2015年8月9日日曜日

「失敗を認めない社会の怖さ」

 誰しも失敗はありますよね。問題は「失敗を認めない」というのはどのような社会なのでしょうね。  「失敗がない」ということはそのときにしていることの施策等は問題がないということになって、大切な検証ができないということですよ。将来への芽が摘み取られる社会ですよね。  太平洋戦争への道も「失敗がない」という前提であったのではと考えられるのです。ノモンハン事件でも部隊壊滅を認めていないですよね。箝口令で黙殺しましたよね。だから、失敗の原因究明などしていないですよね。そうでないのなら、兵器の近代化をしていたはずですが。元亀天正ころの織田軍の兵器に毛の生えた兵器でアメリカと戦うなどしていないと思うのです。  正面兵器の性能不足を補おうとしたのが特攻かな。特攻や玉砕等を指示したのは本土でゆくゆくとかな。「作戦の失敗」を兵隊さんの頑張りでなんとか面目を保てたのかな。  ブラック企業も経営での「失敗」を認めたくないから、不当労働行為に走るのですよ。東芝もシャープもどこかで歯車が狂ったのですよ。「目論見が外れた」のですよ。いつ、これを認めて舵を切るかどうかでしたけどね。これをするのは経営者の責任ですよね。これに対して富士フイルムは凄いですね。本業が短期間で消えたのにね、優良企業を維持し、さらに発展してますね。  第二次世界大戦等での失敗を認めない今の政権には怖いです。同根による失敗「失敗をしていないと失敗を認めない失敗」という失敗で日本を滅ぼすのではとね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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