2013年6月3日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No43

私の思う自主トレの範囲  私の思うリハビリの基本  「病の起源  ・・・」を少し見て思ったこと、「世代交代」をさせるため?  久し振りの5階と昨日のクローズアップ現代「幼い命を守れ ~小児在宅ケア・地域の挑戦~」をみて思ったこと   階段使用許可から1年 感覚の戻りが、でも、腕の筋肉が痛い  昨日の続き、感覚が戻ってきている  5月27日(月)、私の過去の「自主トレをしましょう」にコメントをいただきました。ありがとうございます。で、「自主トレ」をどう捉えるのか。私の自主トレは意識が回復し、安定し始めたときから、始めていました。リハビリが始まってからではないです。理由は「筋肉が固まらないように」です。私みたいな脳血管障害ですと、筋肉や関節には問題はないのです。これはすぐに判りました。「脳の可塑性」の概略も承知していました。「脳に出血」という感じを覚え、左半身に麻痺を感じた時点で「リハビリで復活するぞ」という意識でした。私らみたいなのは復活して当たり前、筋肉の固着や関節の錆び付きを起こしてはならないとして、「自主トレ」を開始しました。ですから、始めの頃は左腕を右腕で伸ばしたり、曲げたりや左足に力を入れてみたりなどです。日中車イスなので足も曲げ伸ばしの機会がつくれました。トイレで用を足すようになってから、看護師さんが「車いす取ってきますね。」と目を離したときに介助棒にしがみついて体重を左足に徐々に移動させたりもしました。見つからなかったし、失敗もなかったです。失敗していたら、ベッド転落の時と同様「完全監視」下になっていたかも。ベッドから頭を下にして転落してすぐ、ナースステーションから一番よく見えるところに移動させられていました。よく頸椎損傷しなかったとほっとしています。状況はブログのはじめの方に書いてます。少し歩行練習ができるようになってからは「車イスこぎを両足で」とか言われていると思います。急性期の病院では保護者同伴みたいな条件でした。リハビリ病院では一人で。ちょこちょこ病室から出て行きました。当然トイレには一人で行き、便座乗り移り監視の下。しばらくして、ベッドからとかの車イスへの乗り移りが一人でしても可になったら、うろうろが増えました。スピードアップにも取り組みましたよ。踵からつける方が歩行の時に役だつと聞いてからは1段とスピードアップ、病棟の暴走族になりました。腕の方も用もないのに動かしてみたり、腕や指の曲げ伸ばしは日常茶飯事的に。病棟内(病室のある階のみ)歩行が許可されたら1日に5000歩以上とか。他の階に一人でエレベーター利用可になったとき、車イスでは本式の暴走も。歩行では10000歩以上にも。階段利用可になりましたら、エレベーター利用は原則なしになり、一日5~7回ぐらい1階と5階を降りたり登ったりです。一番有効だった自主トレはひょっとしたら朝から晩までからだを起こしていたことだったかもしれないです。人間は上体を垂直に保つというのが大事なことだと思いました。  5月28日(火)、リハビリの基本はあるのかな。私の原点としては過去の手術後の筋肉の痛みを「筋肉を伸ばす」ということで解消したのと、父が「痛い痛い」といって可動範囲を狭めていったことかな。どのくらいで回復すかという目途は全くなかったです。でも、症状から考えると「回復して当たり前」と踏んでいました。他の人と比較されない、比較されることのない取り組みだったこともよい方向に働いていたと思っています。私の子育ての時の基本は「待ち」と「比較しない」と「親の背中」です。子供の世界は狭いですよ。これで子達は旧帝国大学に進学しました。これと同じように患者にとって世間は狭いですから、「沈没」がいると「沈没」傾向の感じでした。私は他は気にしない、自分に合わせてリハビリするとね。私のこのブログを読んで一番役にたちそうなのは「発症直後」の方かな。症状を考えながらリハビリを。ある意味、入院生活は楽しかったです。一番は「回復」が実感できていたことか。今頃になって「痛み」とか「痺れ」が少し酷くなって、手足の屈伸の時、少し困っています。左半身の震えは日曜日は凄かったですが、昨日はほぼおさまったような感じです(冬装束?でね)。よく観察していると毎日毎日変化があるのでリハビリは退屈しないですね。昏睡みたいな感じの状態であったときに救急車が病院に到着したのですが、このような状態ですと「死亡率」や「寝たきり率」は高く、「外を歩いてウロウロ率」は非常に低いというデータも見つけています。すみませんね。初期症状を時々書いておかないと、どのような状態から「家の外を歩いてうろちょろ、アイコンのわんちゃんを連れて朝夕に散歩しています。」ということがわかりにくいと思います。このようになれたのも、「諦めない」「休まない(リハビリね)」「筋肉や関節をいつでも使えるように保つ」「筋力を落とさないように」「骨が脆くならないように(すでに何回か転んだり、尻餅をついたり、ダンベルを頭とけんかさせたりしましたが異常なし)」を心がけていましたし、心がけています。  5月29日(水)、最近、NHKで「病の起源  ・・・」が放送されています。しっかり視聴していないので詳しいことは・・・ですが。「がん」は長寿国に多いですね。小児癌とかもありますけど、多くは長生きしたから、感染症とかで死ななくなったから、目立つようになったと思うのです。それなりに人間のDNA修復機構は精巧にできていると思います。それでも、DNA複製時に100億塩基対に1対ぐらいでミスがあるというのです。人間の持つDNAは30億塩基対といわれています。1回の細胞分裂で60億塩基対複製かな。これは、細胞分裂1~2回で1対はチョンボが生じるということですね。ネズミなど寿命の短い生物は早い時期から(その生物では生存期間の後期かな)ボンボン「がん」が発生しているというのもそれなりの確かな本で読んだことがあります。しかし、生殖腺での修復機構はしっかりさせているとか。種が絶滅しかねないですからね。人間は1個の受精卵から約60兆個の細胞の固まりまで増えます。これだけでも約60兆回の細胞分裂です。実際はもっともっと多いのです。ある意味、これだけ細胞分裂をしてもやばい細胞がほとんど出てこないという凄いシステムだと思っています。寿命に応じて修復機構も進化してきているのですが、人間の場合は長寿になってしまったためかな。どのような機械でも普通は使い続けると故障しますね。機械ですと部品取り替えとかで復活しますが、人間の場合は部品取り替えは難しいですよね。心臓は一生で10億回ぐらいのレベルで休息なし部品取り替えなしで働いています。そりゃ、傷みが出ておかしくないのでは。血管も使い続ければ傷みますよ。世界の死亡統計をじっくり見れば、「がん」も「脳卒中」も長寿になったことで目立つようになったと思うのです。「サイボーグ」とかの概念ですね。これぐらいしないと「がん」や「脳卒中」、「心臓発作」から逃れることはできないのでは。部品の総入れ替えができない限り、病気から逃れることはできないと思いますが、発症を遅らせたり、早期に治療開始ができ、重症にならないようにすることは可能だろうと思います。そして、「寿命です」でという言い方な。「使い続けていると故障するのは当たり前」ということを忘れたことを宣言しているような番組かなと勝手に思って消して寝ました。私にとっては「時間の無駄」で、「ためしてガッテン」の脳梗塞などの番組の方が役にたちます。このような番組を放送したのだから、人間の部品総入れ替えができるような治療法を提案してください。故手塚治氏の「火の鳥 復活編」だったかな、「1+1=1」というのがありましたね。iPS細胞とかが出てきていますけど、総入れ替えってできるのだろうか。NHKさん教えて。人間のというか、動物のシステムは自分の遺伝子を受け継ぐ子を作り、その子がある程度成長する間は「健康的」に生きていけるように、その後までは面倒を見ていないようです。「がん」や「脳卒中」、「心臓発作」、「骨粗鬆症」などなどは、本来は子育てが終わっているはずの年代で発症していますね。免疫機構と同じで世代交代をさせるためかもしれないですね。でないと新しい個体が生きていけないですよ。「病気」というのは「進化」をさせるためのシステムなのかもしれないですね。でも、健康で活動的に生きていたい。だから、リハビリにも励んでいるのです。「不老長寿」ならリング状のDNAの方が有利です。人間は紐状。  5月30日(木)、昨日、このブログへの投稿のカテゴリー分けをしました。「その2」とあるのが日々アップで、ついていないのが初期の1週間まとめてとかや書き始めの頃のです。昨日、久し振りに近所の百貨店とショッピングセンターに歩いて行ってきました。疲れました。リフォーム中で外出を押さえていた効果がバッチリ出ました。「使わないと錆びつく」や「使わないと衰える」ということを体験することになってしまいました。わんちゃんとの散歩は欠かさずしているのですが、百貨店での1階から5階の登り降りができなかったとか総歩数が減っていたとかの効果が抜群ですかな。ダンベルでのトレーニングをしばらくしていないためか、「腰が」。なんとかしたいです。それと、睡眠が浅いというところにも影響したかな。そうそう、昨日のNHKクローズアップ現代で子供の病気と退院後のケアについてがありました。この子供は乳幼児の方です。やはり、同じぐらいの年齢の子供と一緒に生活することの重要性をいっていました。この子供の中に治療の影響で脳梗塞になった子が出ていました。医師曰く「歩くことはできないでしょう」だったというのです。歩いていました、というか、飛び跳ねていました。乳幼児の脳の可塑性は凄いなと思いました。成長の途中ですからね。成長期だから、筋肉の固着や関節の錆び付きもなかったみたい。でも、高齢になってもリハビリで効果が出てくるというのは、幼児期ほどではないですが、脳の可塑性が残っているからでしょうね。がんばらにゃあ。我々は脳が回復してきたときのために筋肉の固着防止と関節の錆びつき防止が必要です。諦めが麻痺の固定化に繋がります。人それぞれ症状が違いますのでどこまで回復すかはやってみないと判らないという世界かな。医師の奥歯に物が挟まるような言い方はこんなところかくるのかな。「回復する」というとサボって回復するはずの者もしなくなって訴えられたり、「ダメです」というと回復できる可能性の高い症状でもほぼ確実に回復しないでしょうね。患者や家族への丁寧な説明が必要になると思います。「思い込み」による即断をさせないようにするにはどのようにすればよいのでしょうね。  5月31日(金)、丁度1年ぐらい前になりますか。リハビリ病院で一人での階段利用の許可が出ました。5月になってからというのか、PTの度に「階段、階段」と階段をリハビリ場所にもっともっと使うように「要求」してましたか。「お願い」ではないですね、要求レベルだったと思います。片足に全体重を載せる、持ち上げるという動作を必要とされるので足を鍛えるのには都合がよいと思っています。ぼんやりと時間を過ごすとかできるので、「待つ」というのはそれほど苦にはならないのですが、エレベーターだけは「階段で昇降すればよい」と思っているので、待つのが面倒なのです。エスカレーターは別の理由で好きにならないです。許可を聞いたのが夕刻だったので、翌日は早朝から階段。この時期になると模型の階段で初めて練習したときの感慨は消えていました。もうこの時期には一日10000歩以上にもなっていました。家族がきたときとかにはエレベーター。一度、リハビリに行くため、急いで降りていたら、PT(土曜リハで見てもらった)のセラピストさんが偶然後ろについたので、「抜いて欲しい」と思ったのですが、最後まで後見人的についてこられました。降りにくかったです。このセラピストさん、この病院で一番足が長いという感じの女性でした。階段は足を鍛えるのにいいですよ。  6月1日(土)、昨日、訪問リハビリで気になっていた左腕の状況について見てもらいました。左腕への感覚が戻ってきていることもあり、筋肉の様子に注意してくれとのこと、特に曲げるというより伸ばすということに重点をといわれました。「筋肉を伸ばす」ですね。前にも書いているように私も麻痺した結果、自動的に収縮しているような感じになりました。それを最初の病院でも意識的に「伸ばす」ということをしてきたのです。収縮させてしまうと「ボトックス療法」になりますので、収縮させないようにということです。固まると関節も錆びつくようになりますしね。筋肉を収縮させようとするときに痛みが出るとかは感覚が戻ってきていることらしいと。実際、感覚テストをしてもらうと感度が高くなっていました。  6月2日(日)、昨日、指を動かしていて、???。爪が当たったとき、痛覚が、物に触れたときに痛覚が、以前より敏感になっている感じがしました。痺れは相変わらずですが、その痺れを上回る感覚です。口の中の感覚も戻ってきています。このような感覚とともに筋肉の感覚も戻ってきているのでしょうね。左腕が痛いと昨日書きました。今日もだったのですが、お風呂で背中を洗っているとき、いつもの痛みがなく、左腕を肩の辺りで方向転換したり、力を入れても痛みをそれほど感じなかったです。湯船での伸筋も楽にできました。

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