2014年11月2日日曜日

固定観念

 固定観念とは、三省堂のサイトによると「心の中にこり固まっていて,他人の意見や周りの状況によって変化せず,行動を規定するような観念」ということでした。  どうして、このような観念が起こるのかというと「考えるのが邪魔くさい。調べるのが邪魔くさい。」などの理由ですよね。人類が動物界の支配者となれたのは「考える」ということが他の動物より少し上回ったためでしょうね。でも、「熟慮」というのはそれなりに体力を消費しますね。ですから、適当に考えて判断する方が楽なのです。適当を繰り返すと、「適当」でも疲れることになるので「固定観念」にたどり着くのでしょう。  宗教もブッダなどの開祖をいわれる聖人は「熟慮」しまくっていたはずですが、後継者に「固定観念」のみのがどの宗教でも続出していますね。  経済活動でも、「安くすれば」という固定観念に取り憑かれて、「適切な低価格(生産者や消費者等がともに納得できる)」ではなく、ただ「安く」とね。でも、人口増加があるときですと、数量増でカバーできることもありますが、人口減社会では消費数量減ですよ。値下げで数量も売り上げも減にね。かといって値上げは簡単ではない。理由は一人の消費量には限りがあるということです。普通にスーパーで販売している物品は大抵ね。米が安いといって、普通の高齢者にとっていつも2倍たれることができますか。日用必需品はコンスタントに一定量消費される物で、安いといっても年間を通じたらそう変わらないのではとね。  商品やサービスの質の向上というのは惰性で仕事をしていると出てこないみたい。固定観念に毒されると惰性です。どこかで、報道ネタになった「体罰」も考えるのが邪魔くさいからですよ。虐待も育てられたときの経験などをそのまま考えもせず、実行しているだけではと考えています。ブラック企業も中高校の運動部の時間的拘束のみの練習みたいなものなのかもね。学校に縛り付けておけば非行もしないのではとね。  長時間練習でもメリハリと適度な休息や指導の質によっては有益なこともありますが、あの長時間拘束はいじめではともね。面倒ですよ、考えて指導するのはね。商売でも考えてするのは面倒ね。だから、考えて事業改善をおこなっているところが成長できるのですよ。政治でも宗教でもね。日本の農業が衰退した理由のひとつかもね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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