2022年2月12日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No494

脳卒中ごの受容はいつごろでした。脳内出血を感じて手足の麻痺が確認できた時に「脳出血の結果」とね。そうそうに「リハビリで復活するぞ」でした。   2月ですね。今月の9日で発症10年になります。   「思いだし」のみで発症当時の様子を綴ってみます。「記憶」がどう変わったのかとかが判ると思うのでね。   ブラックリストに載ってナースステーションから常時監視できるところに移動させられました。   発症時の記憶。3回目。   発症時の記憶。4回目。   発症時の記憶。5回目。  1月31日(月)、脳卒中ごの受容はいつごろでした。脳内出血を感じて手足の麻痺が確認できた時に「脳出血の結果」とね。そうそうに「リハビリで復活するぞ」でした。脳の可塑性や脳が体を支配しているから、そこで出血が起こったりするとその支配している体の部位に不調が出るとかはすぐに理解できたしね。脳は適切な刺激がある方が回復しやすいもね。ほぼ、即受容だったかな。だから、救急病院でベッドから頭を下にしてぶら下がったときに助けに来てくれた看護師さんが「大きな音がしたから」といわれたので「そうなんだ。大きな音をだしたらナースコールを押さなくても来てくれるのだ」とかね。焦りもないし、諦めもないし、落ち込みもなしでした。適切適度のリハビリを求めてですよ。それで「他動での腕伸ばし、指伸ばし」と「日中車いす生活」にかもね。救急病院ではベッドから車いす、車いすからベッド、ベッドサイドからの移動はすべて介助されてでした。転院日までね。リハビリ病院も退院日まで車いすを使っていました。常に「楽な外力による関節可動域確保動作が継続してできる」ですよ。  2月1日(火)、2月ですね。今月の9日で発症10年になります。発症当初から「あっけらかん」と気楽に、「気楽」は以前から?、暮らしてきたお陰か、手足は結構「動かせる」状態です。「動かせる」だけね。下肢は歩行で役立っていますが、上肢はぶら下がっているだけみたいなときがほとんどかもね。関節が動くからね。ただ、制御不十分ですね。制御しようとすると運動神経系興奮ニューロンが興奮状態になっていくのですよ。「他動」で筋肉の引き延ばしですね。あるいは「できるだけ緊張の起こらないように動かす」でした。筋肉を楽に弛緩できるようにしておくというのが関節動作では必要なのですよ。関節ではほぼ「伸筋と屈筋」はセットですからね。一方が収縮するときには他方は弛緩する必要があるのです。弛緩できなくなるからボトックス療法なのですよ。弛緩して引き延ばされてから働く筋肉です。筋肉は収縮しかできないのです。発症前から理解していたことです。だから、回復が早かったのかもね。  2月2日(水)、以前に投稿したのはすべてPCにも保存していますが・・。「思いだし」のみで発症当時の様子を綴ってみます。「記憶」がどう変わったのかとかが判ると思うのでね。2月9日夕刻、職場のトイレで小の用足しをしていたら、頭の中で何か漏れたような感じがあったのです。ほんの数分後には麻痺症が徐々に現れ始めました。その1分後ぐらいには腕は動かせなくなった感じです。で、いろいろあって意識を失うわけですが、時々まだらに意識は戻ることもね。救急車を呼んでもらって救急隊の方が鞄のなから診察券を見つけてくれました。よくぞ、鞄の中を調べてくれたと感謝しています。かかりつけの救急病院に搬入されることにね。病院到着時には妻は病院からの連絡でいたというのですが、意識不明ですよ。なぜか、「コンタクトを外して」といったのを覚えています。どうも、脳神経外科病棟に直接入院ということになったようです。このとき、「個室」という言葉が聞こえたような気がしたので「承諾したらあかん。病院の都合による場合は差額室料を払う必要はないから」といったような記憶ね。数日後に病室移動時まで何人部屋は判らなかったです。この初日にベッドから頭を下にしてのぶら下がり事件を起こしたのでした。  2月3日(木)、昨日投稿のぶら下がり事件の犯人は「鼻づまり」で上体を起こすとマシになるので健常手に触れたベッドのリモコンで頭側をあげたら、はい、頭を下にしてね。寝てベッドに接触させているのにね。ブラックリストに載ってナースステーションから常時監視できるところに移動させられました。でも、別に困るということはなかったです。闇でリハビリみたいなことをするわけではないですからね。尿道の管がとれてからはトイレ行きですね。用足しをした後、トイレの手すりにしが看ついているときに少し麻痺足に体重をかけたつもりになって「麻痺側も使うのだ」と脳にね。あるとき、トイレで麻痺腕を手すりに載せておしりを少しあげたら腕が手すりと壁の間に入り込んで・・。麻痺側も使うのだということね。救急病院のリハビリがそのうちに始まりました。OTで「指を広げたらつかめるよ」といわれて、病室に戻ってから、「他動での腕伸ばし、指伸ばし」を開始したわけですよ。自力でという意識はなかったですね。  2月4日(金)、発症時の記憶。3回目。上肢は他にチラシパイプ重量挙げスタイルリハビリもですが、こちらは退院後の近所の整形外科の吊り輪形式の訓練機が役立ったと思います。上肢は他動主体ね。下肢ですが、重たくて他動は・・。鼻づまり解消には上体を垂直に近い状態に保つ方法ね。これがぶら下がり事件にもつながったのでした。そこで、日中は車いすでね。尿道の管が外された後、挑戦ね。当初、腰が痛くなると思っていたらその通りにね。でも、我慢していたら数日で痛みは消えました。朝から夜までね。車いすの少ない救急病院でできたのは「ぶら下がり事件」があったためと思うのです。座り方は腰を奥深く座り、股関節も膝関節も足首関節も直角程度にね。もっと深い角度になるときもね。夜ベッドで寝るとまっすぐにかな。足首もそれなりにね。でも、日中があってか尖足とは無縁でしたよ。歩行リハビリ時もそれなりに関節は動かせていたみたいでした。「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」を教えてもらったのですが、移動時は「介助されてのみ」でリハビリ室以外ではできなかったです。  2月5日(土)、発症時の記憶。4回目。救急病院で最初のPTのと期、平行棒のところで「つかまり立ち」ね、これ、片足立ちですよね、筋力的には。階段の昇降ができていたらできるはずとね。補助もあったりしてね。で、立って平行棒の向かいに置かれた姿見が見えなかったのでした。次の日からコンタクトレンズを装着してくれるようにね。PCが使いやすくなりました。ベッドサイドテーブルのどの位置に車椅子を持ってくるのかで冷蔵庫(テレビカードで使える)に手が届くのです。その位置まで横に移動する必要があったりしたときは看護師さんにしてもらっていましたが・・。ふと、健常足で体を少し持ち上げてそのときに健常腕で車椅子を移動させる技に気がついたので、時々していました。看護師さんにお願いしたときにタイミングを合わせてお尻を持ち上げたら「車椅子が浮いた」とびっくりしていました。でも、だんまりね。悪い患者ですね。一度だけ、歩行器を使わせてもらったことがあるのですが、このときに感じたことは「足を引きずっている」だったので以後使うことはなかったです。救急病院は包括医療費のところで早く転移にゃ退院させるほどもうけの多いところでした。34日間入院ね。この間、病室からベッドサイドからの移動はすべて車椅子で介助されてでした。  2月6日(日)、発症時の記憶。5回目。リハビリ病院への転院時は車いすでした。病室から車いすででて、介護タクシーでリハビリ病院へね。リハビリ病院で病院の車いすに乗り換えて病室にですよ。リハビリでPTとOTが男性、STが女性になっていました。PTは妻好みのイケメンでしたが、私好みの美女が・・。リハビリの進捗に・・。土曜日に別のセラピストさんにしてもらえる「土曜リハ」というのがあって、その際にうるさくね。転院が3月13日だったのでOTで4月に新人の女性が入ってきました。ベテランのおじさんだったので新人指導でね。土曜リハの代休の時に新人をというので「担当替えを」とお願いしたら交代してくれました。立派な方でした。OTはその後も順調にね。STは退院近くまで引き延ばしてくれました。よい方でした。睡眠薬ですが、救急病院で過去に一服で派手な作用があったので今回の入院時はどちらかも話はなしでした。リハビリ病院でこの話をしたら以、後、何もなかったです。リハビリの様子は明日以降にね。「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」をやっと介助なしにできるようになりました。より効果的な「踵着地」も教えてもらいました。車いす暴走族への第一歩ね。

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