2017年6月25日日曜日

「証拠がない」とか「文書がない」とかで逃げ切るようですね。

 ということは、沖縄戦も美化されたものだけが後世に伝わるようにされそうです。国民を守るはずの軍が沖縄でしてきたことですよ。住民をおいて逃げてくれた方がよかったかもね。私は沖縄ではないのですが、他のところでの軍部の行状等や沖縄からの発信で感じています。  今回の一連の騒動でも、同様の手口が使われていますよね。都合の悪いことについては箝口令や「デマ呼ばわり」とかね。こういうことをしていると、本当に必要なことまでが疑われたり、情報等が上がってこなくなって「歴史は繰り返す」ね。戦争をしないのに「自滅」へね。  大戦時に外地でしてきたことについては証拠がないのではなく、証拠隠滅ですよ。国内でも在郷軍人会クラスでの文書焼却だったとね。  文部科学省は証拠隠滅のお先棒を押しつけられていますから、堪忍袋のが切れたのでしょうね。どこの省庁でも今後「文書がない」は証拠隠滅と考える方がよいですよね。財務省の国有地売却についてもね。  国民に開かれた国にするためには、官庁を守るためにもね。共謀罪等は運用上で危険性が増します。今、その危険が高まりつつあると思います。治安維持法の時代に逆戻りさせたくないですね。  福島の原発についても究明を放り出して逃げ切ろうとしていると感じています。すると、どう安全基準を厳しくしても「危険」なのにね。なでなら、肝心な安全対策を考えることができないからです。私は「無知」と「一度決めたことは変更しない」と「決断の周回遅れ」と「もったいない」が要因と思っています。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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