2018年4月1日日曜日

政府公文書等の書き換えとから思うこと

 これ日露戦争以来の伝統かな。もっと以前からあったのかもしれないですが。  司馬遼太郎氏の『雑談 「昭和への道」』の中でいくつか事例を述べられていましたよ。陸軍編纂の「日露戦争史」という書物かな。もう一つがポーツマス講和条約での悪い意味での豹変ですよ。日露戦争の実態を知っているのに国民のむちゃくちゃな要求に相乗りしてしまったということで、後世に禍根を残すことになってしまったとね。  ほぼ帝国陸軍あげてのよいこととやばいことを記載させないだったようです。編集責任者は大佐だったとね。将官が「荒れを書くな」「この戦果を大きく書け」とかあちこちから圧力をかけられたというのです。この大佐はその後チンタオに左遷されたとかね。できるだけ正直に執筆しようとしたのがよくなかったと「昭和の道」のなかに出てきましたよ。  で、203高地の爆弾三勇士やその他突撃等が礼賛されているので後の帝国陸軍の戦闘パターンになっていますよね。上官の無能を兵卒の頑張りでなんとかしたのですが、無能さはどこかに葬って「勇敢さ」のみにね。そして、玉砕の連発になっていったと思うのです。  当時ロシア陸軍は世界一といわれていたので「帝国陸軍は世界一」という思い込みもね。「坂の下の雲」を丁寧に読み込むだけでこの思い込みの根拠のないことが判りますけどね。でも、この思い込みはノモンハン事件でも蔓延っていたとね。「帝国陸軍の兵隊さんは強いと聞いているから・・」と現地の将軍がいったと「昭和への道」のなかで述べられていました。  ポーツマス条約時の政府は日本軍の実情を知っているのに国民に隠して暴徒に同調したということね。もっと領土や賠償金を取れという暴徒にね。でも、小村寿太郎が適切なところで決断したので日本は負けずにすんだのにですよ。あと少し戦闘が続いていたら日本軍は弾薬等が不足して負けていただろうというところだったと「昭和への道」で述べられていました。当時の政府は小村寿太郎に助けられているのに小村寿太郎を非難したりしているわけですよ。  以後の日本に大きな禍根を残すことにね。  小さいことでも実情を隠したり、嘘を言ったりするとその後に大きな問題が出てくるのですから、今回のことも氷山の一角と考えて真相究明と再発防止を徹底する必要があると考えられるのです。  歴史を書き換えようとしている政権にとっては公文書の書き換えなんて普通なのでしょうね。貧困の連鎖もなんとも思っていないのでしょうね。経済縮小(儲けの減少)の要因を判っていないのでしょうね。  日本を破滅に向かって突き進んだあの時期の政権と体質は変わっていないのではとね。政権に関わっていないほかの政党に投票しましょう。ただ、一部同類の政党がありますから注意しましょうね。「・・都構想」などをいっている政党ね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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