2022年2月27日日曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No496

発症時の記憶。13回目。リハビリの目標。PTはわんことの散歩ができる。   発症時の記憶。14回目。リハビリの目標。OTの方ね。   ボトックス療法は脳卒中後遺症では痙縮等で筋肉が緩まなくなった場合ですね。   ボトックス療法は医薬品として「ボツリヌス菌毒素」を使います。   神経系は興奮ニューロンと抑制ニューロンがセットになってうまく活動しているのです。   できるだけ運動神経系興奮ニューロンが興奮状態にならないようにリハビリをするにはできるだけ「他動を主体にして筋肉が引き延ばされるタイミングや感じを脳にたたき込むのがよいかもね。   先月、加湿器を購入して20日以上になります。  2月14日(月)、発症時の記憶。13回目。リハビリの目標。PTはわんことの散歩ができる。公園の盛り土の山に登れるね。登るとうことは降りることができるですよね。OTは麻痺手でコンタクトレンズが扱えるようになる。STは覚えていないです。では、PTのことについてね。何か目標をというので、とりあえず「わんことの散歩ができる」と言うことにね。公園の小山(盛り土)に登ることができるということね。それでか、屋外に出てのリハビリもありましたが・・。5月や6月ですね。屋外の紫外線が気になりました。普段は日中は屋外に出ないのにね。リハビリの時刻は結構紫外線が強いのですよ。それで「お肌に悪い」と難色を示したこともね。「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」で関節はよく動くし、階段の昇降していたので、立体駐車場の車のスロープ上り下りとかをしてくれました。足先、爪先をある程度持ち上げた歩行ができたためでしょうね。足首が尖足にはなっていないからできたことかもね。退院後に実際にわんこを散歩に連れて行くことになりました。雨天の日には杖と傘とリードの3点セットで頑張っていたのですが・・。つらくなって、ふと、傘兼用杖のあることに気がついて購入しました。常に杖を持って歩くということもできますしね。これも、当初から関節可動域重視で健常者風歩行ができた結果と考えています。  2月15日(火)、発症時の記憶。14回目。リハビリの目標。OTの方ね。日常生活上の重大問題、コンタクトレンズの装着ね。片手法もあるようですが・・。健常側を使っての腕伸ばし、指伸ばしをしていました。体全体を使っての麻痺腕振り回しによる腕伸ばしとかもね。このふり回しの時に「脳はそこら中に収縮命令をだして、筋肉等からの情報で不必要な部位への収縮命令を出さなくなっていく」ということをね。麻痺側ではこの情報がないに等しいですから苦労するわけですよ。例えば、肘曲げで屈筋と伸筋を同時に収縮させてみたりとかね。指曲げでも同様ね。そこをうまく対処しながら徐々に使い物に近づけていったわけです。でも、未だに不都合だらけですよ。円錐角膜なのでハードコンタクトレンズ装着が必須ね。ということで、麻痺指をできるだけ動かさないようにしての装着でした。この麻痺指がコンタクトレンズを認識できるぐらい感覚を回復させたいですが、こんなの短時間でできるわけないので、だましだましの指使いでの装着です。この程度の使い方でも筋緊張亢進や痙縮は困るのでぼちぼちリハビリをぃしています。明日はボトックス療法について久しぶりに投稿してみたいです。  2月16日(水)、ボトックス療法は脳卒中後遺症では痙縮等で筋肉が緩まなくなった場合ですね。筋肉が収縮したままというのは運動神経系興奮ニューロンが興奮状態のままになってしまうからです。筋肉が収縮するのは運動神経系興奮ニューロンが興奮して、この興奮が神経筋接合部で筋繊維に伝えられることによります。興奮したままになると常に収縮命令が筋繊維に伝えられるのです。これをボトックス療法で邪魔をすると筋肉が弛緩できるようにね。神経筋接合部の興奮ニューロンの神経終末からアセチルコリンが分泌されて伝えられています。このアセチルコリンを分泌できないようにしているのです。ボトックス療法はこの部位のみに作用しています。興奮ニューロンの興奮解除はされていません。ですから、薬効が切れると元の木阿弥です。痙縮状態に戻ってしまうのです。薬価が10万円でしたら3ヶ月ごとに10万円ね。保険適応なら3万円かな。年に12万円ね。エンドレスで続くことにね。なぜ、痙縮状態になるのかいうと脳卒中感覚麻痺では感覚がないので運動神経系抑制ニューロンが働かないからですよ。興奮ニューロンの興奮解除には抑制ニューロンが活性化して興奮ニューロンに抑制性神経伝達物質を作用させる必要があるのですが・・。抑制ニューロンが働かないのなら、興奮ニューロンの興奮をできるだけ低い状態でできるリハビリをする必要があるのですよ。予防が一番です。もし、対症になってしまったら一生ボトックス療法を続ける覚悟で療法を受けてくださいね。ボトックス前提のリハビリは金儲け主義の藪です。明日はボトックス療法の仕組みです。  2月17日(木)、ボトックス療法は医薬品として「ボツリヌス菌毒素」を使います。この毒素は破傷風菌毒素より少し強力な地球上で最強の毒素です。破傷風毒素とともに1マイクログラム(100万倍が1gです、1gで100万人分ね。)もあれば一人殺すことができるのです。青酸カリは200mgも必要です。ですから、取り扱いは厳重に管理されています。生物の作る毒素なので作用する範囲が限定されているのです。ボツリヌス菌毒素は運動神経系興奮ニューロンの神経終末のみで破傷風菌毒素は運動神経系抑制ニューロンに対してのみですが、こちらは神経細胞体の方に軸索中を移動するというのです。ですから。ボツリヌス菌毒素の方が扱いやすいようです。神経終末に侵入してシナプス小胞の形成を阻害します。神経伝達物質はシナプス小胞という袋に入れられてシナプス間隙に興奮による命令で分泌されるのです。で、受容体に受容されて効果が出ます。筋肉では収縮作用ね。体のすべてでこのことが起こると死にますので、注射は極々一部の局所ですよ。その部位の筋収縮のみ起こらなくなるわけですよ。痙縮等では抑制ニューロンが作用していないので運動神経系興奮ニューロンが過興奮の状態になっていくので、症状によって注射する量を制御してボチボチの作用ししているだけです。興奮ニューロンは興奮したままですから、薬効が切れると注射ということになるのですよ。どのくらいの回数必要かは・・なので、エンドレスと考えた方がよいでしょうね。、  2月18日(金)、神経系は興奮ニューロンと抑制ニューロンがセットになってうまく活動しているのです。ですから、活動の一つである筋収縮は運動神経系興奮ニューロンの働きによるのです。ところが、興奮ニューロンの興奮は抑制ニューロンから抑制性神経伝達物質を放出してもらうことで興奮が解除されるのです。ただ、興奮ニューロン5ぐらいに対して抑制ニューロン1ぐらいだったかな。昨日投稿した破傷風菌はその毒素によって抑制ニューロンの働きをなくしてしまうのです。昔の画家の写実画ですか、屈曲腕、握り込んだ手、棒足、尖足等は脳卒中後の症状とそっくりだったのでびっくりしました。ウィキペディアで見つけたことがあるので探してみてね。破傷風は重症になっていくと筋収縮が最大になっていき、骨折したりとかもね。また、意識は鮮明のままだというのでその状態で・・になることもあるとね。まあ、脳卒中後はそこまではならないと思います。脳卒中感覚麻痺では運動神経系抑制ニューロンが機能していないと考えてリハビリをするのが必須ですよ。徐々に緊張が蓄積されていって痙縮になってしまう可能性をね。尖足もこのタイプの現象によって足先が下を向いたままになっていくのですよ。脹ら脛の筋肉が収縮したままになってアキレス腱を引っ張って踵を引き寄せるからですよ。尖足は内反足の元ね。トレッドミルで膝関節が動かないのも同じ理由ですよ。  2月19日(土)、できるだけ運動神経系興奮ニューロンが興奮状態にならないようにリハビリをするにはできるだけ「他動を主体にして筋肉が引き延ばされるタイミングや感じを脳にたたき込むのがよいかもね。各自で見つけてね。救急病院では上肢も下肢も「他動」主体でした。上肢は健常側を使った引き延ばしですね。また、腕は全身振り回しによる振り回しや健常側での引き延ばしね。指もね。普通にリハビリでしてくれるので参考にしてね。下肢は日中車いす生活ですよ。朝起床すると車いすに移乗して生活ね。このとき、腰を深く入れて座ることね。膝は直角程度には、まげて生活ね。こうすると股関節も足首関節も直角程度にはなります。ふんぞり返ったり足を投げ出したりしないことね。夜になるとベッドで寝るということで曲げ伸ばしですよ。日中車いすというのは最初の頃に「腰痛」と戦う必要があったりしてね。この戦いには勝利しました。上肢は振り回しは退院後しなくなりましたが健常側を使って引き延ばしは今もしています。この車いすでの座り方は今の事務用椅子への座り方につながっています。リハビリ病院への転院後は「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」という低緊張の動作が加わったわけですよ。これをリハビリ病院退院日までしていました。特に起床直後のトイレ行きの時に重宝しました。車いすの時は装具をしなくてもよかったですからね。装具装着は邪魔くさいですね。体の状態に応じて歩行リハビリや上肢のリハビリをボチボチしていました。  2月20日(日)、先月、加湿器を購入して20日以上になります。途中、綿棒を入れている部品が緩んで水滴が出たりしました。?と思っていたのですが、給水時にその部品を押し込んでみたら止まりました。感覚の復活でか瞼とコンタクトレンズのトラブル的な感じ、瞼が開けれないなんてね。それがなくなってきたのです。洗濯物加湿ができないときにも加湿器で少しは加湿できますね。洗濯物加湿時には湿度計を見ながら追加の加湿ね。異常乾燥を防ぐことができるようになったことも瞼にはよかったようです。角膜にもね。瞼を開け閉めしているのに瞼関係の筋肉には筋緊張や痙縮はないですね。瞼関係のボトックス療法はありますが、眼瞼痙攣ですね。手足の痙縮とかとは原因は全く異なりますが、ボツリヌス菌毒素の同じ作用を利用しています。最も、最近よくふらついたりしているので瞼のみではなく全身で感覚が復活しつつあるようです。脳の回復には適切適度な刺激を脳に与える方がよいですよ。ところが、痙縮等にしてしまうとその状態、ボトックス療法中はボトックスでの治療状態が「定常」と脳が認識してしまう恐れがあると考えています。ですから、「楽な外力による関節可動域確保動作」が継続してできる状態を維持しようね。

2022年2月19日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No495

発症時の記憶。6回目。   発症時の記憶。7回目。歩行のほかに「階段昇降」、障害者風を指導してもらいました。   発症時の記憶。8回目。今日でちょうど発症10年です。   発症時の記憶。9回目。今回から、一応、上肢についてね。   発症時の記憶。10回目。リハビリ病院転院で上肢も本格的?リハビリです。   発症時の記憶。11回目。OT室のソファに脹ら脛がちょうど密着みたいになるのがあったのです。これでいたずらね。   発症時の記憶。12回目。STね、元々発声不明瞭もあったし嚥下障害の恐れもあったしか、リハビリ病院ではSTもありました。  2月7日(月)、発症時の記憶。6回目。最初にPTのリハビリね。一応、下肢ね。非常によたよたと杖歩行が少しできていたので歩速を測定しました。10mをわずか38秒しかかからなかったということでした。1kmあるくときは3800秒ですね。その前にぶっ倒れていますよ。転院してしばらくの土曜リハで杖なしで60m近く歩かせたPTがいました。「何するのだ。体の準備ができていないのに」。そう、すこし歩けるのなら、補助付きで時間をかければね。それは後々問題を超すことになるのにね。担当のPTとは土曜リハには「は行で始まる名前のセラピストさんお願いしますと」かね。ボチボチやっていました。車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行で関節がよく動かせることから転院1ヶ月強で健常者風へのリハビリが始まりました。でも、「歩数を」とかは全くなかったです。リハビリ後の自主リハも始まったのですが、短時間で切り上げて病室に戻ってハリポタです。健常者風では体重計2台使って健常側と麻痺側への体重のかかり具合を確認したりとかもね。歩容の修正とかいろいろ指導してもらいました。関節が楽に動かせるというのがよかったようです。  2月8日(火)、発症時の記憶。7回目。歩行のほかに「階段昇降」、障害者風を指導してもらいました。PT室の模型でね。転院月末ころね。このあたりだったかな、「装具」の話が出て、自前のを購入することにねオルトップの一番お安いのにね。これでも、装着は邪魔くさかったです。そのうちに病棟内杖歩行可になっても、朝の起床時のトイレ行きは車椅子を使っていました。事情があって、退院日まで車椅子確保していました。お安い装具でこれですから、ロボットは非常に面倒でしょうね。転院の翌月中頃に「床からの立ち上がり方」をね。捉まるものがない状態でのね。関節の動きがよいから教えてくれたのかな。車椅子に乗って転院してきたのが、その2ヶ月後ぐらいには病棟内杖歩行許可されたのでした。健常者風ですから、基本杖はつかないですが安全のため常に持ち歩いています。今もです。歩行許可月の末日には階段単独昇降が許可になりました。なにがというと、リハビリ時にリハビリ室に行くのに時間の計算ができるようなったということです。リハビリ病院のエレベーターは時間の計算ができないと思った方がよい状態ですよね。  2月9日(水)、発症時の記憶。8回目。今日でちょうど発症10年です。階段ですが、転院2ヶ月後ぐらいから模型ではなく本物の階段でリハビリね。ある時期からは、こちら側から要求もしたりね。許可後は一日5往復ぐらいだったかな。1階から5階までね。健常者風昇降ができるようになっていました。あるとき、リハビリ室に行こうと5階から階段に出たら、土曜リハでお世話になった病院一足の長い女性セラピストさんが後とについて様子を観察されたのです。「早く追い抜いてよ」状態ね。1階まで見守られました。転院3ヶ月頃に「小走り」の指導もね。転院時車いすだった私がです。これも「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」のお陰かな。数回だけでしたが。リハビリ中にある女性セラピストさんが他の患者さんとリハビリで歩いていたので、その後をついて行っていたら、私を指導中のセラピストが「こっち」方向を変更させられました。「なんで」と聞くと「セラピストには変更させる権利がある」とね。そんなかんじでリハビリしていましたが、「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」休むことなく毎日おこなっていました。転院時10mを38秒必要だったのが退院時には6分で420mになっていました。健常者風で無理せずに歩行ができると速さも距離も出しやすくなります。まずは「楽に動かせる関節」ね。 筋力云々より関節可動ですよ。で、退院時まで病院の車いす確保ね。なので退院日まで「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」ができました。  2月10日(木)、発症時の記憶。9回目。今回から、一応、上肢についてね。下肢と違ってなんとか健常側で動かせることが限定的ですができますね。これを活用することになったのです。救急病院での最初のOTで「広げることができたらつかめるよ」といわれて、病室に戻ってから、「他動での腕伸ばし、指伸ばし」ね。なぜか、他動のみね。このときに脳はそこら中の筋肉に収縮命令を出して感覚情報で必要のない筋肉への収縮命令を出さなくなっているとね。リハビリ時間ですこし自力で広げて物体をつかんでたりしましたが・・。1~2週間ぐらいしたら、自力でゆっくりの指伸ばしと指曲げができるようにね。脳神経外科部長がびっくりね。リハビリ用に小物を持ってきてくれていたのですが、ボチボチ程度しかしなかったです。OTさん推奨のチラシパイプ重量挙げスタイリハビリもボチボチしました。肩揚げはリハビリ病院退院後の整形外科での吊り輪形式の健常側で麻痺腕を持ち上げる用具が役に立ったと思いました。あるブログに「鴨居タオル」で同様の目的でされたとの投稿を読んだことがありました。上肢も下肢同様「関節可動域」重視ね。  2月11日(金)、発症時の記憶。10回目。リハビリ病院転院で上肢も本格的?リハビリです。感覚麻痺ということで感覚の戻り具合というのが大切なのか中の見えない袋の中にいろいろな形の物を入れて、探っての見つけ出しや表面のざらざら面を見えないようにして指で感じるのとかね。徐々に指作業的なこともね。そうこうしているうちに4月ですね。新人が入ってきました。担当のOTに女性の新人がついたわけですよ。なん日かして土曜リハの代休時に新人だけでという一時間だけの担当変更票をわたしよったから、「この票なしで変更」してとね。そう、担当を交代してよです。代わってくれました。「リハビリ病院が天国」という実感ですね。徐々に作業がきつくなっていくわけですよね。そうすると、緊張が高くなりすぎたと感じたら、「緊張が高くなってきたので休息します」といったこともね。こっちも一人で車椅子でリハビリ室に行けるようになると「自主リハ」ね。話をしながらのリハビリは楽しいですが、一人だけはつらいですね。サボり気味ね。なので、筋緊張亢進にならなかったのかもね。リハビリは根を詰めてするものではないですが必要量は必要ですね。  2月12日(土)、発症時の記憶。11回目。OT室のソファに脹ら脛がちょうど密着みたいになるのがあったのです。これでいたずらね。普通、椅子から立ち上がるときは前屈みにですよね。そう、重心を足の所定範囲に入れるためですね。ところが、足がある意味固定できるのでしたら、範囲外でも立ち上がれるのです。椅子の形状によってできることね。それができるソファーがあったのでした。上体を垂直のままで立ち上がるということをこの女性セラピストさんの目の前でしたわけですよ。普通なら、尻餅ですがすっと立ち上がれたわけです。びっくりしていましたよ。くれぐれも椅子の形状等の条件がそろっている必要がありますよ。2回びっくりさせました。嫌われたら困るので2回でやめね。OTでは卓球もしたり、まあ、健常側でラケットは持っていましたが・・。それと、神戸大学医学部保健学科開発らしい「麻痺上肢の機能テスト」を何回かしました。好成績だったようです。一番の理由は関節を楽に動かせるということでしょうね。人間は関節動物です。関節が動かせて動作をしているのです。お忘れなくね。トレッドミルで歩行しながら膝関節の稼働を向上させるのは無理かも。もっと低緊張の状態になるような方法で筋肉が弛緩しやすい状況にしておこなう方がよいと考えられるのですけどね。例えば、「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」とかね。  2月13日(日)、発症時の記憶。12回目。STね、元々発声不明瞭もあったし嚥下障害の恐れもあったしか、リハビリ病院ではSTもありました。当初はSTだけが女性だったです。途中からOTもね。どうも、発声の方が主体だったみたいでした。元々「ぞ」と「ど」と「ろ」が曖昧でした。「道路ローラー」なんて発音させるのはいじめものだと言ったこともありました。でも、練習するものですね。こちらは手足等と違って痙縮はないようです。嚥下の特訓は命がけですよね。しなかったです。転院月の最終日にセラピストさんと妻と知人とあってもらいました。妻と知人は口をそろえて「元にもどっている」とね。この日からでも、2ヶ月以上続けてもらいました。呼吸量を増加させるために瓶に水を入れてストローで「ぶくぶく」もしました。このときのストローの袋を吹き飛ばすという「ローマの休日」式リハビリもね。リハビリ室でコーヒーを入れたこともね。このセラピストさんともう一人の患者さんの3人で花見にもね。病院の敷地の桜ね。このとき、私の車いすの車輪が一つ凹みの落ちたので重心移動させて、落ちた車輪を浮かせていたら、セラピストさんが「車輪が浮いている」と飛んできました。体重移動で脱出できる凹みなのにね。

2022年2月13日日曜日

リアリズム 現実がわかっているのか

 厚生労働省の例ですと、生活保護の受給についてね。あの大阪の火付け犯、2年ほど前に行政書士に書類を書いてもらって申請したみたいですね。賃貸不動産があったので受給できずです。この賃貸不動産、空き家700万戸以上の日本ね。条件が悪くて借家人が見つからず、住居に使うには・・という物件で、どうも完全な負動産みたいだったようです。固定資産税は取られるしね。売るにも売れない状態かもね。負動産では食いつなぐことができないですよね。不動産なら売却していたかもね。 生活保護の貧困ビジネスもネタは厚生労働省提供ですよ。ホームレスの方が受給しようとすると、支援団体か貧困ビジネスのお世話になる必要がある条件にしているようですね。普通、支援団体があるって知らないですよね。 中小企業庁でしたか、持続化給付金とかね。確定申告書のコピー・・なんて「捏造」は必然ですよね。国税庁に協力を依頼しないというていたらくね。国税庁については協議や納得した申告を後出し修正しないでくださいね。解釈の違いですね。困ります。 コロナ病床の補助金で堂々と詐欺行為ができる仕組みにしていたりね。 産地偽装は農林水産省だけではなく、「ブランド」の確立に向けての企業等の意識向上に省庁が取り組んでいない結果かもね。 経営者もですよね。「安値競争」の行き着く先はじり貧での総倒れということをね。 韓国に一人あたりGDPで負けてしまった日本ね。「世界一」とかうぬぼれている間に国民全体を貧困に追いやっている行政と経営者ね。 もうしばらくしたら、日本に出稼ぎ外国人労働者は来なくなるのではとね。もう、韓国からは来ていないですよね。 太平洋戦争時、ドイツのヒトラー自殺が1945年4月、ドイツ正式降伏が5月、東京差別(高級住宅は除外だから)大空襲が3月、沖縄は6月戦闘終了かな。7月原爆実験成功、8月原爆投下。ドイツ降伏で勝ち目が全くなくなっていたのにね。 もっとも、開戦前から現実を直視できていたら「勝ち目なし」がわかっていたでしょうね。 この投稿のメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

2022年2月12日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No494

脳卒中ごの受容はいつごろでした。脳内出血を感じて手足の麻痺が確認できた時に「脳出血の結果」とね。そうそうに「リハビリで復活するぞ」でした。   2月ですね。今月の9日で発症10年になります。   「思いだし」のみで発症当時の様子を綴ってみます。「記憶」がどう変わったのかとかが判ると思うのでね。   ブラックリストに載ってナースステーションから常時監視できるところに移動させられました。   発症時の記憶。3回目。   発症時の記憶。4回目。   発症時の記憶。5回目。  1月31日(月)、脳卒中ごの受容はいつごろでした。脳内出血を感じて手足の麻痺が確認できた時に「脳出血の結果」とね。そうそうに「リハビリで復活するぞ」でした。脳の可塑性や脳が体を支配しているから、そこで出血が起こったりするとその支配している体の部位に不調が出るとかはすぐに理解できたしね。脳は適切な刺激がある方が回復しやすいもね。ほぼ、即受容だったかな。だから、救急病院でベッドから頭を下にしてぶら下がったときに助けに来てくれた看護師さんが「大きな音がしたから」といわれたので「そうなんだ。大きな音をだしたらナースコールを押さなくても来てくれるのだ」とかね。焦りもないし、諦めもないし、落ち込みもなしでした。適切適度のリハビリを求めてですよ。それで「他動での腕伸ばし、指伸ばし」と「日中車いす生活」にかもね。救急病院ではベッドから車いす、車いすからベッド、ベッドサイドからの移動はすべて介助されてでした。転院日までね。リハビリ病院も退院日まで車いすを使っていました。常に「楽な外力による関節可動域確保動作が継続してできる」ですよ。  2月1日(火)、2月ですね。今月の9日で発症10年になります。発症当初から「あっけらかん」と気楽に、「気楽」は以前から?、暮らしてきたお陰か、手足は結構「動かせる」状態です。「動かせる」だけね。下肢は歩行で役立っていますが、上肢はぶら下がっているだけみたいなときがほとんどかもね。関節が動くからね。ただ、制御不十分ですね。制御しようとすると運動神経系興奮ニューロンが興奮状態になっていくのですよ。「他動」で筋肉の引き延ばしですね。あるいは「できるだけ緊張の起こらないように動かす」でした。筋肉を楽に弛緩できるようにしておくというのが関節動作では必要なのですよ。関節ではほぼ「伸筋と屈筋」はセットですからね。一方が収縮するときには他方は弛緩する必要があるのです。弛緩できなくなるからボトックス療法なのですよ。弛緩して引き延ばされてから働く筋肉です。筋肉は収縮しかできないのです。発症前から理解していたことです。だから、回復が早かったのかもね。  2月2日(水)、以前に投稿したのはすべてPCにも保存していますが・・。「思いだし」のみで発症当時の様子を綴ってみます。「記憶」がどう変わったのかとかが判ると思うのでね。2月9日夕刻、職場のトイレで小の用足しをしていたら、頭の中で何か漏れたような感じがあったのです。ほんの数分後には麻痺症が徐々に現れ始めました。その1分後ぐらいには腕は動かせなくなった感じです。で、いろいろあって意識を失うわけですが、時々まだらに意識は戻ることもね。救急車を呼んでもらって救急隊の方が鞄のなから診察券を見つけてくれました。よくぞ、鞄の中を調べてくれたと感謝しています。かかりつけの救急病院に搬入されることにね。病院到着時には妻は病院からの連絡でいたというのですが、意識不明ですよ。なぜか、「コンタクトを外して」といったのを覚えています。どうも、脳神経外科病棟に直接入院ということになったようです。このとき、「個室」という言葉が聞こえたような気がしたので「承諾したらあかん。病院の都合による場合は差額室料を払う必要はないから」といったような記憶ね。数日後に病室移動時まで何人部屋は判らなかったです。この初日にベッドから頭を下にしてのぶら下がり事件を起こしたのでした。  2月3日(木)、昨日投稿のぶら下がり事件の犯人は「鼻づまり」で上体を起こすとマシになるので健常手に触れたベッドのリモコンで頭側をあげたら、はい、頭を下にしてね。寝てベッドに接触させているのにね。ブラックリストに載ってナースステーションから常時監視できるところに移動させられました。でも、別に困るということはなかったです。闇でリハビリみたいなことをするわけではないですからね。尿道の管がとれてからはトイレ行きですね。用足しをした後、トイレの手すりにしが看ついているときに少し麻痺足に体重をかけたつもりになって「麻痺側も使うのだ」と脳にね。あるとき、トイレで麻痺腕を手すりに載せておしりを少しあげたら腕が手すりと壁の間に入り込んで・・。麻痺側も使うのだということね。救急病院のリハビリがそのうちに始まりました。OTで「指を広げたらつかめるよ」といわれて、病室に戻ってから、「他動での腕伸ばし、指伸ばし」を開始したわけですよ。自力でという意識はなかったですね。  2月4日(金)、発症時の記憶。3回目。上肢は他にチラシパイプ重量挙げスタイルリハビリもですが、こちらは退院後の近所の整形外科の吊り輪形式の訓練機が役立ったと思います。上肢は他動主体ね。下肢ですが、重たくて他動は・・。鼻づまり解消には上体を垂直に近い状態に保つ方法ね。これがぶら下がり事件にもつながったのでした。そこで、日中は車いすでね。尿道の管が外された後、挑戦ね。当初、腰が痛くなると思っていたらその通りにね。でも、我慢していたら数日で痛みは消えました。朝から夜までね。車いすの少ない救急病院でできたのは「ぶら下がり事件」があったためと思うのです。座り方は腰を奥深く座り、股関節も膝関節も足首関節も直角程度にね。もっと深い角度になるときもね。夜ベッドで寝るとまっすぐにかな。足首もそれなりにね。でも、日中があってか尖足とは無縁でしたよ。歩行リハビリ時もそれなりに関節は動かせていたみたいでした。「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」を教えてもらったのですが、移動時は「介助されてのみ」でリハビリ室以外ではできなかったです。  2月5日(土)、発症時の記憶。4回目。救急病院で最初のPTのと期、平行棒のところで「つかまり立ち」ね、これ、片足立ちですよね、筋力的には。階段の昇降ができていたらできるはずとね。補助もあったりしてね。で、立って平行棒の向かいに置かれた姿見が見えなかったのでした。次の日からコンタクトレンズを装着してくれるようにね。PCが使いやすくなりました。ベッドサイドテーブルのどの位置に車椅子を持ってくるのかで冷蔵庫(テレビカードで使える)に手が届くのです。その位置まで横に移動する必要があったりしたときは看護師さんにしてもらっていましたが・・。ふと、健常足で体を少し持ち上げてそのときに健常腕で車椅子を移動させる技に気がついたので、時々していました。看護師さんにお願いしたときにタイミングを合わせてお尻を持ち上げたら「車椅子が浮いた」とびっくりしていました。でも、だんまりね。悪い患者ですね。一度だけ、歩行器を使わせてもらったことがあるのですが、このときに感じたことは「足を引きずっている」だったので以後使うことはなかったです。救急病院は包括医療費のところで早く転移にゃ退院させるほどもうけの多いところでした。34日間入院ね。この間、病室からベッドサイドからの移動はすべて車椅子で介助されてでした。  2月6日(日)、発症時の記憶。5回目。リハビリ病院への転院時は車いすでした。病室から車いすででて、介護タクシーでリハビリ病院へね。リハビリ病院で病院の車いすに乗り換えて病室にですよ。リハビリでPTとOTが男性、STが女性になっていました。PTは妻好みのイケメンでしたが、私好みの美女が・・。リハビリの進捗に・・。土曜日に別のセラピストさんにしてもらえる「土曜リハ」というのがあって、その際にうるさくね。転院が3月13日だったのでOTで4月に新人の女性が入ってきました。ベテランのおじさんだったので新人指導でね。土曜リハの代休の時に新人をというので「担当替えを」とお願いしたら交代してくれました。立派な方でした。OTはその後も順調にね。STは退院近くまで引き延ばしてくれました。よい方でした。睡眠薬ですが、救急病院で過去に一服で派手な作用があったので今回の入院時はどちらかも話はなしでした。リハビリ病院でこの話をしたら以、後、何もなかったです。リハビリの様子は明日以降にね。「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」をやっと介助なしにできるようになりました。より効果的な「踵着地」も教えてもらいました。車いす暴走族への第一歩ね。

2022年2月5日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No493

コロナの感染が拡大を続けていますね。例えば、一日に5万人でしたら一年で1825万人ですね。   脳卒中後のリハビリに取り組んでいる身としては「感染しない方がよい」です。自宅軟禁のほうでもね。   麻痺側のリハビリについては健常側並みに維持したい「関節可動域」ね。   加湿器を使ってみました。室内干し加湿と併用ですが・・。室内干し加湿のみより目が楽です。   一昨日、昨日の加湿状況からの改善。   健康には「腸活」も大切ですよね。善玉菌と悪玉菌のバランスとかね。  1月24日(月)、コロナの感染が拡大を続けていますね。例えば、一日に5万人でしたら一年で1825万人ですね。のべですが・・。これだけ増えるとやはり、重症者も死者も増えてきていますね。インフルエンザでも1シーズンで直接だけで3000人ほど関連死を含めると1万人なくなっていたのです。が、コロナ対策でインフルエンザが封じ込められているみたいですね。インフルエンザ減少はコロナ対策の成果であってワクチンではないです。ところで、コロナワクチンをさけて、効果のないインフルエンザワクチンを接種している人っているのかな。オミクロン株の問題点は感染経路がインフルエンザみたいになっていたらワクチンの効果かなしなので経路が以前と同じなのか気になるところです。今のワクチンは血液中に入るかどうかです。破傷風菌は血液中には入らないので菌体に対するワクチンは開発されていません。今のワクチンは破傷風菌毒素に対するワクチンです。で、効果ありね。それと、コロナでは「再興株」が出てくる可能性がありますよね。「昔の名前で出ています」ですよ。ワクチンの効果ありにね。焦ることなく、感染対策とワクチン接種をしましょうね。コロナでは感染すると症状に応じて肺胞が減少しますのでね。  1月25日(火)、脳卒中後のリハビリに取り組んでいる身としては「感染しない方がよい」です。自宅軟禁のほうでもね。要するに「運動量」と「関節可動域確保動作」の量と兼ね合いですよ。トレッドミルはするものではないと考えるのです。低速でも機械の動きに合わせる必要があるからですよ。この「合わせる」で高緊張になっていきやすいからです。痙縮にでもなってしまったら、ある意味回復は見込めないですからね。ネット環境の利用では自宅にいる分には何とかなりそうですが病院では制限を受けますよね。認知症に向かいやすくなるよね。重症になってしまったら・・。毎日、適度な運動量と楽な外力による関節可動域確保動作が継続してできるようにリハビリをおこなうには定期的にセラピストさんに見てもらった方が圧倒的によいですからね。筋力は維持でよいと思うのですが、このコロナで少し弱ってしまった感じがあるのです。感染はこれに拍車をかけることになると考えるからね。筋力低下は骨の弱体化につながっていくと考えられるのですよ。絶対に定期的(週に1~2回)にセラピストさんに看てもらおうね。  1月26日(水)、感覚の回復か麻痺側は不調ですね。その上、歩数計のカウントで?なのが出てきました。5個使っているので比べてみるとね。麻痺側のリハビリについては健常側並みに維持したい「関節可動域」ね。動かせるだけでよいのです。感覚がさらに回復していったら精度の高い動作ができるようになるかもね。感覚のない状態でのリハビリは緊張を高めやすいので注意が必要ですね。この投稿の入力ですが、コンタクトレンズを外した後でしているので、誤字脱字があるかもね。どうも、乾燥のダメージが積み重なってきたようなのです。加湿器が昨日届きました。取説をよく読んでから使います。前はコンタクトレンズを外した後でももう少し見えていたと思います。これも「比較」ですが、歩数計みたいな比較ではなく不確かですね。関節可動域についてもですが、・・。関節はラジオ体操的動作の時に左右比較である程度判るとと思っています。視力は両目ともなので・・。昨日朝、13分寝過ごしました。最初の目覚ましを止めたのに気がついていなかったようです。無意識にね。二つ目ので意識が飛び起きました  1月27日(木)、加湿器を使ってみました。室内干し加湿と併用ですが・・。室内干し加湿のみより目が楽です。ドライアイではないのですが、やはり乾燥が酷かったようです。室内干し加湿は乾燥してしまったら、干し物の追加ですが、普通は翌日ね。加湿器は給水で加湿を続けることができますが。卓上タイプなので加湿量は少なめになっています。でも、ないよりはよいと思うのです。水タンクの手入れのしやすいタイプです。円柱型綿棒を入れて気化部に水を送る部分のみ水没タイプです。手入れのしやすいタイプかと思います。お値段は赤字覚悟ということで税込み送料込みで990円でした。私に「視野が狭い」と指摘されたかのブログは個尾頃は「紀行記」みたいのなっていますね。再び、リハビリも投稿されることをお願いします。「も」ですよ、時々ね。どこかの道の駅の障害者用駐車場と障害者用トイレで物凄くいきにくいということを最近投稿されていました。健常者発想の設計によるトイレと駐車場なのでしょうね。「あればよい」という発想ね。  1月28日(金)、一昨日、昨日の加湿状況からの改善。室内干しとの併用は加湿状況はよいのですが、生乾き的でした。それで、昨日は室内干しの時は加湿器休業にしました。以前のように乾きはよくなりました。ただね、湿度計と睨めっこでの切り替えが必要かとね。もっとも、室内干しをやめたらよいのではという噂もね。リハビリも試してみるのはよいことかな。でも、「関節が動かしにくくなる」なんてのは失敗と思うので即刻中止がよいと思うのです。関節が楽に動かせる状況を維持しながら試してみるというのでしています。階段ですね。ショッピングセンターとかの手すりがしっかりしているところにいきにくくなってしまって・・。片足での屈伸を少し試してみています。関節の動きも考えながらね。しゃがんだ状態での体勢維持が幾分か以前に戻った感じです。しゃがんだ後の立ち上がりも楽になってきました。一日に数回ですが、弊害なしにそれなりの効果があったようです。私らの年齢では一度悪化させるとそれでおしまいかもね。だから、コロナ感染や病気が怖いのですよ。  1月29日(土)、昨日の投稿「加湿」を「過失」と間違えていました。正しくは「加湿」です。ブログは近日中に訂正しておきます。「加湿」で大分視力が増しになったのですが・・。ところで、健康には「腸活」も大切ですよね。善玉菌と悪玉菌のバランスとかね。で、納豆、某大手スーパーのプライベートブランド納豆にすると快便どころかゆるめになってしまうのです。ナショナルブランドの納豆にしたら、気張る必要が・・。脳出血怖い。適度な状態にするには???。なぜ、これほど差が出るのかな。あのワクチン接種以来顕著になったと思っています。これも副反応? 万人に出る副反応があれば認可されないはずだしね。「注射が痛い」とかは誰でもですが。オミクロンの感染数すごいことになってきましたね。重症用病床ですが昨年秋の減少した時期に減らしてしまった感じですね。「転用」ふくみで一般にしていたのならまだよいのですが、また、一から増やすではね。コロナが流行する直前の病床数の少なかったこと。「もう伝染病なんて」という意識になって形だけ作っていた感じね。このコロナが収束した後の伝染病対策はどうなるのかな。「新興伝染病」のほかに「再興伝染病」もありますからね。  1月30日(日)、脳内出血量と症状。部位によって大きく異なるので詳しくは救急病院の主治医にきいてね。我々視床出血患者は10mlを超える出血になるとほぼ全滅みたいです。そのほかの脳幹部の出血や梗塞もダメージは大きく出ますが、これらに比べるとくも膜下等は出血量を脳幹部と比べて多くてもそれほどでないことが多いといわれます。ただ、どこの出血でも脳圧亢進等があれば血抜きをする場合ありですが、視床はドレナージ術ぐらいのようです。基本は手術できないです。手術のできる出血の方が羨ましいです。理由は視床になにか術をおこなおうとすると視床に到着するまでにある脳を傷つけてしまうからです。どの方向からでもね。秋田地区の病院が視床出血の推定量と病院到着時の意識状態から予後を調べられた論文があったので「病院到着時意識不明」と時々投稿しているのですよ。まあ、ボチボチ重症の方に入るかな。それが、リハビリ病院で「初期症状から看て奇跡的回復」といわれたのでした。どのようにリハビリに取り組んだかを参考していただけたらとね。ただ、関節が動かしにくくなってしまわれた方からは不評のようです。