2016年9月25日日曜日

無責任体制、日本かな

 東京の豊洲市場の地下空洞問題で、盛り土と専門家会議で答申されたのをいつどのように変更したのか判らないようなのです。まだ、当時の会合(参加者が把握できていて)で何となくでしたら、その会合参加者全員がですけど、責任のなすりあいやかばい合いかな。  織田信長は責任の所在をはっきりさせていたと思います。合議制は悪しきに流れると責任不在ですよ。しっかりと責任を確認しながらの合議かな。ですから、どの会合で誰がどう発言して参加者がどのように反応したか、賛否を含めてね。それをんはっきりさせる必要があると思います。  満州事変も現地軍の暴走を上層部が黙認し、それに乗っかるということをしたから、止めどがなくなったのですよ。太平洋戦争も本当は誰が決断したかは判らないのでは。何となく流れてしまったかもね。だから、長期戦の覚悟なしの突入ですよね。だから、ヒトラーみたいな人物がいないにもかかわらず、受諾の決断ができなかったのが当時の軍部上層部や政府ね。だれが、どのような形で決断するかができなかったのですよ。玉砕とか特攻は自分が行かないから簡単にさせていましたね。  企業での適切な決断をする経営者の時には発展していると思いますが、老害とかもありますよね。これを防ぐのが取締役会かな。悪い方の本来の責任を取るべき部位ではなく部下に取らせるのもブラック企業かな。  年金制度では厚生省の過去のある事務次官が「年金なんて遠い将来に支給するから使え(年金融資とかで)」といったとか。年金融資物件の多くが「破綻」か同等の店じまいしましたね。当時の預金金利程度も稼げなかったかもね。最近の年金運用でも誰が何時どのような指示を出したのか。あんな時期の株運用では損失が出ますよ。株投資の基本がなっていないのではとね。資産運用の配分で雁字搦めにしていてはね。  上層部の無責任体制は日本の伝統かもね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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