2007年11月12日月曜日

沖縄集団自決で「軍命令あった」のか。大江健三郎氏「軍命令あった」

11月9日に大阪地方裁判所で大江健三郎氏著「沖縄ノート」岩波新書で「太平洋戦争末期の沖縄で起きた集団自決を命じたなどとする誤った記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元守備隊長ら2人が岩波書店と作家の大江健三郎さん(72)に出版差し止めや損害賠償を求めた」訴訟で原告と大江健三郎氏が陳述した。
原告側は「なかった」という主張ですね。大江氏は「あった」。但し、大江氏の記述では特定の軍人を指し示すことはなかったというのです。
まあ、当時の軍部の意向、「生きて虜囚の辱めを受けるな」とかですね。これは、捕まるのなら「死ね」という軍命に相当すのでは。直接、言わなくても「手榴弾」を渡すと言うことは「死ね」の軍命と考えて良いのでは。
当時の軍国教育のこの路線ですね。国全体としての強制圧力が係っていたと考えます。大江氏はこの点を書かれたわけですね。
竹山道雄著「ビルマの竪琴」で、とある部隊長は音楽をよくする人物で隊員に合唱とかを教えて、隊員たちは歌うことで規律と慰めと団結を得ていた・・・ですね。
この隊の一上等兵が終戦を知らせに行ったのが「三角山」、沖縄の多くの守備隊長同様「生きて虜囚の辱めを受けるな」に凝り固まっていたというのこの物語の中にありました。
沖縄もビルマと同様、隊長にもいろいろあったわけですが、それをもって「軍命令あった」ということを否定するのは国を誤らせることになるでしょう。
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」などをご覧いただければ、どちらがより真実に近いかがおわかりになると思います。
歴史の大勢から目を反らし、一部であったことが全部であったような言動が大日本帝国憲法を潰したのです。戦争をしていなかったら日本は今も大日本帝国憲法のままであったと思います。
天皇制を潰しかけた戦争を肯定するわけにはいきません。

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