2015年4月26日日曜日

日本の報道で思うこと

 最近、自由民主党がテレビ朝日やNHKの報道について事情聴取とかをしましたね。  アメリカなどの根性のある報道機関ならどう対応していたでしょうか。  このことで感じるのが「日本流報道統制」です。報道機関に自主規制させるのです。配線までは完全な統制報道でしたよね。その結果、どのようになったかを考えてみてほしいのです。  「押しつけられた憲法」とか某政党の多くがいっていますが、あのあほな戦争に突入していったのは誰なのか。天皇制を破壊しようとしたのは連合国ではないですよ。当時の日本の指導層ですよ。  大日本帝国憲法を拡大解釈(自己に都合のよいように解釈)して戦争にずるずると突入していったのは誰なのですかな。今でも大部数の新聞とかでは検証記事がでないように思います。  自己にとって都合の悪いと思うことほど、検証が必要です。某首相の「反省」という言葉からは天皇制を破壊しようとした戦争への反省が感じ取れないのです。  このような体質が日本の随所に残っています。原発事故およびその後の対応にも感じられるのです。原発事故の報道にも自主規制という感じを受けています。自主規制しないで報道していたら原発再稼働がしやすくなったかもね。あの原発事故は原発の問題ではなく経営者の問題だと思っている筆者です。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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