2011年8月15日月曜日

2年連続靖国神社閣僚参拝パス

 2011年8月15日「敗戦記念日」、まあ、確かに戦勝でも戦敗でも戦争が終わったことには違いはないのですが、本質を後世に伝えるためには「敗戦記念日」の方がいいのではないかと考えます。
 「靖国神社」は本来、国のためですね、戦った人を祀っていると聞いているのですが。本日が記念日になっている戦いは自滅的な戦争ですね。調べれば調べるほど、気分が悪くなる戦争ですよ。司馬遼太郎氏は「ノモンハン事件」を小説にしようとされたというのです。でも、調べれば、調べるほど「気が狂いそうになる」という理由で執筆断念されたとか。若い人に書いて欲しいと。たしか、これは「雑談 昭和への道」もしくは司馬遼太郎講演集にありました。
 そして、この戦争に突入していった時の政治情勢は今とある意味同じ、政局ばかりで建設的政策議論がなかったとか。ですから、あの時、だれが首相になっても「戦争突入」でしたかな。ですから、特定の個人攻撃では解決しないのが当時の状況なのでは。ただ、だれが首相になっても同じような政治情勢が作られてしまったことへの反省、そのような状況が起きた原因、そして、現在の検証、よりよい未来への取り組みが長い間全くなかったのでは。この反省、検証、未来への取り組みの切っ掛けとして、今日閣僚の参拝がないということに繋げて欲しいですね。
 あの時、たまたま軍部や政治の中枢にいたものが首相とかして、戦争突入を決め、実行しましたね。そして、教えるべき「国際法」も無視という野蛮なことをしています。今日でも「国際関係」の本質を理解している政治家はどの程度いるのでしょうか。
 今を見つめ、将来を考えるために「今日は敗戦記念日」ですよ。過去を検証しないものに未来はないですよ。

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