2017年11月5日日曜日

人間性否定に突き進む教育現場

 先週、「価値観の押しつけ」で投稿しました。茶髪等の問題は価値観の押しつけどころか、人間としての存在を否定する行為だと考えています。  そして、多くの教師がある種の邪教に染まっているのではとね。邪教のその位置が「順位による評価の絶対視」ですよ。構内での順位がよいから「よい生徒」みたいなのね。これは国民全般かもね。  いろいろな行為について効果の本当の意味での検証がされない日本ね。  その昔の内申書重視の高校入試。当日1回だけの筆記試験による選抜でなくなるというのがよいとかいって全国に導入されましたが、中学校3年間全日入試と化し、相対評価がよりはびこる原因にね。そして、部活動も「内申書」のためね。で、内申書の束縛を断ち切ったのが私立中学校入試と、校内での反乱ですよね。後者は中学校ではお荷物ですよね。これは今は以前よりは平穏ですが、形を変えて噴出していますね。ブラック企業としての中学校。  大学入試での共通一次試験は「模試による序列をなくす」とかいいながら、このテストの得点を合否判定に使う摩訶不思議なことをしてより正確な序列(共通一次試験による)を提供していましたね。  高校も含めて、アホみたいな規則だらけね。これは「教育を受けさせる」という前提だからですよ。子供の義務とするからですよ。子供にとっては何歳になっても「教育は受けることができる」権利であれば、必要のない規則ね。  制服は邪魔くさいときに学校に着ていけるのであってもよいですが程度にしておけば、服装検査の項目は減らせますが。服は購入すれば、何とかなりますが。頭髪等は人間の尊厳そのものなのに否定することを何とも思わない教師の多いこと。  「規則がらめにしたら、することがなくなるから勉強するであろう」という非常に貧しい発想でしかないのですよ。その教師もこのような発想の下で高校生活を送ってきたのかな。人間の発想力というのは結構貧しいですよ。生育期を再現するような子育てをしている教師や親ね。  ブラック企業の経営者もこのような教育環境で教育を受けてきたのかな。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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