2014年12月21日日曜日

情報隠しの歴史の行き着く先

 最近、とみに先の大戦中の出来事についての情報隠しが酷くなってきたという感じも受けています。あの原発事件も肝心な情報がひた隠しにされているのではともね。当時、チョロッと報道された後はなしのつぶてみたいな情報もありましたが。  責任回避の優柔不断な割には固定観念の安売り内閣という感じもしている今の政権。先の大戦への反省ですと、皇国史観からすると国体を潰しかけた責任をどう考えているのかな。「国体護持」を叫びながら「一億玉砕」を叫ぶ。両立しないことをしてきた指導部の責任をどう考えているのかな。  このような支離滅裂な指導部ですが、海外でしたことの証拠隠滅だけはしてきて、在留邦人を置き去りにして本土逃亡ね。責任ある指導層のすることでしょうか。証拠隠滅してきたから、「証拠がない」とかいって逃れようとしていますが、「証拠がない」というのは一般刑事裁判では無罪への道ですが、先の大戦では「どのようなことをしてきたのか」というのがないわけです。良い方もないわけですね。なぜ、証拠隠滅をする必要があったのかということです。一般刑事裁判で「証拠がない」ですと犯人でない場合は「犯罪証拠がない」が普通です。犯人は証拠隠滅をはかりますからね。冤罪は証拠ねつ造ね。  先の大戦で良きにしろ悪しきにしろ証拠隠滅してきた体質ですね、ですから、「歴史を鏡として当時のことをしっかり考えて教訓を導きだして未来に生かす」という行動が必要なのですが、このような行動に対して脅迫じみた嫌がらせとかが頻発してきていると感じるのです。  先の大戦は自滅への戦いでした。天皇陛下の御政断で漸く止めることができたのでした。天皇に迷惑をかけた連中を拝みにいく必要ないのではと思います。日露戦争あたりから大々的に始まった帝国陸軍のごまかし体質が起こした戦争ですよ。その後の歴史を、戦後も血塗られたものにしてしまった感じを受けています。  破滅への道を行くのかな。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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