2009年11月7日土曜日

教育の目的

 相変わらず、教育については下火にならずに関心が持たれていますね。
 で、教育の一番の目的は何なのでしょうか。私は「人間になるため」であると考えます。ここには、俗に言う「評価」はなじみませんね。でも、非常に大事なことです。例えば、「子育て」ですが、チンパンジーでも他のメスが育てているところを観察できなければ出来ないとか。育児ノイローゼとかは多くが「見本」がないから。本とかではなく、実際の乳幼児の養育を間近でみたことがないというのが多いみたいです。経験者も核家族で身近にいないしね。その他、養育以外にも沢山ありますね。この中にはよりよい人間になるためもね。人間性とかですね。これも「教育」の果たす役割は大きいですね。
 大分離れての第二が「好奇心を持ち続けること」ができるというようなことでしょうか。これは、常に知的な新しい事象に関心を持ち続けることが出来るようにということです。「丸暗記」の勉強では出来ませんね。知的好奇心を持ち続けられるようにするには、幼児期からの家庭の雰囲気、親などの接し方が大切になります。テストなどで「点数」だけで、子どもを評価するような場合、知的好奇心をもって勉強している児童生徒の割合は低いですね。
 勉強は、「達成感」を味わうことができると、それを元にして、次に挑戦できるようになる場合が多いと思います。このことを利用したのが「百ます計算」でしょうね。計算は練習すれば、正確になり、また、速くなりますね。それを褒めることで意欲を引き出しているのだと思います。ですから、「百ます計算」だけしていても意味はないはずです。それは、この計算を始めた蔭山氏もいっていますよ。ところが、バカなマスコミは「百ます計算」だけを取り上げ、幻想を振りまきました。それに毒されての「百ます計算」は手抜きの計算術を使う場に成り下がったとか。
 現在、日本では全ての校種で「絶対評価」のはずですが、「相対評価」の方がはびこってますね。これでは、「教育」は競争のための道具に成り下がってしまっています。定期考査とかで、順位を出して、それで優秀とかいっていますが、なにがどうできるようになったかというのがないですね。そして、「皆でサボれば怖くない」いうのと「最小の勉強で、他人より少し上でよい。」ことで学力低下が起こっているのですね。定期考査などで平均点を気にするのは相対評価漬けになっている現れですね。何が出来るようになったのかではなく、点数のみ気にするので、学習したことをすぐ忘れるのでしょうね。そして、何とか記憶に残った知識もばらばらで連携されていないという状態にね。
 ある程度、絶対評価の出来る大学(東京大学や京都大学など)で留年みたいなことが増えてきている理由と考えています。
 日本を破滅させないためにも、「ゆとり教育」を攻撃する前に「教育とは何か」を真剣に考える必要があります。その時間稼ぎに間違った意味の「ゆとり教育」から決別する必要がありますね。

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