2011年9月4日日曜日

「体罰=愛」の誤解

 2011年9月3日の日本経済新聞夕刊「こころ」面に「児童虐待を生む土壌 川崎二三彦さんに聞く」という記事がありました。川崎二三彦さんは現在「子どもの虹情報研修センター研究部長をされているということです。
 記事の中の大きな見出しに『「体罰=愛」の誤解いつまで』と「子の行動、親は熟知を」というのがありました。「体罰は法則的にエスカレートせざるを得ない」というのです。民法にある親の子どもへの懲戒権ですね。これに体罰も含むという意見があるというのです。このようにいっている人は自身どうなのでしょうか。はじめは軽い体罰でも、普通はしてしまうと子どもは大きくなっていくので、次はより強くとエスカレートするというのです。まあ、全員が全員ではないですけどね。でも、多数がエスカレートしているというのが現状かも。
 躾とかからの体罰は、ほとんどは「子への無知」からきているとも思えるのです。「なつかない」→「殴る」というのはよく報道されているパターンです。また、例えば、食事の時の躾でも「早すぎる躾」を判っていないとかですね。子どもの成長と行動に対する無知状態ということです。親は子どもを熟知しなければならないのですが、基礎的教養がなければ難しいですね。今の教育のように順位とかのめり込んで、本来必要な教養が無視されている感じがするのです。授業があっても「授業した」というだけで「教養」になっていないのですね。
 体罰は虐待へと繋がります。そして、この「体罰」も「虐待」も「見えない」というタイプもあるのです。「見えない虐待」とかになりますと、子どもの親も気がついていないことが起こりうるのです。俗にいう「勉強」ですが、一見進んでしているようでも「見えない虐待」状態の場合はどこかで切れることがありますよ。大人になってからの「家庭内暴力」とかもね。DVとかいう形で問題が出てきたりします。問題が出てこない家庭が「理想的」とかいわれているのが現状でしょうか。親子とも気がついていない状態だけなのにです。
 これにあるのは、基礎力を十分につけてより発展的にではなく「取り敢えずその場しのぎ」になってしまうことが多いみたいですね。ですから、勉強時間の割に効果がなかったり、昨日も書きましたが、大学入試センター試験「生物」で考察問題を増やすと平均点が下がるような勉強になってしまうのですね。
 順位競争の見えない虐待に落ち込んでしまったら、子どもが家庭内暴力を起こしても親は気がつかないでしょうね。これは、世間一般がそうなってしまっている感じがします。あの大阪府知事の橋下氏などはその典型でしょうね。子どもそのものを親が受け入れなくなってしまうとも思うのです。子どもにとっては居場所がなくなるということになります。
 おかげさまで、世間に間違った子育て家庭が多かったようなので、家でゴタゴタいうことなく難関大学に進学してくれました。

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