2014年2月10日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No79

「麻痺でできなくなった」と思うか「リハビリでできるようになった」と思うのか、わたしゃ後者ね  違和感や硬直感も行ったり来たり 過去に死に損なったというか命拾いの人生だものね。  株式投資、リーマンショック後や欧州金融危機後の暴落期は含み損で真っ赤っか、今はどうなのでしょう  モーグルでの様子を見ていると足下のガタガタを足首、膝、股関節や胴体の身のこなしで吸収して頭を安定  背中で右手と左手の接触はもうすぐかな  視床出血発症して2年になりました(第1回)  2月3日(月)、リハビリへの思いというか脳卒中で片麻痺になったときにどのように思うかということがあるとと思います。私はまず「麻痺しちゃった」と思いました。そのうちリハビリで復活しようとね。急性期病院での入院中も、落ち着いてきたら、まず車いす生活(朝6時半頃から夜8時頃までね。)ができるようになることが目標だったか。上体を垂直にしていると鼻が詰まらないのでね。結構早期にリハビリが始まったのですが、PTで平行棒の先にある姿見の私が見えなかったのです。でもね、意識がはっきりしてきているから、そのうちとね。で、翌日、コンタクトレンズを装着してもらえたらよく見えました。食事とかですが、利き腕が使えるので看護師さんの介助なしなのが残念とか思う不届き者ね。車いすの場所で利き腕を伸ばしていろいろ作業できるところにしてもらうようにしました。「あれができない、これができない」ではなく「できなかったことが一つできるようになった。次の日?にまた別のことができるようになった。」とか思っていた感じです。麻痺すれば生活作業に支障がでるのは当たり前。それが、徐々にできるようになっていくということが励みにね。当座は利き腕でできるようになってもよいではないですかということです。リハビリで一気に回復できるのなら、子供の成長はもっと早いはずです。子供でも何年もかかることを短期間で達成しようというのが無謀では。子供の神経系は普通、準備がされています。ところが我々のは脳卒中で破壊されたのです。時間が掛かって当たり前ですよ。で、落ち込んでいると回復により時間が掛かるみたい。焦ると筋緊張亢進とかでこれまた良くないみたい。ハードコンタクトレンズ装着で「う~ん、まだできない」と思うこともありますが、「筋肉を固めない」「関節を錆び付かせない」を基本に脳の可塑性を引き出すようにしていました。そのうち、リハビリに励み続けていたらできるようになるとね。何年もかかることもあると思いますが励み続けます。子育てと同じかな。子供は当初何もできないですよ。進化したほ乳類ほど何もできないですよ。だから、「できるようになった」ということを褒めてやるべきですよ。リハビリもね、大抵のセラピストさんは褒め上手ね。  2月4日(火)、顔の違和感の部分が小さくなってきています。ただ、広がったり、小さくなったり、しながら、徐々に小さくね。これは、他の部分での変化と同じような感じ、進んだり戻ったりね。小さくなってきているのですが、小さいためかちょっと強く感じたりします。狭くなった沖の範囲は上唇当たりから耳までいかない程度のほほの当たりで鼻に近いところの感じが強いです。広がったり狭くなったりね。腕は相変わらず良く痺れています。そして、硬直感が強くなったり、弱まったりね。指の接触感覚を確認するような動作をするとそのときにより痺れています。目を閉じて手探りで手摺りを軽く掴む動作ね。この動作は皮膚感覚と筋肉の収縮具合の感覚を同時に試すことができると思っています。以前よりできが良くなってきているので力が入れやすくなりました。以前は小指や薬指を壁に突き立てても判らなかったのがなんとか感じられそうになってきています。感覚神経が戻ってくることで徐々に強く握れるようになっていきそうです。私らですと、感覚が先で筋力はその次で良かったということかな。感覚が戻ってこないから力が入れられないことですね。ところが感覚を戻すためには動作が必要ですよ。  2月5日(水)、もうすぐで発症2年ね。そのときに「落ち込み」がどうして生じなかったのかな。まあ、ある時期に私の性格や能力などから、ある程度先を見てしまっていて「悟り」を開いていたのかも。それと、価値観の違いから、ストレスが多かったです。ちょいちょいリハビリで子育てに触れていますね。人間の成長に「絶対」ということがないということね。その割に「考え方」によって、成果が違ってくるのに、固執して開けていくはずの人生をつぶしているのをみてましたからね。まあ、価値観の違いを悟っているので出世は諦めね。でも、そのときそのとき「最善」かな。本当に「最善」かといわれたら、「諦めの最善」だったりしてね。好奇心による調べ物というのはちょいちょいというか、継続的にしていました。発病して「調べ物」ができなくなっていたらどうなっていたかはよくわからないです。でも、一昨日のように考えているから、なんとかなったのではと思います。それと、過去に死に損なったというか命拾いの人生だものね。この程度で落ち込んで人生の意味を失っては助けてくれた神様に申し訳ないです。この神様ってなにだと思いますか。自身で見つけてください。勧められて見つけるものではないと思います。  2月6日(木)、発症前から細々としていた株式投資。リーマンショック後や欧州金融危機後の暴落期は含み損で真っ赤っか。先日、ある方が書いていたように塩漬けにしていました。生活に困らない資金でということなので細々ね。どういうことかというと全滅しても諦めることができる程度の金額ね。でもね、上場企業が同時に複数社倒れるときは国もやばいよ。特定企業に集中しないことなのですが、金額が少ないと分散できないよ(涙)。一昨日の大暴落時に久しぶりに「買い」→「売り」で200円売却益を出しました。細々ね。上昇時でも「売り」→「買い」で売買益を出せることもあるのが株式投資ね。ただし、すべてを自己判断で売買することかな。他の人が買って高くなっているから買うと天井で購入で、後は下落とかになりかねないですよ。下落したら購入でその後も続落もあるからね。見切りも大切ですが、それができないのなら「塩漬け」ですね。普通にしていたら、利回りは預貯金より良いのではと思います。  2月7日(金)、日本時間では明日になりますが、オリンピックの開会式がありますね。で、ニュースで競技の練習風景が報道されています。予選のスキーのモーグルでの様子を見ていると頭の位置に注目すると足下みたいにはガタガタしていないですね。足首、膝、股関節や胴体で変動を吸収して、頭を安定させていますね。力任せではないですね。ジャンプも力任せでは飛べないと思います。スケートともね。ところが、脳卒中で麻痺した場合、油断すると力任せになってしまいそうでした。筋肉を固めたら、関節を錆び付かせたら動かせなくなると思ってリハビリに取り組んできました。モーグルみたいな足の屈伸、腰振り、上半身の柔軟性をまねた動作がいくらかできるようなのです。腕もスキーでは柔軟に使っています。モーグルの関節の動きのまねがどの程度無理なくできるのかというのも考えて見てはと思います。足の指の動きですが、曲がりぱなっしということはなかったです。歩きにくいときは曲がり気味でした。健常側みたいに曲げ伸ばしできるようにしておいて良かった。昨日の件は細々ながらしっかり含み益はあります。あの暴落時にもっと買うことができていたらね。お金がないというのは辛いですね。  2月8日(土)、昨日、訪問リハビリで足の屈伸ですね、腿の部分が胸に接するのにセラピストさんがちょっとびっくりしていました。まあ、顎に膝がつくのですから、接するでしょうね。急性期の病院で自主トレとしていたことはトイレでこっそりと体重を少しかけてみるということでした。乗せすぎると床行きですからね。こっそりでないのは車いす生活ね。リハビリ病院では足漕ぎが加わります。結局は足首は直角程度の角度で鍛錬ね。膝も直角程度で鍛錬ね、腰も直角程度ね。そりゃ、腿が胸まできますよ。ですから、装具もリハビリ病院退院とともにお蔵入りです。こんなのをつけていたら、モーグルの真似事などできないですよ。この寒さですから、注意しないと筋肉や関節が固まりそうです。手足の屈伸などで体全体の柔軟性の維持というか可動範囲確保しておきたいです。で、背中へ手を伸ばすことですが、リハビリでみてもらったら「腰の方からの右手と頭の方からの左手がもう少しで接触できそうだ」といってもらいました。明日で発症2年になるので重複になりますが、明日からしばらく当時のことを振り返ってみたいです。  2月9日(日)、今から2年前の本日の午後6時頃、職場のトイレで脳の中での異常に気がつきました。ほげーと尿を放出しているときでした。手を洗っているときに左手の動きに異常を感じ取りました。ここで、このとき知識(掛かり付けの救急病院は救急搬送でも受け入れてもらえるということ)というのがなかったので、自力で行こうとしました。私の場合はこの救急もしている病院で脳血管造影をしてもらっていました。視床出血というのは出血量が少ない割に効果が大きくて、途中で自損事故を起こし、救急車で搬送されることになったのです。このとき、救急隊員の方が病院の診察券(いつも持ち歩いていました)を見つけて連絡を取ってくれたので受け入れたもらえました。5分後程度でしっかりと左半身麻痺でした。知らないということは怖いですね。その後、15分ぐらいかな、まだら意識不明にね。病院到着時は意識なしね。時々、意識復活して、またすぐに意識不明にね。不明の時を昏睡というのかな。まだら復活したときにコンタクトレンズを外してほしいと頼みましたら、ハードコンタクトレンズをソフトコンタクトレンズのように外そうとしていました。で、意識不明で後は???です。救急車で嘔吐が激しかったのですが、原因は左右の感覚のバランスの崩れが原因でしょうね。これは、ベッドでの病室移動の時も起こりました。大脳は正常ですが、感覚神経は視床出血で左側ダウンね。大脳が混乱したためですかな。ICUにどの程度いたのかなどは???のままです。どうも、20~30%ぐらいで三途の川を渡りきることができる状態だったかな。これ、推定ね。出血量は少ないですよ。20mlも出れば、ほぼ死亡する出血ですからね。ただ、麻痺が判った段階で「リハビリで復活するぞ。」と思いました。一度も「麻痺したらどうしよう」とか「このままになったらどうしよう」とかは思いませんでした。そして、意識が回復してから聞いた病名は「右間脳視床出血」です。これで、感覚神経損傷による麻痺というが判りましたので、「筋肉を固めない」という自主リハビリを開始できる部分から始めることにしました。筋トレはしたいとは思いませんでした。「感覚がなくなると運動神経が働かない」とは意識していなかったかもしれないですが、「筋肉を固めない」を重点的にすることにしました。といっても、できることは限られていました。続きは明日にします。

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