2015年5月3日日曜日

安倍首相のアメリカでの演説で「痛切な反省」で思うこと

 先の大戦についてですよね。「痛切な反省」というのは。でもね、行動が伴っていない印象があるのです。別に首相だけというのではないところが怖いのですけどね。  大戦前夜からの出来事のごまかし具合とかを見てみると、「都合の悪いことは封印」という姿勢が帝国陸軍とかあたりから連綿と続いている感じなのです。  「痛切な反省」をするのでしたら、このような日本的体質をどのようにしたら断ち切ることができ、その成果を子々孫々まで継承させることができるかに取り組んでほしいのです。  報道管制については「大政翼賛会的」な嫌がらせが未だに続いている日本ではと思うのです。その結果、未来が見えなくなってきている感じを受けているのです。  口先だけで反省としかいっていないように思うのです。外面だけを繕っているうちに泥沼にはまってしまった戦争でしたよ。近隣諸国民に多大な辛苦を与え、自国民にも多大な辛苦を与えて、大義名分も潰していった先の大戦。この教訓から何かを導いて未来に役立ててほしいのですが無理みたいです。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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