2015年11月29日日曜日

リアリズム リアリティー

 最近、また、司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」を読み返して見ました。そこで出てくることは現状認識の問題でした。「リアリズム」のあるなしみたいな感じね。  このリアリティーの基礎になるのが実体験ですよね。しして、言葉と実体験の結びつきを実感してきたかもね。これが徐々に形成されていくときに実体験でない学習とかの経験をいかに現実味のあるものとして考えることができるようになるのかとかは訓練でしょうね。  司馬遼太郎氏はノモンハン事件を一つの例としてあげられていました。死傷率73%という惨敗に対して目をそらして箝口令で封殺し、装備の近代化もしなかった当時の参謀本部や現地の司令官が「日本の兵隊さんは強いと聞いているから・・」といったということもね。武勇伝と現実とが混同されて区別が付かなくなった状態ですよね。  ソ連の軍備についてもまともに報告すると「恐ソ病」のレッテルを貼られて、出世がなくなったとか。これは現実を知ることへの恐怖そのものですよね。このようなことは現在も進行中ですよ。第二次世界大戦敗戦までの日本がしてきたことを直視しないということね。  農業政策でも今までのすべての農家に農業という政策が農業放棄地を増やしてきたということを直視していないですよ。海外の農家とではなく、国内の他の産業との生産性競争に負けたのですよ。だから、後を継がないのですよ。  最近の東芝の問題もかな。中学校等の組み体操もだれが感動しているのかな。聞けば、とりあえず「感動した」とかいいますけどね。子供たちは優しいですからね。  現実を直視する力がないのですよ。だから、過去のしがらみにへばりついて思考停止状態になってるのですよ。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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