2018年10月7日日曜日

過去の遺物を追い求めて未来が逃げていっている感じかな。

 生前退位に伴う元号の発表ですが、政府は当初、今の時期には発表済みにしたかったようでしたね。それが皇位継承後になってしまいましたね。元号法制化とか要請した勢力が平成開眼の時と動揺が伝統だとかで圧力をかけたのではとね。  ところでいろいろなところで元号の影が薄くなってきていますよね。政府当初案はこれを食い止めようという意図があったと思うのです。現在の世情等を配慮せず、単なる思い込みでかな。今、観光地化した神社には多くの人が訪れていますが、そうでないところの多くで氏子の減少に悩んでいますよね。  また、靖国神社は氏子はいないということです。遺族会からの会費が主な収入らしいですが、この会員の減少が悩みの種だとあるサイトの報道でしりました。そこには「天皇の参拝」に期待しているというのがあったように記憶していますが、天皇陛下は参拝しないでしょうね。司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和」への道』でもありましたが、先の大戦で日本を潰した、天皇陛下の名を使った戦争を始めた面々が、合祀されてしまったことで陛下の参拝がなくなったというのですよ。これも、当時の・・の要求に負けて合祀したのかな。それが尾を引いているのにね。  先の大戦までの日本の行状、特に軍部の行状についての検証をしない日本ですよね。当時、大学やいろいろ物(建造物や鉄道など)の投資はしても民族としては否定してきた過去(された方は1000年経っても忘れないでしょうね)に目をつぶっている、目をそらしている現政権も同類かな。すべて、我が民族に負の遺産として跳ね返った来るということを理解していないということでね。ということで、未来への展望がでないのですよ。だから、過去にしがみついておきたいのかな。O氏のY市長もね。ということは維新の会もかな。  過去の負の部分を忘れようとしたり、書き換えようとすることは「伝統」として過去のことにしがみついてジリ貧になってゆくのですよ。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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