2013年8月4日日曜日

歴史の検証のためには価値観の再検証を

 「歴史の検証」とかありますけど、誰がするのでしょうか。そして、一番の問題はどのような価値観でもってするのでしょうか。そのほかでも、何かの問題について判断するときも「価値観の問題」というのに突き当たります。  教育の世界では、やはり「科挙」の歴史を誇る国々では「記憶力」に重きを置いているようですね。「記憶力」を適当に扱っていると思えるある国の入試は東アジア諸国から見たら「杜撰」かも。  過去の出来事でもどう見るのか。日本の天皇制を潰しかけた戦争を起こした大悪人と見るのか、国を守ろうとしたと見るのか。当時の状況を考えると、勝手に「戦争」「戦争」と叫んで、自滅に突っ込んで行ったと思える戦争を「祖国防衛」と考える人もいるようです。天皇の顔をゆがめるような式典を平気でおこなう人々ね。  伊藤博文暗殺でも、あれで日本の右翼が思う存分活動できるようになったと見るか、伊藤も右翼の一人と見るかでその評価が変わってきます。  TPP交渉参加とかで農業分野ですけど、参加以前に潰されてきていると見るのか、まだ持っていると見るのかですね。でも、「後継者が出ないということ」で自滅してきていると考えるのは妥当では。「農業はしたくない」の表明が「後を継がない」かな。だれが、このような農業にしたのか、全農と農林水産省はよ~く考えてね。後を継いでいるようでも、「兼業できるから」も実質「後を継がない」と同じかな。兼業の働き先をどう確保するの、TPP参加が必要かも。  一つの価値観を押しつけようとして、テロだらけの国が結構ありますね。その価値観から見ると、他の価値観での歴史の検証は受け入れないでしょうね。  「4000年賄賂の歴史」の国も苦労しているようですが、日本が助け船をまた出すことになりそうです。  この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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