2016年10月10日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No216

人間の遺伝子の保証期間は50年ぐらいかな。   脳の再生医療が伸展してもどうしようもないのが拘縮かな。   薬漬けにならないようにしよう。   皆さん、発症直後に身体状況をどの程度受け入れることができましたか。   斉藤学氏が書いた『「家族」というなの孤独』という本を購入して読み始めました。   脳卒中リハビリにおいてもステレオタイプが蔓延していると感じて、より正しい現実認識を求めてがこのブログの論調になっていったのかな。   10月6日にyahooニュースで『永遠の命は「かなわぬ夢」か、米研究』てなのを見つけました。  10月3日(月)、人間の遺伝子の保証期間は50年ぐらいかな。初期不良もありますが、延長保証というのはないと思います。惰性で生きているのですよ。50歳以降の癌は遺伝性とはいわないとも言われています。動物ではその種が維持できる程度の子孫が残せる期間を保証対象になっているともね。ですと、人間は「人生50年」なのですよ。今の晩婚、高齢出産は遺伝子の想定外ですよね。工業製品でもあるように保証期間を過ぎたら直ぐに故障とかしますか。まともに造られていて、点検されていたら、多くはもっと長期に使えますよね。人間では感染症で死ぬことが激減したので寿命が延びたのですよ。遺伝子ではこんな感じなのですが、再生力とかは部位によりますが一生続きます。下手に遺伝子がおかしくなるとがんとかね。ですから、脳卒中で脳が損傷しますが、樹状突起等の延伸で神経細胞間のつなぎ替えが起こってきたりするのですよ。ただ、高齢になるほど延伸とかに手間取ることになるのですよ。脳での神経細胞間のつなぎ替えは能動的に適切適度なリハビリ動作する方が促進されますけどね。遺伝子の関係もあって、高齢になるほど不調部位が出てきますけど、どうしようもないのも含まれるのですよ。また、治療するとその治療法での副作用というものありますからね。医薬品の多剤状態は特に問題だと思います。2剤だけでも、処方箋プリンターと論争して1剤にしました。医薬品でインスリン等を除いて人体由来でない有機化合物であったり、無機物質であったりなので、量が増えるほど副作用が出やすくなるし、長期になるほど副作用が出やすくなりますよ。多剤になるほど想像もつかないような副作用が出てくる可能性が高くなりますよ。  10月4日(火)、脳の再生医療が伸展してもどうしようもないのが拘縮かな。まだ、痙縮の方は筋肉が問題のほとんどですのでボトックス療法とかで緩めることができれば、再生医療での回復の初期状態でも四肢を何とか動作させたりできるようになるのではとね。痙縮になっていない人と同程度の可能性があると思います。拘縮になると症状によるのですが、関節も固着とかになっていっているやいきつつある状態ですよね。完全に脳の支配下の問題ではなくなってきていると考えられるのです。脳での再生医療での成果は脳の支配下の部位に成果が現れるのですよ。脳卒中とかではなくても体の状況によっては拘縮は起こりうるのですよ。本当は痙縮もかな。ただ、脳卒中では脳からのコントロールができなくなるので、より痙縮や拘縮になりやすくなるのですよ。私の右手薬指で皮膚の問題による拘縮になりかけたことがありました。そのときは第一関節付近の治りつつある皮膚をもう一度ブッチンと裂いて傷口を広でて皮膚の再生をやり直させました。関節を曲げることのできる皮膚のゆとりを持たせるようにね。脳の再生医療もロボットリハビリも四肢については健常者並みの関節可動域が確保されている方がよいですよね。脳の再生医療では「楽な力での関節可動域」という方が成果を実感しやすいと考えています。関節可動域があれば、ロボットですとロボットの力任せで動作させることも可能ですよね。関節可動域がない状態でのロボットですと、悲惨ですよ。だから、四肢においては「楽な力での関節可動域確保動作」というのが大切なのですよ。拘縮の部位では脳は関係なくなってしまっていますよね。だから、再生医療も無関係ですよ。  10月5日(水)、薬漬けにならないようにしよう。で。副作用に対して休薬、もしくは医薬品変更、もしくは減薬ではなく、追加での薬漬けが増えているのかな。先週も投稿したように医薬品は副作用がでる危険性を常に持っています。副作用があるから、治験等で効果とのバランスを調べているのですよ。それと、人間の遺伝子はどこかがほんの少しだけど皆違うのですよ。同じなら皆同じ顔をしていたりとかだよ。で、医薬品に対する感受性が異なるのです。「なんで副作用なんてでるのだ」と残念な方の副作用の時もあれば、迷惑至極な副作用の場合もね。この時も服用中の医薬品の数が少ないほど対処が楽ですよ。でもね、難病とかですと、適応医薬品の種類が少ないか1つだけとかですと止めるにやめれないですね。日本の医師は「薬の足し算」は好きですが、「薬の引き算」は苦手みたいです。同時服用が6種類とか5種類以上になると添付文書等でも想定外のことが出てくる確率が高くなるというのです。私は今は1種類ですが、ゼロにしようともくろんでいます。降圧薬の減薬だけでも頻尿みたいな症状が緩和されましたよ。「頻尿的」なのは視床出血後の脳での神経細胞間のつなぎ替えによる回復途上の「頻尿的感じ」というのが含まれていると考えています。大便の方もベッドで寝始めると催すのですが出ません。神経的なものね。こんなので医師に言うと薬を盛られるだけなので話はしていません。「頻尿」の治療薬には膀胱の筋肉(平滑筋)を緩める薬があるのですが、降圧薬も血管の平滑筋を緩めて血管を拡張して血圧を下げるのですよ。それより、ある種の降圧薬は骨盤底筋(括約筋で横紋筋)にも作用している感じなのです。そのうち、調べ上げてみたいと思っています。  10月6日(木)、この頃投稿ネタに困っています。同じことを繰り返してもよいのですが、最近はこの傾向が少しでていますね。ところで、皆さん、発症直後に身体状況をどの程度受け入れることができましたか。その後のリハビリで状況の変化に対してどう思われたのでしょうか。私は発症時に片麻痺を確認できたときに「リハビリで復活するぞ」で、落ち込んでなんていないです。脳の問題であって、四肢等の問題ではないからです。ただ、脳の回復するまでは四肢等をできる限りよい状態に保とうと思いました。それが「筋肉を固めない。関節を錆び付かせない。腱を固めない。」という方針ね。救急病院でのリハビリが始まって「楽な力での関節可動域確保動作」ね。PTで立ち上がれたのですが、皆さん、階段を登るとき片足でしょ。片足で平行棒とかを補助に立ち上がれましたよ。足を棒状にしたら、体重を支えることができますよね。ただ、何時までも棒状というのは後々重大な問題を生じますのでリハビリ初期だけね。骨に体重を乗せるということですよ。何とかなるものですよ。上肢は「楽な力での関節可動域確保動作」につきますね。関節可動域があれば何とかなりますよ。ロボットリハビリも脳の再生医療もね。いつ頃脳が回復するのかなんて考えずにリハビリをしていたら、脳の暫定復旧のおかげか、指が動く、手首も動く、肘も曲げ伸ばしができる、肩より上にも腕が上げられるとか、下肢でも股関節・膝関節・足首関節を作動させることができていたらですよ。早かったですよ、健常者風歩行のリハビリ開始がね。関節が動かせての歩行だものね。手も関節が動かせてだものね。で、「早く使えるように」なんて焦っていないのにごぼう抜きみたいな回復の早さだったようです。焦っても無駄ですよ。よくない一例が「感覚麻痺での筋トレ」かもね。  10月7日(金)、斉藤学氏が書いた『「家族」というなの孤独』という本を購入して読み始めました。ケーススタディー的にも書かれているといつも感じています。いくつかの事例からの論点に無理がないように一般化されているという感じね。本当に健全で円満な家庭ってほとんどないのかなともね。以前読んだ「虐待と依存」のなかで事例として、勉強に励んでいる息子に夜食のラーメンを持っていって「頑張ってね」と声をかけたところ、ラーメンが飛んできて「これ以上どう頑張ればよいのだ」というようなことがあってから家庭内暴力が始まったと。斉藤氏によるとこの母親の希望の押しつけに答えようとして努力したが限界に達して暴力にとね。見えない虐待の一つだと。子供は親の希望に応えようと努力をするのですが、限界を超えると家庭内暴力や引きこもりなどいろいろなタイプの行動を起こすとね。アル中の親とかDV親とかですと、別のタイプの問題になるということですよね。高学歴でもアル中とかあるのにステレオタイプ的に考えている場合は「アル中は貧乏人」というのもあるかな。「登校拒否」ではステレオタイプ的に「甘えているから」という理由で無理矢理登校させようとした時代がありましたよね。いじめによる登校拒否もありますが、乳幼児期に甘えることができなかったことによる登校拒否もあるというのです。家庭内の問題でね。機能不全家族の一パターンですとね。先ほどの家庭内暴力になった子も幼児返りした甘えの行動がみられたとね。内に問題を秘めたまま大人になると中高年でも家庭内暴力とかもあるというのです。斉藤学著「虐待と依存」という本を送料257円、本代1円の古本を注文しました。  10月8日(土)、昨日投稿のようにステレオタイプ(思い込みとかね)が理解を妨げている「家族」ですよね。そして、脳卒中リハビリにおいてもステレオタイプが蔓延していると感じて、より正しい現実認識を求めてがこのブログの論調になっていったのかな。例えば、「筋力」でも、脳卒中になると麻痺側ではゼロになったりしますよね。どうも、セラピストの相当数も健常者の筋力低下と同じように考えているみたいだいうことが投稿を読んでいて感じたのでした。「脳の命令力」や「神経筋接合部での筋繊維動員力」とかの概念が抜けているような感じをね。寝込んだときの初期のふらつきは「運動神経一本あたりの筋繊維動員力の減少」といわれています。だから、簡単に回復するのですよ。それと、前庭器官の問題ね。長期にわたると筋肉量は徐々に減少しますが、脳卒中と違って筋トレができますよね。ところが脳卒中では運動神経か感覚神経系か、もしくは両方がダメージを受けているので健常者みたいな筋トレはできないのにね。「動作はまず筋力」という思い込みね。これは関節可動域があっての話なのにね。こっちの方は普通のセラピストさんは心得ているみたいです。患者にはいろいろの症状の違いがあるのに「隣のベッドの方が筋トレしているから・・」的な思い込みでのリハビリとかね。ブログ村脳卒中カテゴリーでの四肢の筋トレの方の投稿が減少している感じがするのです。私の論調に生物学的、医学的な根拠を添えて討論を求めるような投稿がほしいですけどね。コメントやリンクなどは止めてね。  10月9日(日)、10月6日にyahooニュースで『永遠の命は「かなわぬ夢」か、米研究』てなのを見つけました。yahooはいつまで読めるようにしてくれるのかな。どうも、120歳前後ぐらいまでみたいかなともね。永遠の命は「原核生物」では可能なのですが、「真核生物」の人間では細胞分裂の時にDNAが少し短くなるので、そのうちに分裂できなくなるのですよ。特定の何種類かの細胞は細胞分裂をしてもDNAが短くならないのですが。特定の何種類かだけね。癌細胞も細胞分裂でDNAが短くならないので、派手な増殖ができるのです。高齢になるほど再生力等が衰えたりする要因の一つかなもね。で、不調が出てくることになるのですよ。ですから、私は「延命治療不要」と希望しています。救命治療とはちとずれていると思っています。ところで、この割には健常状態ですと、結構高齢になっても筋トレは有効みたいです。ただ、若年時もですが、それなりの手順と守るべき強度等があるのですよ。脳卒中後も適切適度なリハビリをしていたら、筋トレなしでも「筋力」は戻ってきましたよ。というてもまだ元通りにはなっていないですがね。高齢になるほど、時間が必要になるのですが、120歳ぐらいまでみたいなので普通(ボチボチの程度の脳卒中ね)は十分な時間があるとあるのではともね。急ぎすぎて拘縮とかにしてしまうよりよいと思います。廃用症候群の方は論外だよ。

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