2013年10月7日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No61

視床出血で感覚が麻痺しただけ、ほかは異常なしだった   「とりあえず動かせる」と「日常生活に不自由なく使える」との間  以前は「麻痺した方を忘れて」、「健常側をもっと使えるように」がリハビリだったようです。   通院で1日15000歩越えに、疲れた。   麻痺したらでる特有の姿勢や歩行動作、あとあと動作に悪影響が。   「闘病記(視床出血) 左半身完全麻痺からの復活」を始めた理由   リハビリと勉強の同じようなところは目標の設定を間違うとできるものもできなくなることかな。  某百貨店の某物産展に行ってきました。  9月30日(月)、私のリハビリの前提ですね。今までにいくつか投稿しました。その中にもあると思うのですが、少しまとめてみました。私の場合は間脳視床出血ですね。間脳視床は感覚神経の連絡集合場所です。ですから、わずかな感覚を除いてほぼ全滅状態になりました。と言うても視床の部分がね。と言うことは手足などが麻痺して動かないといっても、運動神経は異常ないはずだし、筋肉も異常なし、関節も異常なし、などです。動かないのは動作が感覚情報として戻ってくるという前提で運動神経が働くと考えると説明ができると思います。では、この感覚情報を何らかの方法で脳に与えてやれば動かせるとね。「じっと手を見る」というのは視覚情報で筋紡錘の情報の代わりができたのかもしれないです。ほかの方も見ていると動かせるというのがあったと思います。目の不自由な方は触覚が一番の頼りかな。アイマスクや暗がりでは普通の人も手探り、足探りですね。感覚麻痺は筋肉動作に必要な感覚が途切れることですね。それをどう復活させるかということが次の課題になります。これはどうも軸索伸長誘導因子などが分泌されるような刺激を脳に与えてやることかな。繰り返し繰り返しね。そして、筋肉を固めない、間接を錆び付かせないなどの気の遠くなる期間の取り組みかな。私は割と短くできたみたいですが、脳出血、脳梗塞などの発症部位、範囲によっては本当に気の遠くなるような期間になると思います。それと、私の場合は手や足などには障害がなかったということも回復には役だったと思います。病状は1000人おれば1000通りとも思えるのが脳障害ですから、すべてが役に立つわけではないと思うのですが、私みたいな「奇跡的回復」といわれるペースで回復できることもあれば、亀の歩みよりゆっくりという方もおられると思います。でも、「諦めたら、回復しない」というのがブログ村に投稿されている方の大部分の思いではと思います。まあ、出血したと思ったときから「リハビリで復活するぞ」と決心したのは少ないかも。  10月1日(火)、昨日、あんなことを投稿しましたが、「とりあえず動かせる」と「日常生活に不自由なく使える」との間には結構あると思います。私は「とりあえず動かす」ということにまず専念したみたい。「とりあえず動かす」ことができたら、筋肉が固まるとか関節が錆び付くとかは防ぎやすくなると思います。そして、「日常に使える」としては車いす暴走とか歩行とかの足の方が「とりあえずうごく」から「とりあえず使ってます」にできたと思います。手の方は手間暇がかかります。コンタクトレンズ装着でもある程度安定したかなは極最近です。これはセンサーの精度の問題だと思います。ここでいう「センサー」とは「感覚」ね。ロボットとかでも細かい仕事のできるロボット開発には時間がかかりました。どうも「センサー」の精度ね。そして、「職人技」は大抵「センサー」としての部分かな。工業製品のセンサーを遙かに上回る人間の感覚のすごさね。「動かす」ことができても「制御」に使える感覚の回復には時間がかかっています。そして、未だに完全回復などしていません。未完成の制御機器で動作させているみたいなものです。私の場合は感覚麻痺だけみたいなものでしたが、運動神経もという方は時間がかかるのではと思います。幼児の歩行でよくこけるのは、感覚神経と運動神経との連携がうまくいっていないことが多いと思います。それをこけることで脳は練習しているのだと思うのです。私も感覚神経が復活するたびに練習をしていることにね。だから、使えなくても動かす必要があると考えています。脳幹は狭い範囲に求心性神経(感覚神経など)と遠心性神経(運動神経など)がありますので、少しの出血でも両方ということもあるかな。少しの出血で死ぬことも。そうそう、俗にいう「皮膚の感覚点」の数は手のひらや口の中などは多いです。背中などは少ないです。口内炎は大きく感じても実際に見ると意外と小さかったり、背中などは小さいと思っていたら大きかったりとね。腕の回復は最後になるとかを聞いたことがあります。感覚点が多いからかな。あるブログで「脳での再配列」というのがありました。原理は「再配列」という言葉で理解したつもりです。そのブログのリンク先を訪問したので近々「再配列」について投稿したいなと思います。私が「再構成」とかいっていたのと同じかなと思います。  10月2日(水)、昨日の投稿で少し紹介した分ね。「以前」とはどの程度なのかな。サイトには「責任は読まれる方がとってね」とありました。レジデント初期研修用資料(http://medt00lz.s59.xrea.com/)にあった「脳卒中関連の話題」の「脳梗塞のリハビリ」やそこのpdf版「脳の可塑性に注目したリハビリテーション」を読んでみてください。「再配列」があるのですが、神経細胞はその場所を移動するとは考えられないですね。繋がっている順序が変わるとか、死んだ神経細胞を飛び越し、別の神経細胞と繋がることで「再配列」は起こりうると思います。このとき、どのような方法でつなぎ替えをしているのでしょうか。神経細胞は軸索や樹状突起という細長い伝線を持っていますね。子供の脳の発達とはこの伝線を伸ばして複雑な連絡網をつくることだといわれています。特に樹状突起は結構伸びたりしているようです。軸索は手間暇がかかるようです。子供の脳での樹状突起等の伸長には「刺激」が必要だといわれています。練習ね。訓練ね。お箸を使うのは練習していると上手になりますが、練習していないとよくない使い方(かっこわるいわ、食べ物は落とすなど)になります。このとき、担当の神経細胞への接続と訓練かな。胎児の脳の配線網は簡素で、誕生後に複雑になるね。どうも、脳は普通死ぬまで樹状突起等を伸ばし続けることができるみたい。もし、できないのなら、誰か私の感覚が少しずつ戻ってきている理由を教えて。接続替えが起こっていると考えると説明できると思います。そのためには「麻痺した方を使おうとする」「とにかく動かしてみる」などなどの行為が必要ですね。そうすると、紹介したサイトの「脳の可塑性」の説明ができるのでは。脳卒中発症時期が昔の人は医師のレベルがこのサイトレベル以前の可能性があるので、麻痺側は麻痺したままになるかな。そして、最新の知見で「動かせる可能性が高い」→「拘縮したりしているからボトックス」が増えてきているのかな。人間の体は適切に思考や運動などをして、刺激を脳に与え続けると「過去の常識」破りの可能性を示すと思います。今、私は体で脳でそう感じています。  10月3日(木)、一昨日、ショッピングセンターの向こう側というてもセンターから1kmは離れている眼科に行き帰り、歩いて行ってきました。なんじゃかんじゃで15000歩越えに。足はさすがに疲れました。眼科の診察結果は前回とぼちぼちですとのことで、次回は半年後、通院時期が以前は真夏と真冬だったので楽になりました。1kmや2kmぐらいですと、バスとかには乗らないです。昨日は自宅から見るとショッピングセンターとは逆方向の内科に月1回のご機嫌伺いに行きました。診察はぼちぼちね。その後、さらに同方向で離れたところの調剤薬局までとぼとぼ歩いていき、また、歩いて帰りました。この程度の歩数ならやはりバス代がもったいない。自宅からの総歩数は6000歩強でした。これに朝夕の散歩や生活動作などがあるので、12000歩ぐらいかな。ところで、感覚がちょっとドドッと回復したようで、腕や足や顔などでの痺れ感や硬直感がきつくなっています。昔のリハビリから見たら「常識外れ」をしている効果かな。  10月4日(金)、「麻痺特有の姿勢や動作の方が楽」というような投稿があるブログでありましたので私の経験からでてきた考えを書きます。嫌われそうですが書きます。麻痺したらでる姿勢には「背中を丸める」というのもあるそうですね。また、腕を曲げている状態とかね。私はこれらは脳が筋力のバランスを忘れてしまった結果ではと思います。腕は曲げたり伸ばしたりできる方がいいですね。だから、健常側は普通伸ばした状態ですよね。その方が都合がよいからです。背筋を伸ばすと深呼吸とかもできるしね。なぜ曲がるのかというと「屈筋」の方が「伸筋」より力が強いからです、バランスが取れないのですよ。使い勝手は「正しい姿勢」といわれる方がよいと思います。確かに「伸ばす」のは疲れますが、曲げたままより予後はよいと考えています。「足の大外回し振り出し歩行」ですが、これで1日に15000歩越え程度歩いてみてください。階段の昇降も百貨店で1~5階を手摺りを持たずに往復してみてください。危険防止のため、健常側の手はいつでも手摺りを掴めるようにしています。できないと思います。または時間がかかり非常に疲れるのでは。昨日、「疲れた」と書きましたが、疲れの持ち越しはないですよ。麻痺した時の姿勢や動作は脳が筋肉の使い方やバランス調節の程度を忘れてしまったためですよ。わんちゃんとの散歩で、わんちゃんがうんちをするようなときは時速で6km前後でとか、時には小走り程度になります。歩いてから止まってうんちね。私は背筋を伸ばして歩いています。杖を持っていなかったら、障害がないように見えるかもしれないです。大外回しでは走れないと思います。そのときは楽かもしれない麻痺したとき特有の姿勢や動作はあとあとリハビリの妨げになると考えています。私は左半身が完全に麻痺して、リハビリを始めたときから、「脳が正しい姿勢や動作を忘れている」と気がつきました。「忘れている」としましたが、死んだ神経細胞の代わりを担った神経細胞が前の細胞と同じようにはすぐに作動しないということだと思いました。それで「練習」「訓練」の繰り返し繰り返しで覚えさせるしかないと。子供の成長と同じだよ。失敗しながら繰り返しね。もう一度書きますが、左半身が完全に麻痺状態になった私のリハビリ経験からでてきた考えです。今でも悪い癖がちょっこと出てきそうになります。修正しますよ。矯正しますよ。後々楽になりたいからね。  10月4日(金)、この闘病記を始めた理由はいくつかあります。一つは自身のための記録です。もう一つは私みたいな脳卒中でも復活できる場合があるということを私の考えをもとに書いています。後の方はどちらかというと発症されてすぐの方向むけみたいなところがあります。極端な言い方をすると、「妥協しないリハビリ」みたいなところがありますので、妥協しているようなブログの投稿などには腹が立ちます。発症すぐの方が「その程度でよいのかあ」との諦めを後押ししているように感じるのです。私の現状ぐらいの回復でも発症の状況によっては長い長い長い道のりになりますね。私より症状が軽そうな方でも、「どうして麻痺したままなの?」というのがちょくちょくあるのです。このような方が少しでも減ってほしい。私より症状が重い方もより改善してほしいという思いから、そこら中に投稿しています。ブログ、ホームページ併せて20カ所ほどね。私の投稿は「感覚麻痺」での体験が基礎になりますが、運動神経の方でも参考にしていただけるようにはと思っています。「完全復活」を目指しているのです。幼児ですと、脳梗塞ですが「完全復活」みたいな例をクローズアップ現代で見たことがあります。ですから、ブログ等を読んでいて、地域でリハビリとかでそれなりの立場と思われる方の妥協したような投稿には腹が立ちます。影響が大きいと思われるからです。「この程度でよいのか」とね。(今回2回目) どの程度がよいかは症状によるので余人にはわかりにくいです。でも、諦めたら、回復できるものも回復できなくなります。  10月5日(土)、「リハビリと勉強の同じようなところ」は、どちらも自発的に(リハビリではこの自発的とは何なのかな)に取り組むことのほうが効果的かな。また、努力を積み重ねることかな。そして、目標を低く設定してしまうとそれで終わりだよかな。さらに、その人の能力というか症状というかというようなもので目標達成できるかどうかが出てきますね。例えば、大学入試で東京大学理科3類を目標にしてしまうと年90人合格だけですよね。医学部希望者は万人単位ね。絶望的なのが多数でますね。ボーダーフリーの大学ですと、願書出すだけね。リハビリも完全片麻痺状態から5ヶ月後ぐらいに歩いて退院という目標を立てると絶望的な人が多いかな。私は「歩いて退院」は目標の一つみたいでしたが、何ヶ月先かは?でした。2月9日入院で6月30日歩いて退院できましたが、これは結果であって計画的に目標達成したわけではないです。でもね、目標というものを低く設定していたら「歩いて退院」はできなかったでしょうね。ですから、新たに脳卒中発症された方が適度に高い目標を持ち続けれるようにするのが、私ら脳卒中である程度回復できた者のつとめかなと思います。ただ、今の教育とリハビリの大きな違いは「リハビリには順位競争がない」ということです。本当は勉強でもリハビリみたいに何ができるようなったとかで評価してほしいですが。リハビリは乳幼児が脳や筋肉を同時に徐々に成長させながら時間をかけて体得していくことを、病気になった部分以外は出来上がった体で再学習するという難題があると思うのです。使える部分を使えないことによる問題に対処しながらね。拘縮や関節のさび付きとか、ちょろちょろと感覚等が復活することでも筋肉調整の学習とかね。幼児でお箸の持ち方を学習させるのに失敗して、大きくなってから修正することの大変なこと。このようなことが、リハビリでは頻発するようです。間違った勉強法に固執している子の勉強法の修正の大変なこともかな。勉強もひょっとしたらリハビリも自発的積極的というのは少ないかな。どちらもサボりたいから、その切っ掛けを探している人が多い感じです。勉強ですと「平均点あったもん」は平均程度しか勉強しないよとか。ブログ村の方はそうではないと思いますが、「・・のほうでよい」とかで、・・がリハビリの現場では修正対象になりやすい事象でもブログで「・・の方が楽」とかあると、それでよいと思いやすい人が結構いると思います。ですから、軽症の人も重症の人も積極的にリハビリを取り組んでほしいと思ってブログ投稿を続けるつもりです。  10月6日(日)、昨日、某百貨店の某物産展に行ってきました。よく混雑していました。隣の大都市の地下街の歩行者の通勤のための歩行というと、全国的に見ても速いほうらしい。そこを負けじと?歩いたこともあるのです。避けてはくれますが、周りの速度にある程度あわした方がよいとは思います。でも、障害の程度とかではどうしても遅くなることはあるので、それはそれで避けてもらうということね。ところが、物産展の方は混雑で立ち止まりも頻発ですね。ゆっくりの時でも足を大外振り回しでは・・・と思いました。ほぼ真っ直ぐができるようになっていて助かりました。車いすの方がこのようなところでは安全かも。リハビリでの初期段階からよい姿勢とかの指導がありました。このとき「完全復活」を目指していたので、その意味するところをすぐに理解できました。「あとあと楽」。そう「あとあと楽」。小学生の頃、ペン習字をしておけばよかったかな。筆は筆で意味があるのですが、鉛筆となるとうまく持てなかったみたい。お箸は結構・・までいっていると内心自慢気味ね。力のバランスが崩れているのかな、ペン字では。前にも投稿しましたが、発症して2ヶ月ぐらいの時、歩行が短距離(ほんまに短距離ね、病室内程度)の時、家族が発症前より格好良いといってくれました。筋肉が動かせ始めたときからバランスの必要性を感じて意識的にしていたからかな。それでも、まだ「とりあえず歩いている」と感じが拭えないというか「とりあえず」です。腕の方はまだまだ「とりあえず」です。発症したとき、意識なしも経験、そう、病院到着時意識なしかな。ベッドに縛り付けられることなく移動できない、起き上がれないなどなどとからね。

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