑問の一つが判った感じです   拘縮の起こる理屈   今でも注意していること「固めない、錆び付かせない」かな  ガタガタ騒ぎなさんな。「先祖返り?」  筋肉や骨の維持に神経は必要か  1月20日(月)、昨日、ある方と話をしていて「全か無かの法則」というのがでました。神経の興奮などでよく使われます。例えば、刺激に対する神経細胞の細胞膜で起こる興奮の大きさは刺激がある強さ以下なら興奮せず、それ以上の強さなら興奮するが大きさは一定であるという現象です。乳幼児の場合は筋肉と神経とも発達中ですからそう大きな問題は出ないように見えますが、特に乳児の場合は掴むですと力一杯で掴んでいるのかもとね。リハビリの時は注意しないとどうも力一杯こめているような感じがします。歩くときは左右交互ですから力を入れたりぬいたいかな。手で作業の時は持続的というのが結構ありますね。生活作業上も持続的というのがね。そのとき、「全か無かの法則」の「全力」になりやすいような気がします。「全力」になると「柔軟にしなやかに」は難しいかな。乳幼児でも「物を掴む」ときは最初全力みたいだと。徐々に「ほどほど」を体得しているのではと。我々みたいなのがリハビリの時に「力をこめる」というのをすると筋肉を強引に収縮させてしまいます。それでなくても筋肉は縮みやすいです。そして、筋力の強い方に曲がったり、伸びてしまったりするのかも。ロボットハンド等で柔らかい物を旨く掴めないとかいうのはほどほどの調節が難しいからですね。私も腕や足の動作で未だに「かくかく」となめらかにできないときがあります。ゆっくり動作させるときかな。微調整がまだできないからと思っています。微調整の仕組みについては長くなるので続きは明日ね。  1月21日(火)、リハビリで必要なトレーニングとはどの程度でよいのだろうか。私はごそごそしていましたが。脳への刺激と筋肉を固めない、関節を錆び付かせないが主だったような気がします。その理由は「全く存在すら感じなかった」ということでしょうか。ブログ村脳卒中カテゴリーである方のを読んでいると入院中同室だった方とよく似た行動、筋力をつければ回復が早いと思っているような感じがしました。麻痺の状態程度は人それぞれなので一概には言えないです。ある程度動く(作業に使える程度ではないです。)、柔軟に動くようになって神経が回復してきてから筋トレかなと私は思っていましたが、私とは逆に筋トレ優先だったということでしょうか。後々トラブっているようです。1kgのダンベルを持ち上げ損ねてしばらく止めたとかしていました。ベッドからの車いすへの移乗もベッドからの立ち上がり方、座り方も教えてもらってから手助けなしでしていたような感じでした。麻痺した部分に刺激を与えるというのはよくしていました。筋肉を伸ばしたり、曲げたりもね。歩行も解禁になってからは健常人以上の歩数かな。乳幼児は無茶な重量物を持ったり、スクワットなどしていないですね。よく見たら判ると思うのですが、ほどほどに持てる物や行動ですね。神経の再構築中はぼちぼちの荷重でないと後に響くようです。でもね、布による雑巾がけリハビリはどのくらい力をこめると無茶に入るのかな。時間は、回数は、と思います。  1月22日(水)、昨日の続きですけど、拘縮になるのはリハビリをしないで悲嘆に暮れていたためだけかなと思っていたのですが、過剰トレーニングも拘縮の原因になるのですね。昨日の方はそこに気づかれるのに相当時間が掛かったとブログから読み取れました。私は「必ず復活するぞ」とは思い続けていますが、当初から「いつまでに」というのは考えていなかったようです。「あっけらかん」と熱心に(救急で入院した病院の看護師さんが言ってました。)気楽に取り組んだのがよかったみたいです。STの自主トレをしているときに「Avada Kedabra」という呪文が聞こえるといって、言語聴覚士のYさんに怒られるような気楽さです。悲壮感というのがなかったようです。リハビリは楽しかったですよ。リハビリの成否は脳の再構築ができてからだから、それまでは筋肉を固めない、関節を錆び付かせないなどで再構築を待つしかないという思いもありました。ただ、指が動く、よたよたでも少しは歩けたなどで上達の実感が得やすかったですね。「徐々に」というのが大切だということ、一足飛びはないということも理解していたので「楽しいリハビリ」「修行ではないリハビリ」で楽しく入院生活を送ってきました。で、奇跡的早さの回復のようです。腰を振ってみたらフラフープができそうな感じがしました。明日は無理な筋トレなどが拘縮に繋がる理由について推論してみます。  1月23日(木)、拘縮が起こる理由の一つは収縮性タンパク質の性質があるのではというものです。ミオシンフィラメントとアクチンフィラメントとが収縮の時に結合したのを引き離すのは伸筋の場合は屈筋、屈筋の場合は伸筋なのです。引き離せなかったらその筋肉はもう収縮できなくなります。どちらか勝利した方の勝ちね。拘縮のできあがりですね。ですから、リハビリではマッサージをしてもみほぐすのです。ミオシンとアクチンを長時間同じ状態に保つというのもよくないようです。その位置で結合のできあがりかな。力をこめた運動をして、その後、収縮させた筋肉をストレッチとかで伸ばしておかないと拘縮かな。力をこめると多数の筋繊維が働きます。脳出血や脳梗塞で運動神経を制御できないとか、筋肉の感覚神経から情報が戻ってこないとかで収縮させた筋肉を伸ばすことができないですね。筋トレや過剰な自主トレですと一方の筋肉を収縮させ続けやすいですね。脳が制御できないですからリハビリなのでアンバランスのままになって拘縮のできあがりね。「暴れる」や「貧乏揺すり」の原因は脳で筋肉の制御ができていないからですが、私のような場合は筋肉の感覚神経が少しずつ戻ってきているようなのでその度に暴れてくれます。こうなる前に力をこめた収縮をさせ続けると脳で新たにその仕事を始めた脳細胞に間違った記憶をさせることになる可能性ね。「いつも収縮命令を出せ」という間違った記憶ね。以上は私の今までの調べたことをもとにした推測ですが、こうでも考えないと説明できないと考えています。  1月24日(金)、日常生活で今でも注意していることは「筋肉を固めない、関節を錆び付かせない」です。発症後、意識がしっかりしてから変わらない方針です。少々回復が遅れようが手足がしっかりと将来的に使えるためには「固めない、錆び付かせない」だと思っていました。ほかの方からみたらぐらぐらに見える筋肉の収縮のアンバランス、関節のすべり。でもね、これは「固めない、錆び付かせない」がいまのところ成果を上げている現象ではと思います。筋肉が固まったら、ぐらぐらもしないのでは。関節が錆び付いていたら手足の屈伸とかができないのでは。ある方が3~4時間座っていて、足が固まったとかいっていましたが、どのような座り方だったの?普通は足をゴソゴソ少しは動かすと思うのです。確かに私も信号待ち程度でその前後の歩行が違うことがちょいちょいあります。でも、大きな支障はないです。固まりやすい方はどのぐらいで固まるのでしょうか。私は少し屈伸する程度で解消できていると思っています。寒さが厳しいと確かに固まりやすいですね。原則手袋を使わないので朝の花子との散歩の時の手はきついです。このとき、杖を持つ右手の指の冷えかたで寒さの程度がよくわかります。一昨日の「Avada Kedabra」という呪文は有名なので説明はいらないと思うのですが、念のために書くとハリー・ポッターね。ヘッドホーンをして映画を見ながらの言語聴覚療法の自主トレね、何していたのでしょうね。あるサイトで「過剰努力は筋緊張亢進や関節拘縮に繋がる可能性」というのを見つけました。  1月25日(土)、「先祖返り」とは生物で過去の進化途上の形態などが現れることをいったりしていますね。親を飛び越して数代離れて形質が現れることもいうようです。リハビリ途上での「先祖返り」は数日前、数周前、数ヶ月前、数年前、あるいは何できないような状態に戻ることでしょうか。「固めない、錆び付かせない」などで運動器官などが保たれているような状態ですと、脳での再配列(再構築)で別の働きをしていたとおぼしき新しい脳細胞が失われた脳細胞の代わりを担い始めたときに起こるのかも。この新しく働き始めた脳細胞の訓練が終わっても次の新しい脳細胞がというように次々と代わりがでている間は起こるのかな。よい状態になる、戻った感じ、よい状態、戻った感じを繰り返してよくよく思い出してみたらよい感じになってきている場合はリハビリの成果が出てきていると思ってよいのではと思っています。「ガタガタ騒ぎなさんな、コツコツとやりましょう」かな。私も以前なんとか立ってズボンを穿いていたのを、今は支えながら穿いていますが、足の感じはよくなってきていると思っています。ふらつく理由は感覚神経が常に徐々に戻ってきているからと感じています。ただし、リハビリを続けているとことが絶対必要ですけどね。ガタガタ騒ぎなさんな。ほかの病気という場合などのことも考えておく必要はあると思います。一昨日、久しぶりに18000歩を歩きました。で、昨日、訪問リハビリでみてもらったら、特に問題はないとのことです。でも、大腿部の緊張感が強くなっていますので注意しています。拘縮、怖い。  1月26日(日)、「筋肉や骨の維持に神経は必要か」ですが、どう思われますか。骨については筋収縮の時の運動神経や筋肉の細胞膜の電位変化などが必要といわれています。だから、筋トレすると骨は丈夫になるとね。ただ、過剰トレーニングは骨を脆くする可能性が高いです。マラソン選手などに疲労骨折が多い理由かな。筋肉を過剰に使うと筋肉からの情報が増えすぎて、脳が過興奮してパッパラパーになるともいわれています。使わなかったら、脳が起きないともね。ホーキング博士はどうしているのだろうね。筋肉がほぼ動かないそうです。筋肉の活動と脳の活動は密接に関係しているということね。脳卒中等で筋肉が脳と切り離されたみたいになるとやせ衰えやすいかな。脳からの神経による刺激をどう回復させるということが筋トレの前にするべきことかな。そして、中途半端な状態で脳に間違った再学習をさせてしまって「筋緊張亢進」状態を固定化させるかも。固定化すれば「拘縮」が待っていると思うのです。筋肉や骨の維持と密接な関係にある脳で問題が起こったのが脳卒中ですね。筋肉を鍛えてもそれだけでは使えませんよ。脳が復活できるまで「固めない。錆び付かせない。」で凌ぎましょう。

2014年1月26日日曜日

地球は無限なのか

 表題はちょっと大きくね。でもね、今の経済活動をみていて感ずることは「経済規模は無限に拡大する」とでも思っているその手の輩が非常に多いような気がします。ですから、経済指標が少しでも頭打ちのがでたりすると「株売り」ね。少し良ければ「株買い」なのですね。もう少し長期的に考えるとすべての指標はいずれ頭打ちだよ。  人口はどのまで増えても大丈夫なのか。とかね。化石燃料を使い続けると温暖化とともに「酸素」は大丈夫なの。それと可採埋蔵量との関係ね。この中では「温暖化」が最初かも。大気が有限ということからかな。  日本国内の小売りでも販売額の伸びしろがなくなってきていますね。数量では顕著に表れています。自動車の国内販売台数どうなの。今は人口増加中の国でよく売れていますが、いつまで続くのかな。農業生産はどこまで増やせるのかな。野菜工場もできてきていますが、穀物生産ではどうかな。  既存の方法による活動はすべてどこかで天井に達すると思います。そして、新規の方法でしばらくは凌げても結構早くに天井に達するような情勢になってきているのが今の地球かも。  そして、にっちもさっちも行かなくなる前に「縮む」というのも考えて見る必要があるのではと思います。拡大だけですと、新規の方法やで対策ではどうにもならない事態がね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2014年1月20日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No76

倉敷でのこと、簡単に  鉄道など公共交通機関を利用するときの座席について 知らないということは・・・   リハビリの時ほど「柔軟に、柔軟に」リラックスかな   ハードコンタクトレンズ装着時の指使いなどの力加減から思うこと  またまた、歩きにくかったよ   「暴れる」「貧乏揺すり」についての一考察  1月13日(月)、昨日の旅行での話。幹事が宿で大原美術館の入場券を買うと安いよといって皆さん購入していましたが、私は手帳提示でといってパス。歳を取ると手帳持参者が多くなるのですが、私よりベテランが購入してたみたい。割引や優待があるかは一番で調べるようになってしまいました。公的美術館ではないのに全額免除というのはすごいですよ。大塚国際美術館は半額でした。某県は県立でも半額。手間でもチケット売り場で優待券を発行すると何人入場したかがより正確にわかると思います。某国立美術館では提示で入場可でした。ただ、美術鑑賞は愛好家と一緒の方が何となくですが、「ゆっくり」と鑑賞できるのではという感じがしました。宿での宴会が畳の部屋。座り続けて立ち上がるとき、後ろにごろり。長時間はよくないですよ。来年は椅子席にと来年の幹事にいっておきました。短時間なら正座ですと手もつかずに立ち上がれるのですが、長時間はまだ無理ですかな。あぐらはなぜかてつきでね。あぐらであろうが足投げ出しであろうがやばいね、長時間はね。  1月14日(火)、鉄道など公共交通機関を利用するときの座席について。発症後、交通機関利用の場合は「空いているとき」か「始発」とかにしています。今までに2度譲ってもらったことがあります。一度はバスで車いすのところに座っていたら、車いすが、負けね。そのとき、私と同じ停留所から乗車した方が替わってくれました。もう一度は横浜で新幹線から乗り換えた横浜線で女性の方にです。この2回以外は座れないような乗車はしないを原則にしています。ですから、電車がきてもパスするとか、各駅停車を使うとか、まあ、その程度で何とかなるようなところに住んでいるということかな。今回の倉敷行きでJRの各駅ですが、時間帯とかもあると思うのですが、岡山で乗車したとき優先座席が8人分丸空きになってました。今の私の現状は立ち止まっているとかが辛い、歩いている方が楽なのです。交通機関はどうしても揺れますので座りたい。辛いだけなら、まだしも、転倒はさらに怖い。回復度は人それぞれなので、また、障害の状態や程度も人それぞれなので私の交通機関利用の現状でした。  1月15日(水)、情報不足という感じがある場合が多いようですね。私の場合ははじめの病院で妻が看護師から「介護保険の申請」について役所に行った方がよいといわれたとか。それで、救急病院に入院中に介護認定を受けることになったのです。調べる切っ掛けにもなったとね。リハビリ病院に転院後も介護関係の相談もできたということですかな。「知らない」→「判らない」→「何もしない」というのが多い感じが。「障害認定」も同様の面があると思います。ただ、どちらも診断書や意見書を書く医師の問題もありますね。私の担当医はきつかったのか緩かったのかどちらなのでしょうね。リハビリ病院入院ということで申請後はすんなりと障害者認定を受けることができました。入院中から、「どうして皆さん障害の度合いが私より重いのよ」とは思いました。救急病院での介護認定で要介護4がでた私の感想です。退院前頃にリハビリ中に介護どの話になって「要介護4」というと笑い飛ばされました。このような話ができるのも情報を使えたからかな。教えてくれた看護師さんがいなかったら、大原美術館の入館料を払っていたかもしれないです。はじめの切っ掛けになる情報というのは大切だなと思います。倉敷の写真を少しアップします。下手な目隠しをしてみました。私は写ってないですよ。  1月16日(木)、「力を入れない。柔軟に」ということについて、昨日の日本経済新聞「私の履歴書」で小澤征爾氏が故ミュンシュ氏にフランス語で「スープル、スープル(柔軟に)」といわれたとありました。「指揮をするのに力を入れてはいけない、しっかり音楽を感じていれば指揮はできる」とね。リハビリでも「力を入れて」というのは「力み」になるようです。私でも、指や腕を「伸ばす」という動作をしたときに全身の筋肉が収縮している感じを受けました。バランスが取れないのですね。不必要なところに力が入っていたのです。でも、「伸ばす」ということだけだったのでしばらくしたら、ほかの部分はリラックス、腕なども楽に伸ばせるようになりました。そうしたら、無理なく曲げることも伸ばすこともできるようになったのですが、油断をすると屈筋に伸筋が負けそうになりました。「どちらが勝つというのでもない柔軟に筋肉が使えるように」という意識で、まずは健常側と同様の動作(負荷なし)ができるというのを目指していたみたいです。今でも余分な負荷は階段の昇降ぐらいにしていますが、14000歩前後で昇降で200段程度ですからわずかですね。ダンベル体操は徐々に負荷を増やしたのですが、痺れとかが強くなったので中止。軽く屈伸とかを可動域を保つ範囲でしています。変に筋肉を緊張させない、動く範囲を確保するで、脳への刺激になるように心がけています。筋力を保つというのは大切なのでそのバランスは難しいですね。スキーでは足首・膝・股関節などの関節部位で柔軟に屈伸して体重移動等をおこなって、カーブ、停止とかをしました。上半身も含めて全身リラックスね。力業ではないです。リハビリ期での力業は強張りに通じると思います。特に神経の回復前の力業はどうかと思っています。  1月17日(金)、昨日の続きみたいになりますが、ハードコンタクトレンズ装着時に「力任せ」で瞼を開ける動作をしたらどうなるでしょうか。感覚がほとんど戻っていない時期で指が腕が動かせ始めたときはよく力の入り過ぎで指が滑ってしまったりしました。今は皮膚感覚や筋肉の感覚がいくらか戻ったみたいなので「力の入りすぎによる失敗」は激減しました。左目の瞼を麻痺した左腕の指で広げるという動作ですね。怖さが判りますか。それでも視力確保のために看護師さんにぶつぶつ言われながら(失敗したときの後始末などでね)も自分で装着できるようにリハビリをしてきたのです。力がつけばできるというものではなく、「しなやかに、柔軟に指や腕は動かせる」必要があるのです。目標の一つ、「左手でハードコンタクトレンズを取り扱うことができる」というためにはもっともっと「しなやかに優しく指が使える」必要があるのです。脳への刺激という面ですとある程度強い刺激の方がよいとは思いますが、強すぎると拘縮とかを招くかも。弱すぎると刺激には不十分かな。難しいです。  1月18日(土)、昨日、歩きにくかった。筋肉や関節がまあ柔軟に動きができるようにしているのが裏目に出たかな。伸筋か屈筋のどちらが強いということのないように屈伸をなめらかにできるようにしたり、スキーで滑るときのように頭の位置を一定にして体を右に左に、腰を上下させたり、膝や足首の関節などをバネみたいにしてみたりしているのが効き過ぎたのかな。ある麻痺された方が回復していく途中なのか「腕が暴れる」と表現されたのとある意味同じような事が起こっていると思います。感覚神経がまた回復した分があり、その練習中という感じですね。拘縮とかしていたら、私の感じるようなふらつきはないのではと思います。足を暴れさせるのは入浴中にしています。腕は暴れさせないですが、思い切り伸ばします。目をつむった状態で手摺りを掴む練習をしています。隙間の方に指4本が一発で揃ってはいるようにね。これをすると腕が痺れること、痺れること、よく痺れます。  1月19日(日)、ネットのとあるところに、とある方が発病後2年近くたって「貧乏揺すり」が少しできたとありました。この「貧乏揺すり」とはどのようなものなのでしょうか。私が「暴れている」というお風呂での「のたうち」みたいな躍動なのか、椅子とかで麻痺した側の足に少し力を入れたときにおこる震えみたいなものなのでしょうか。どちらも回復してきてから起こっていることです。力で押さえ込めるかもしれないですが、屈筋と伸筋のバランスが取れるように脳の再学習が終了するまで続くでしょうね。この手の「暴れる」に類することは大抵の方に、回復しつつある方に起こるようです。よく思い出してみると発症直後は「暴れる」など全くなく、手足の存在すら判らなかったです。何となく存在が判るようになっていってのち、起こってきたことです。だから、「貧乏揺すり」でも「暴れる」でも表現は違っても回復している証拠かな。ただ、暴れない時期からみると一時的に動作がおかしくなるはずですよね。安定しないのだものね。リラックス状態での筋力調整を脳が早くできるようになるためにはやはり暴れさせるのも必要かな。「暴れる」というのは屈筋と伸筋が交互に収縮しているから起こるのでしょうね。適度な収縮がどの程度かを試すためかも。どちらかに勝利させると拘縮が待っていると思います。脳卒中での回復中の思いです。ほかの病気ついてではないですよ。特に視床出血での麻痺から回復しつつある私が感じている思いです。

2014年1月19日日曜日

東京都知事選挙の候補者で思うこと

 東京都知事選挙で投票権を持っているわけではないので外野から思うことです。  猪瀬前知事のようなアマチュアを選ばないようにね。今のところの候補者をみてみると宇都宮氏を共産党・社民党などが推薦するのは当然かな。桝添氏を自由民主党東京都連が推薦するのもまあありかな。  ようわからんのが、投げ出しの細川氏と丸投げの小泉氏の組み合わせね。私の印象では投げだしとして残っており、竹中氏に丸投げしていた感じね。そりゃあ、公約が発表できないのも判らないでもないです。原発ですが、日本が脱原発すると、今の再生可能エネルギーの利用状況などからみて、温暖化を少し早めることになると思います。他国の取り組み如何ではもっともっと早くなるかも。  あの原発事故で判ることは設計や建設はしっかりしていたが、防災対策や実際の有事の時の対応がなっていなかったということか。どうも、日本の悪い部分が出た感じです。  オリンピックは誘致してしまったから成功させるしかないですよね。バラ色だけですと、ギリシャ・イタリアなどの二の舞にね。都民無視の秘密主義になると、太平洋戦争突入時と同じような感じかな。  私に投票権があったとしたら、投票に行かないかもの顔ぶれです。すみません。東京で立候補する気もないです。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2014年1月13日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No75

発症後で歩数10000歩になった頃   昨日に続き、発症後の足関係について  腕の方のリハビリで思ったこと、感じたこと  入院中とかでおこなっていて後でよかったと思ったこと 脳の損傷部位の働きの代替について思うこと   私の思う感覚麻痺で運動麻痺が起こる理由  発症後のリハビリ中にしない方がよいことは何かな。  1月6日(月)、寒いと筋肉が強張りますね。ほぐすのには筋肉を温めることですが、方法は大きく二つ、暖かくするとか外部から暖めるで、もう一つが使って暖める。使う方がへまをすると、変に固めたままとなりかねないし、使わずにいると固まりかねないしね。ブログ村のブログの中に「発症後初めて14000歩」とかがあったので、思い出してみると私が発症後歩数5000歩超えたのは3ヶ月目、10000歩越えたのはその少し後のエレベーター単独使用可になったらすぐね。そのしばらく後に15000歩ぐらいになった日があったと思います。これ、すべて入院中ね。病院は広いし、敷地も当然広いですからね。発症後2ヶ月ほどで車いす暴走族になる程度に麻痺側の足の膝関節などの曲げ伸ばしをしていたのでわりと格好良くみたいです。歩くとかですが、その前に車いすで膝や足首や腰を曲げていた、ベッドでは伸ばしていた、足漕ぎで曲げ伸ばしをしていた効果でしょうね。入院中は感覚神経の戻りがあまりなかったようなので筋肉の制御がやりやすかったのかも。今は完全には戻っていない。中途半端に徐々にですから、そのたびにふらつくふらつくふらつくです。まあ、踏ん張っていますがかっこよさですと入院中の後期の方がよいかな。部分的でも感覚神経の取りが幾分か早くできたので視床痛にはならなかったと思います。入院中から気にしていたことの中に可動域を広く保つというのがあります。今もね。昨日、可動域ではないのですが「四股」の真似事をしてみました。左足がふらつくので転けない範囲でね。ほかに手摺りを持って、左足を振り上げてみるとか。腕は振り回す、背中に回すとか、手首を振り回す、指の曲げ伸ばしをするとか、作業ではなく可動域確保が最大の目的です。感覚が戻れば作業はできると思っています。  1月7日(火)、昨日に続き、発症後の足関係について書いてみます。当初、存在すら判らなかった。そう、視床出血なので完全に感覚なしです。ベッドからの連絡の時も左足が反応しなかったので落ちきらなかったと思います。何日かして、尿のための管が取れてトイレ行きが始まりました。このときより車いすね。このときは腰や膝はよく曲がりました。そのあたりから日中車いすなので曲がった状態と夜間ベッドの伸びた状態の半々ぐらいかな。リハビリが始まりました。はじめは平行棒の間です。立ち上がることができたという程度からです。片道の伝い歩きね。そして、往復ね。杖を使ってとかになっていきました。よく覚えていないですが、大外回しだったかも。後ろからいつでも補助できるようにしてもらっていました。救急病院のリハビリ室でしたの距離はそれほどないと思います。このリハビリ室内の車いすでの移動の時に足漕ぎを始めました。最初は皆さんと同じ健常側だけ、しばらくしてから両足にしました。このときはつま先主体だった記憶が。リハビリ病院に転院後、「踵をつけて漕ぐと歩行に役立つよ」といわれ、踵をつけるようにすると、足に体重をかけることができましたし、上体も前屈みね。車いすマラソンの選手みたいかな。リハビリ病院で最初、杖歩行で10mの時間測定で38秒です。6月末頃の退院時には6分で420mでした。転院2週間後ぐらいの土曜リハビリで杖なしで90m歩かされました。車いす漕ぎは両足使いになり上達していきました。4月になってすぐに「階段昇降」の練習がありました。一段登るごとに両足が同じ段になる登り方ね。階段昇降は健常者と今は同じようにしています。歩行の方は「格好良く」ですね。麻痺側を旨く曲げながらという歩行練習主体だったかな。そのとき、体重計2台に片足をそれぞれ乗せて左右の体重移動の感覚練習もしました。健常者の格好良い歩き方が負担の少ない楽な歩き方を解りましたので車いす利用でエレベータ一利用が許可になってから自主トレで平行棒のところで橋運びの練習。4月下旬だったかな病室のあるフロアでの単独杖歩行が許可になりました。ようもないのにうろうろが始まります。5月になって歩数計を持ち歩くようになりました。単一フロアで5000歩ぐらいね。車いす利用で1階に下りたときは建物の外に出たり、人影のないときはリハビリ室前で暴走したりしました。加速して惰性で走るのです。両足でないとできないかも。未だに腕による車いすに座っての移動はできません。杖利用でもエレベーター許可になってからは朝の散歩、朝食後の散歩、夕方の散歩、日中のうろうろなどで10000歩以上になりました。階段を一人で昇降してよいとなってからはエレベーターはほとんど利用していません。病室は5階でリハビリ室は1階ね。車いすの活用が歩行などのリハビリに非常に有効だった感じがします。入院中よりこの頃足の感覚が戻ってきているのでごたごたね。そのたびにふらついています。そのたびに脳の学習だものね。明日は腕関係ね。  1月8日(水)、昨日予告の腕関係ね。腕も当然存在すら判らなかったです。意識が戻り、はっきりし出したときから健常側の右腕で持ち上げたり、肘を曲げたりをし始めました。要は筋肉を固めない、曲げ伸ばしで痛みが出ないようにという思いからです。指は忘れ去られていた感じね、このときはね。リハビリで指を含めたマッサージやテーブルの拭き掃除とですね。コーンを掴んで放す。などなど。そのときに麻痺すると曲がるから指を伸ばせたら掴めるといわれたので、指とついでに腕を伸ばす自主トレね。日中車いすに座っていたのでちょっと持ち上げては落とすみたいにしてしました、しました。夜間よく寝られるようになりました。発症2週間が過ぎた当たりだったかな「指をじっと見つめながら曲げたりしようとしたらできた」と指が曲がりました。それも指指定でね。「じっと見つめる」というのは別の感覚を活用してですかな。この頃から「曲げる」と「伸ばす」が主にして、ついでに「掴む」かな。今でも手持ちぶさたなのか、左手はにぎにぎね。まあ、キーボードも発症前から右手一本指打法、マウスが右手専用、お箸は右手のみとかの右利きなのでコンタクトレンズ装着以外は大して不便を感じなかったです。ですから、可動域の確保と筋肉を固めないなどに集中できたのかも。特定の作業のために無理をするというがなかったですね。足の方もですが、腕も健常側の右と同程度の範囲で動かせることができるというのを最優先に考えてきたみたいです。変な癖をつけたくないという事です。作業での信頼性は今一でも無理なく動作ができること。なめらか動作をということです。大きな問題は皮膚感覚と筋肉の収縮程度の感覚が戻ってくるまで筋肉などが固まることなく動かせることが大切と思っています。その上で指先などに刺激を与えて脳で感覚を感じ取れるようにしています。視床の神経細胞が失われたので、それに代わる部分の脳の神経細胞に視床の働きを受け持ってもらえるように刺激を与え続けています。新たに働き出した神経細胞は新人ですから、一から教育ね。既存の運動神経との協調も一から学習ね。私としては感覚が戻り始めるとこの学習がおこなわれていて、その間、筋力のアンバランスが増幅されると思います。学習が完了するまでは麻痺当初の方がよかったなどということにしばらくの間なったりするのではと考えます。神経細胞はたくさん関与しているのですが、感覚神経細胞の復活はちょっとずつみたいなのでそのたびにこのゴタゴタがね。明日はリハビリ上よかったと感じたことね。  1月9日(木)、表題とずれるようですが、視床出血で左半身麻痺なのに鼻の左気道のつまりがよくわかりました。どうも、右が元々狭いのか左が詰まると苦しく感じるのです。それが、ベッドから転落という騒動に繋がります。この転落時に三途の川の渡し船から転落して溺れ生きしたのかな。ただ、上体を起こしているとほとんどつまらないのです。それで、日中は車いすに座って起こしていました。そうすると腹筋、背筋、側近とかで体を支えさせていたことにね。筋肉を使うということが脳の活性化に繋がります。脳が元気であるということがリハビリには必要みたいなのですが、そう考えるようになったのは後々ね。入院中はいつも以上にみなかったものにテレビがあります。もったいないしね。ラジオで済ませていました。今回はノートパソコンを持ってきてくれてモバイルでインターネットができたのです。DVDでの映画鑑賞もね。テレビを見るよりは手間が少し余分に掛かります。この手間暇をかけるというのもよかったようです。読書は視力の関係上辛いのでやらなかったです。電子ブックは保存できる期間や閲覧ソフトの利用できる期間等の懸念があるのでパス。株式市場はネットができるようになってから毎日みていました。回診の時、見つかったので「入院費を稼がな払えない」とかいっておきました。状態がよければ稼げたと思いますが・・。体をできるだけ適度に動かして、頭も使うというのもよかったかも。人間は直立してから、人間への道を歩み始めました。だから、上体を直立させておく方がベッドでゴロゴロするより当然よいと思います。リハビリ病院に転院後なのですが、病室の外へ出てうろうろしたのも。といってもはじめの頃は廊下と談話室ぐらいでした。時間が掛かっても動く方の足とかだけでもということですが、私の場合は時間が掛かっても両足ね。ゆっくりゆっくりで無理せずね。麻痺側の足が案外早く頑張ってくれるようになりました。で、一昨日投稿のようになったのです。腕もにぎにぎと肘の曲げ伸ばしや肩関節の動作に繋がる腕の動きもね。どの程度の腕や手の機能が回復しているかというテストで結構よい点数になったみたいです。動作を分解して考えて見たら、腕が健常側みたいに動かせて、手で物が使えたらリハビリでのテストはよくできますよ。確かに筋力という問題があるのですが、感覚神経が回復する前に無理をすると動きの固定化が起こるかもと思います。にぎにぎと手首ふりふりと腕の屈伸とふり回しが健常側と同じようにできれば感覚が復活すれば作業はできると、感覚の復活のためには触ってみるとか握ってみるとかを適度に続ければと思います。足もいろいろな屈伸動作とストレッチかな。いろいろな向きに足を振り上げてみるとか、足首等も当然ぐるぐる等々ね。体幹部も当然ね。できるだけいろいろな筋肉を伸ばしてみたりとか。明日は脳の損傷部位の働きの代替について思うことね。  1月10日(金)、リハビリでいえることに「リハビリは患者が取り組んで始めて効果が出る。」ということだと考えています。それは脳での変化にもいえることで医師も看護師もセラピストも手が出せない領域ではと思います。まあ、少しは可能性はありますが、本人の取り組みによる効果より非常に小さいと思います。では、脳でのお話に移ります。長い間、脳での修復はないと思われていました。でも、検査機器等の発達で脳の別の領域で活性がみられたりとかが報告されるようになりました。もし、修復されないのなら私の筋肉や皮膚感覚が徐々に戻ってきている理由は何なのでしょうね。修復の方法は樹状突起や軸索を伸ばしてつなぎ替えをおこなうことでしょうね。で、脳のほかに部分にある新入りの神経細胞が入ってくることにね。ただ、死んだ神経細胞は復活しないよ。樹状突起も軸索も細胞膜のみみたいな構造をしています。樹状突起や軸索が伸長を始めるためには「刺激」が必要なのです。この刺激は患者自身による動作が必要なのです。患者の意欲とかもね。軸索伸長因子とか神経成長因子とかも見つかってきていますが、必要な部位に分泌できるのは本人の取り組みみよると思います。この樹状突起などの伸長の時に必要な栄養としてはタンパク質もあるのですが、脂質が主成分の細胞膜ということなので脂質が必要です。それも、必須脂肪酸であるω3系とω6系などの不飽和脂肪酸が必要なのです。食事で摂取するほかないのですが、病院関係者の認識は高くないようです。必須脂肪酸はすべての細胞の細胞膜で必要というのにです。この脳での再生中は「痺れ」を感じるとも、実際私はよく痺れていますし、違和感も強いです。違和感は範囲が広がったり狭くなったりで徐々に狭くなっていっています。  1月11日(土)、どうして感覚神経麻痺、例えば視床出血ね、で運動麻痺が起こるのでしょうか、このことについて私なりに考えていることを書いてみます。普通、我々が安心して握手ができるのはどうしてでしょうね。それは筋肉の収縮の度合いが常に感覚神経で戻ってくるからです。ですから、手をみずに相手の顔を見ながらできるのです。そのときは筋肉の感覚神経だけではなく皮膚表面の感覚も必要なのです。すべての随意筋は感覚があって動作できると考えています。ですから、感覚を別の感覚で置き換えることができると動作できる事もあります。人間は成長の過程で感覚神経細胞、中枢神経細胞、運動神経細胞、運動微調整神経細胞など多数の神経細胞の連携で動作ができるようになると考えます。このどれかが脳卒中で失われると脳のほかの部分の神経細胞が新人として代わりができるとリハビリが効果ありとなると考えます。そのとき、新人はベテランみたいに働けないですね。修行をする必要があるのです。修行中はがたがたね。その関係の細胞で一気に新人が出てくるわけもないのでゴタゴタは新人ごとにね。「腕が暴れる」と表現された方がいましたが、新人が出てきたのでしょうね。一見、以前より悪いように見えることもありますが、そのときはよく観察もしてください。経過状況で対処を考えて見ましょう。筋肉や関節を固めたり、変な癖を持ってしまっている方は専門家にご相談をね。感覚神経麻痺で運動麻痺になる理由と思っています。今日から倉敷に一泊旅行に行ってきます。JRで障害者割引を私でも受けられる距離ね。明日の投稿は遅い時刻になります。途切れさせたくないだけね。  1月12日(日)、発症後のリハビリ中にしない方がよいことは何かな。私は割と大人しくごそごそと自主トレしていたので感じないです。「筋肉を固めない」や「関節を錆び付かせない」とかの動作の時はできるだけ「軽く」していたような気がします。筋トレをしていた方もおられるのですが、麻痺した部分ではどの程度されていたのでしょうね。痛みや痺れがでない範囲なのかな。無理すると変な癖がつきそうで怖いです。筋肉の力のバランスが取れなくなったりするようです。もともと筋力の違いがある大人なのでその差が大きくなって後で困るのでしょうね。闇トレに相当するものは軽く?という感じでした。刺激があればというものね。筋肉とかを固めないようにね。車いす漕ぎもいわれてからだしとかで無茶はしていないです。入院中10000歩以上も理学療法士さんに話もしているし、見つかってもいます。経過観察もしてもらっていたような感じです。9日の木曜日に新しい主治医をお願いしてきました。問題が完全に解消するわけではないですが、投薬が処方箋ですから「金儲けの投薬」の可能性は激減しました。1泊旅行の話は明日以降にね。

安倍首相の外国訪問で思うこと

 昨日まで旅行にでていました。投稿遅れましてすみません。  ところで、安倍首相、盛んに海外を訪問していますね。できれば、国会開催中にもでやすくなればとも思います。その代わり、休会中にも本会議は休会でも、委員会は審議があってもと思うのでが。外交は国外の諸国とおこなうわけですね。互いに国内事情を考慮しながらの首脳訪問だと思います。  主要国の首脳は以前から国外によく出ていた感じも。日本は国内事情優先でしたよね。国内を優先せざる終えないときもあるとは思うのですが、国会がちょっと硬直的すぎるのかなと思うことも。で、外交交渉をまともにした頻度はどの程度あるのでしょうか。特定秘密でばれると困る一番の理由が「外交交渉での無能ぶり」だったりしてね。  TPPでの農産物については「国内事情」で農業政策を、それも、国内での他産業との競争も考えない農業政策で交渉以前の上体みたいですね。あの対戦に突入していったときと大して変わらないのではという気がします。まあ、このような状況を少なくするためにも遊山物見を少し含むような海外出張を議員さんにはしてもらうのもと思うのですが、今の不勉強上体では海外に出るなかな。  まずは自腹で海外国内を経験を高めるような旅行をね。首相や首脳や上級官僚などの海外旅行は次元が別ね。遊山物見はだめね。最初から成果を、すぐにでる成果がなくてもよいですから、将来を見通してね。安倍首相のなんかの外国訪問は相手国も成果を求めているから何もないということはないかな。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2014年1月6日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No74

薬の開発中止のリスク情報はどこの国から、気になります。   この1年で脳出血等疾患でのリハビリについて思ったこと   年頭のご挨拶  麻痺した筋肉で感じる屈伸時に感じる痛みで思うこと  散歩に連れて行っています。規則正しい生活がよい理由  麻痺した部分で作業ができるようになる前にすることで思うこと  リハビリでの問題の一つが「諦め」かな。もう一つが「急ぎすぎ」かな。  12月30日(月)、今年もあと二日ですね。目を見張るような著しい伸展のあったリハビリをできた方はおられたでしょうか。私は「気長に」ですね。ただ、「休まず」「諦めず」かな。ところで一昨日投稿の薬品会社情報ですが、日米欧などで臨床治験でした。日本だけではないのです。日本は昔(今でも?)「手間暇」と「面倒な書類」とかかな、外国の治験は認めずで審査に時間ばかりかけて、杜撰な治験でもパスさせて「薬害大国」の名を世界にとどろかせていました。今回のリスク情報はどの国からのでしょうね。世界各国ならいいのですが、「日本以外から」でしたら、相変わらずかと思います。新聞にはどこの国の情報かはでていなかったです。大型新薬になる可能性があると言うことでしたが、大型毒薬になる前に中止したというのは今までの日本では考えられないことかな。薬品会社は「儲け」が見込まれても「薬害」を起こす可能性の候補は「中止する」という判断をしたのだということです。この情報から読み取れることは「医薬品は主作用(効能)とリスクのバランスを考えて使用している」ということですね。絶対安全な医薬品ってあるの?「治験中は単なる新薬候補」ということを忘れている投資家が多い感じがしました。  12月31日(火)、今年最後の投稿です。この1年で脳出血等疾患でのリハビリについて思ったことのまとめ的に書いてみたいです。私のリハビリへの取り組みのはじめの頃の思いは「筋肉を固めない」というのと「可動域を確保する」というのが正しかったということかな。皆さん、筋肉を固められたみたいです。すると、関節も錆び付き固まって動かせないみたいですね。正常な右側と同じような範囲や動きを右腕などを使って動かしていただけね。過去の入院時などでの経験からしていたことです。次が最初の病院でのリハビリで「伸ばせたら掴めるよ」という意味がよく理解できたことね。上肢は屈筋の方が強いから「曲がったまま」になりやすいですね。その意味がね。自分なりに理解できたこと。言われたときは「ものを掴むには手を広げるしかない」とかで「伸ばす」自主トレね。その次が車いす漕ぎで「麻痺した足も使うと効果があるよ」と言われて使いました。最初の頃は足手まといで、転院して「踵をつけてすると歩行の時に役立つよ」で、踵をつけ始めました。加速できるようになり、暴走族にまでなりました。よくよく考えると、足は伸筋の方が強いですね。麻痺すると伸びきりになるので大外回しね。車いすは腰と膝を曲げますね。踵をつけて車いす漕ぎをすると、前屈みになり、膝も直角以上に曲げることになりました。足の関節の鍛錬にもなったのです。動かすというのをよくしていましたが、これは発症時には思っていたことです。脳への刺激としてはやはり「使う」や「使ってみよう」というのが必要です。脳での接続の再配列というか再構築のためには刺激がまず必要であるということを実感した1年であるということかな。リハビリでセラピストさんの助言を聞いて、変な癖をつけずにすみそうです。リハビリを受けなかったら非常に時間が掛かって、手足の動きはぎこちないままだったでしょうね。でも、「リハビリの主体は患者自身」という思いも確認した1年だったかな。脳への刺激はある程度の強度と頻度が必要ではと思い始めた1年ね。『脳の回復が始まるまでの間は「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」というが絶対必要です。』と再確認した1年かな。とかで、「奇跡的回復」ね。とかで、「視床痛ってどのような状態?」と視床痛には無縁でした。もう一つ、「奇跡的」と書きましたが、どうも「奇跡的」ではなく、出だしで「筋肉を固めなかった」「関節は錆び付かないようにできた」ということのようです。  1月1日(水)、明けましておめでとうございます。この台詞がいつまでできるのかな。今年も脳血管疾患であって、首から下に異常がない場合のリハビリでごそごそと投稿させていただきます。繰り返しばかりかもしれませんがお許しを。それと、筋肉と関節を固めてしまった方には申し訳ないですが、繰り返しばかりです。私みたいなのは最初が肝心ね。「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」、最低この2つかな。動くようになる?感じるようになる?という疑問もあるかと思いますが、当座は知ったものではないです。この2つをしておかないと固まって動かなくなるということは確実とほぼ断言できます。していたらどのぐらいで動くようになるのかも解らないです。神のみぞ知る世界かな。でも、復活したいのなら発症後意識が回復したらすぐ始めることです。1日数回曲げて伸ばすだけでもね。腕を肩より上に健常側で持ち上げてみるとか、などなど。やらないなら固まります。断言できます。意識の回復が遅れるようでしたら、医師、看護師、家族などが固まらないようにするべきかも。できればすべての筋肉・関節なのですが、できるだけたくさんね。使わないと退化するというのが動物の筋肉というのをお忘れなく。どのようにリハビリをしたらより早くとかはセラピストさんなどに聞いてください。無神経な医師は時々「動かせるようにするのは諦めてください」とかいったりしますが、動かせるようにした患者さんもいます。発症されたらすぐに取りかかりましょう、「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」取り組みを。リハビリは患者本人が取り組むしかない方法です。セラピストさんらは補助しかできないのです。患者が取り組まない限り効果はないかも。私は視床出血で感覚麻痺ですが、感覚が復活してきています。刺激を与え続けたのと、脳での再配列に必要な栄養を摂取し続けたからかな。再配列は脳細胞の細胞膜をつくることだと思います。細胞膜の主成分は脂質、それも不飽和脂肪酸のうちω3系とω6系の必須脂肪酸を忘れずにね。脳の発育にDHAね、これω3系です。体内で合成できないから「必須脂肪酸」なのです。飽和脂肪酸は肝臓で大量生産できるのでなにか栄養を摂取していたらできますよ。  1月2日(木)、そうそう相当初期には書いていたことに「動かなくなった筋肉を伸ばしたりしたら痛みが生じる」ことがあります。私の経験では肺の手術後に生じました。「えい、や」と伸ばしたら痛みは取れました。これはちょっと違う理由による痛みかもしれないですが、痛みに負けて伸ばすのを躊躇すると可動域が狭くなっていきます。私の父がそうでした。「痛い、痛い」といって動かさなかったのです。動作としてではなくても健常側を使ってでも屈伸させておくことだと思い、そうしていました。屈伸させることのみが当初の目的で「回復?」てなことでも屈伸させていました。筋肉だけではなく関節も固まりにくくなりますね。脳への刺激にもなりますよ。実際、上肢の筋肉で痛みが出ましたが、我慢しながら屈伸してました。このタイプの痛みがどうして生じるかについては調べたことがないです。まあ、「使わないと錆び付く」式だと思うのですがいかがですか。動かせているようでも可動域が小さくなってしまっては麻痺して硬直したのと同じですからね。  1月3日(金)、お正月ですね。でも、犬には関係ないですね、普通のお家では。ただ、朝夕の散歩の時の出会いが少なくなってます。犬は普通規則正しく生活したいのでは。野生ですと食事は獲物の確保の関係で時間的にはばらばらでも、日の出とともにの昼行性動物、日没とともにの夜行性動物ね。人間は昼行性ね。できれば日本ですと日の出とともに活動開始ね。この仕組みに逆らうとろくなことはないですよ。だから、規則正しい生活ね。実験で志願者にトンネル奥深くの世間と隔離された状況で時計なしなど時刻が判らないように生活してもらうと1日約25時間程度で過ごすそうです。結構高い割合でね。そう、体内に時計があるのです。それを朝日で調整しているのです。生物の宿命かな。だから、食事もいつもと同じぐらいの時刻の方がよいことにね。薬の服用も毎日同じぐらいの時刻の方がよいですよ。時刻医療ね。  1月4日(土)、ある方の感じから、結構回復されておられたと思っていたのですが、麻痺された部分で動かせなかったところがあったようです。そこで、自分の動作を見ました。訪問リハビリで特に指摘されるところもないし、腕は振り回せるようにはなっていますし、背中の方にも健常側の右ほどではないですがそこそこ動かせます。指の動きもすべての指の動きね。手首もそこそこの柔軟性もあります。足の方も屈伸もできますし、横開きもとか健常側とぼちぼちの動作ができます。問題は感覚神経の戻り具合ですね。幾分かは戻っておるのですが、完全回復ではないので、役に立たないことも。特に手ではね。また、走るというのも足の感覚がもっとも戻ってからでしょうね。発症時から気にしていたことに「可動域の確保」です。作業とかは二の次にして、「ともかく動かせること」「健常側と同程度の範囲で」ということがあります。そして、動かせていろいろしていると、あるいは麻痺部分に刺激を与えることで感覚が徐々に徐々に戻ってくると思っていましたし、戻ってきています。でも、信頼性のある作業にはまだまだということかな。子供も成長期の動作ですぐには信頼性のある動作はできないですね。そう、訓練ね。でも、すぐにできると期待はしていないです。脳での再配列が終わり、役割を担い始めた神経細胞が学習を終えるまではもたもたね。  1月5日(日)、リハビリでの問題の一つが「諦め」かな。もう一つが「急ぎすぎ」かな。これ、子育て、教育の世界でもよく見られます。「諦め」と「忍耐強く」は違いますし、また、むやみに努力を強いるものでもなく忍耐強くというのが必要かな。そして、ある程度以上に上達したのなら、その子の能力とかを考えて・・というのが教育の世界ね。ただ、その後、何もしないというのは衰えにつながりますよ。「急ぎすぎ」はどちらも大問題です。子供への虐待の要因の一つかな。リハビリで、例えば、歩行ですが、「かっこよく」というのはそれなりに足の機能が回復してこないと無理ですよ。そこをとにかく「歩く」ということのみにとらわれて「大外回し」などね。足の屈伸を十分にできるようになると普通に歩けるようになりやすいです。車いす漕ぎで麻痺側の足も使うととかね。これ、膝の曲げ伸ばしの鍛錬になります。踵部分の鍛錬にも腰の部分もかな。直接関係ないようですけどね。「物を掴む」という動作ですが、指が伸ばせるようになればできます。別に掴まなくても、まず、伸ばす。麻痺したら指は屈筋の方が強いので曲がりますからね。どれだけ、伸ばすことに集中してやっていたかはよくわからないですが、夜がよく寝られるようになりました。草臥れた。言語聴覚療法でも発声練習の前の練習がありますよね。急いでなにか作業ができるようになりたいと普通は思うようですね。でも、順序を飛ばすと変な癖がついてとれなくなりますよ。それでなくても屈筋と伸筋の力のバランスの悪さや筋肉、関節のこわばりとかで問題が起きやすいですから気をつけています。

2014年1月5日日曜日

「自己解剖の勇気」を

 新年明けましておめでとうございます。昨年中お読みいただきありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。  年頭に当たり、昨年末には首相の靖国神社参拝もあったので「自己解剖の勇気」というのとで今年の始めとします。2週続けて同じような感じかな。  「自己解剖の勇気」というのは故司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」にあったものです。人体解剖で内蔵とか調べるのが好きという方はそれほどいないと思います。多くの方は「いや」でしょうね。このいやなことを自国の過去についておこなうことなのです。「辛いこと」「目を覆いたくなること」などをさらけ出して意識の上にのせることです。日本はこの「自己解剖の勇気」がないということです。  「太平洋戦争敗戦への道」は日露戦争のときにすでにでてきていました。例えば「旅順要塞攻略」です。実際の要塞を見ずに過去の「城攻め」で突撃ばかりさせた乃木伊地知コンビ。そして203高地でも「突撃」ね。結局は重火器を多くしてからの突撃的な攻撃で203高地を攻略できたのですが、その前は・・の山ね。検証をしていたら二人とも出世しないはずが・・。このもたもたの間に最新鋭戦艦2隻、機雷で沈没。日本海海戦で苦しいことにね。  ここでの突撃を美化したため、以後「突撃の日本」ね。どれだけ将兵が死んだことか。日本海海戦の時の軍用艦は最新鋭ね。ロシアはいろいろ超ポンコツもあったみたい。負けたら恥さらしの海戦かな。この恥さらしに近づけた旅順攻撃ね。  ノモンハン事件ですが、死傷率70%以上という結果を箝口令で蓋をしてうやむやに。兵器の改良をしていないです。口先だけの威勢のよいスローガンだらけに。今の北朝鮮みたいかな。スローガンだらけの政権のしていることを比べてみると今の北朝鮮の方が兵器の近代化としている感じがします。  「本土決戦」「一億玉砕」の意味がわからなかった当時の上層部。「国体護持」とか本土があって、日本人が生活できてこそ「国体」を護持できると思うのですが、「一億玉砕」ですと、日本人全滅ね。硫黄島やその他で将兵に玉砕を強いてきているから本気だったのでしょうね。全員死んで何が残るのかな。首相は天皇に死を覚悟させた人物をよく拝みに行けるものだよ。死を覚悟させた人物たちを除く戦没者慰霊施設に行くべきだよ。過去に目を閉ざしているのだね。  「過去に目を閉ざす者は未来も創れない」という意味があるので歴史は大切なのです。辛い過去を消し去ることはできないのです。ただ、よりよい未来を創るために辛いことも真剣に検証する必要があるのです。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。