2022年8月28日日曜日

「検索できる」ということ。

「検索できる」ということ。「調べることができる」のうちの今はネットでの調べるのをいう場合が多いですね。 調べることが必要かどうかということを考えないという人は検索なんてしないですよね。「教祖」もウィキペディアで調べてみたら・・。  ブッダは過去に読んだ手塚治虫氏の「ブッダ」の記憶からもね。これ、いいですよ。お勧めします。  イスラム教は「預言者ムハンマド」ですね。イエスも預言者とする説があるようです。ただ、イエスは行いを通して、そして死後信者の布教でより神格化されたのではと思っています。釈迦は「哲学」ですね。だれも「自分は神だ」とは言っていないのですね。  統一教会の教祖は「神である」みたいなことをいっていたようですね。このことで私にとってはうさんくさいと思ってしまうのですけどね。で、「神」なのに死にましたね。  歴史観では日帝統治時代のことで「日本女性は韓国人に・・」だったようです。それが合同結婚式で男性は韓国人で女性は日本人だけだったかな。これで、徴用工や慰安婦問題で「彼らは希望して・・」とする説の自由民主党の議員の選挙応援をしていたのが統一教会であり家庭連合ですよね。  歴史認識が全く逆の立場の信者の選挙応援を受けていた自由民主党ですね。  金と票の取引だけではと思うのです。  「票」のことがあるから名称変更がすんなり認められたのかもね。森友や加計学園と同様の関係かもね。  教会も信者の献金問題をうやむやにしてほしいという下心があったのかな。  もっとも、アメリカと日本と韓国の政界に食い込んで世界を支配したいという野望があるとネットで読んだことがありました。  統一教会というより、政治家たるもの、講演に行くような場合、どのような講演会等であっても主催者について調べないのかな。インタビューでもかな。神社本庁でしたら調べる必要はないかもね。  「家庭」と「統一」と「・・」でしたら「統一」ということから調べてみようと思わないのかな。「世界日報社」でしたか、統一等はないですけどね。  過去の学習成果とそこからの疑問があれば「調べる」のが当たり前ではとね。そして、場合によっては過去の学習成果の修正や破棄も必要になることがあるのですよね。ただ、単なる新しい思い込みになっては「調べる」ことが悪い方に作用してしまいます。  よりよい未来のためになるように基礎力を充実させようね。 この投稿のメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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