2013年4月1日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No34

動作とは感覚神経と運動神経の共同作業  入院時の症状(再掲)  食後服用の薬の多い理由→飲み忘れ防止   「リハビリは楽しい」、これは実感ですその1。  「リハビリは楽しい」、これは実感ですその2。  リハビリ病院への転院の頃に思ったこと   3月25日(月)、昨日の足の硬直感が嘘のように消えました。それなりに歩きやすくはなっているみたいです。久しぶりにダンベル体操をしました。左腕の状態も足同様楽になっていました。一進一退みたいな感じです。夕方の犬の散歩で「お帰り」が極端に早くて10000歩のはずが8800歩ほどになってしまいました。  3月26日(火)、左腕の痛みが強くなりました。筋肉を収縮させたときにでる痛みです。寒さも関係しているのかもしれないです。また、冬に戻ったみたいな気温ですから。にほんブログ村の病気ブログ脳卒中・脳梗塞人気ランキングで『脳梗塞・脳出血 後遺症のリハビリ「動きのコツ」』(http://ugokinokotsu.blog.fc2.com/)というのを見つけました。参考にできることが沢山ありますので、読んでみてください。まあ、私はリハビリの早い段階で感覚神経と運動神経の協同作用で筋肉の収縮、動作ができるのだということを実感しました。どうして、ロボットが豆腐をお箸で掴めないのか、にぎり寿司のシャリをロボット化に苦労されたのかというのと同じです。私の場合は視床出血なので感覚神経が復活する度に脳の再学習が必要であるということ。一気にすべてが復活することがないようなのでだらだらと復活、その度に再学習、これの繰り返しになります。神経細胞で軸索の成長促進と軸索突起の誘導因子分泌促進が起こるような生活が必要だと思っています。  3月27日(水)、発症時の症状の具合について繰り返しになりますが、書かせていただきます。すみません。発症したとき、どうも棺桶に足をかけていたようなのです。どうしてこのように思うのかというと、救急車で病院に到着したときの記憶が全くないのです。到着後、どこかで「コンタクトレンズを外してください」といったのは覚えているのですが、次に気がついたのは何時だったかは?です。昏睡か傾眠、半昏睡のどれかです。一番軽い傾眠でも約20%ほどの死亡率になるようです。ですから、このような状態では結構な確率で棺桶に収まっているというの感じかな。ある文献によるとこのようなときの自立生活復帰率は低いです。だから、重症度を低くみられる程度に回復しました。  3月28日(木)、これも繰り返しになります。すみません。薬の服用で「食後服用」という指示がやたらと多いですね。飲み薬ですと多くの場合、胃や腸で吸収されて血液に入ることによって作用します。血中濃度です。これが高くなりすぎると副作用が出ます。低いと作用が低下したり、効かなかったりします。血液に入った薬は肝臓で解毒されたり腎臓から排出されたりして減少します。こちらは普通血中濃度に比例しているようです。現在の私は朝1回と朝夕2回の薬ですので服用の時間間隔はどれをみてもほぼ同じぐらいになりますし、同じにできます。もし、毎食後ですべて同じ製剤なら夕食から朝食までの時間間隔は長く、昼食前後がその半分ぐらいの時間しかないことになります。薬の種類、効果、昼夜の活動の違い、体の状態などで一概に言えないのですが、早朝食事前が一番薬の血中濃度が低いことになりますね。それでその薬の効果が十分にあって日中の濃度の高いときに問題がなければよいのですが、このあたりの説明が全くないのが今の日本かな。説明が欲しいです。「食後」というのは飲み忘れ防止が一番の目的だそうです。時間医療、一日の生活活動の時刻に応じた医療というのもいわれだしていますよね。代表例が糖尿病でのインスリン注射かな。間違うと死にますからね。血圧管理やら増えてきています。活動に合わせた治療の方がよいに決まってますよね。  3月29日(金)、最初の病院でのリハビリについて、2回詳しくというかもう一度書いてみます。救急車で病院に到着したとき、昏睡みたいですね。それから、何日かして意識がしっかりしてきて思ったことは「筋肉が硬直してしまわないようにしたい。」ということです。関節のさび付きは、結局筋肉を動かすときに関節も使っていたみたいです。このとき実感したことに腕や足のなんと重いこと、重かったです。BMIは平均的な数値で手足は細いといわれていたのに重いと感じました。動く右腕で左腕を持ち上げたり、伸ばしたりをしました。足の方はどのようにしていたかですが、車イスとベッド間の移動とかトイレでの移動とかが役にたっていたような感じです。残念なことはおしめをしていたとき、中に一度も排泄しなかったことです。「排泄して世話して欲しかった。」と看護師さんに言ったら「止めてください」でお終い。残念でした。それと食事で他の患者さんは看護師さんに食べさせて貰っているのに、私は右手のみの片手食い。食べさせて欲しかった。これも残念。入院中の病院は3月3日にはおひな様のお寿司がでるので「早く普通食に」とお願いしていたのにおかゆのまま。食い物の恨みは怖いですよ。恨み続けますからね。リハビリは入院後数日してからリハビリ室で開始。PT(歩行の方)で、兎に角、まず立ちました。よく立てたと思います。平行棒の間に立って、もう一方の方に姿見を置いてくれましたが、姿が見えないのです。視力が悪く、ハードのコンタクトレンズでないと矯正できないタイプなのです。たいして、リハビリができませんでした。当然OTの方もです。翌日、漸くコンタクトレンズを装着して貰えました。リハビリの進みがよくなりました。  3月30日(土)、昨日の続きです。PTでは平行棒の片道を補助されながらというのが最初だったかな。数日片道で次が往復です。往復数日してからリハビリ室巡回コースを、日を追う毎に距離を少しずつ伸ばし、部屋一周できるようになりました。杖を他の患者さんからみたら早くから使い始めました。単独で部屋一周できるようになりました。OTでは腕を動かす訓練と手でものをつかむ訓練をしました。その時、「麻痺したら手とかは曲がりますから、伸ばして、目的のもののところでもと?の曲がった状態にしたら掴める」と教えて貰いました。実際そう思ったので病室では左腕と左手を伸ばす動作を繰り返ししました。視床出血の影響で運動神経のコントロールもおかしくなっていたようです。初めのうちは全身の筋肉が収縮したのです。疲れて夜がよく寝られるようになりました。そうこうしているうちに指の動きまでもが徐々によくなってきているのが判りました。リハビリで意欲がわく理由の一つが「回復の様子が実感できる」ということです。何日か前に書いた「脳が動きを忘れている」の典型だったのですね。だから、「動くようになってから」というのはあり得ないということなのでしょうね。もう一つがセラピストさんといろいろ話を楽しくしながらリハビリができるということでここの病院でのセラピストはどちらも「当たり」ですが、さらにもう一つの点では1勝1敗です。次はリハビリ病院でのリハビリの様子にします。  3月31日(日)、昨年3月13日にリハビリ病院に転院しました。転院前に噂ではリハビリ病院のリハビリは厳しいとか聞いていたのですが、結論を先にいうともっと楽しくリハビリに励みました。ここのリハビリなら通院したいのですが、「入院患者のみ(一部例外あり)」なので普通は退院とともに終了でした。残念でした。転院の日に私の障害の程度を調べに外れ3人と当たり1名が病室を訪ねてくれました。外れ3人のうち2人が翌日以降のPTとOTの担当者でした。この2人ともリハビリ中に毎回話をし続けたという感じで当たりでもありました。まあ、ほんまにしゃべり続けたわけではないのですが、退屈もせず、なにか楽しみながらできたということです。当たりの1名は担当ではなく「様子見」でした。翌日からは退院間近まで担当していただいたYさんにお世話になりました。いろいろな意味で「当たり」です。Yさんのリハビリで「筋肉の使い方を忘れてしまっている」ということを最初に実感することになりました。だから、リハビリは筋肉等を上手に使えるようになることなのですが、脳にもう一度おぼえ直して貰うという作業があるということにも気がついたわけです。前は筋肉とかを動かせるようになったら、普通に使えると思っていた節があるのです。動くだけでは使いものにならないですね。脳での神経の再構築ができたというのは再学習もほぼできたということと同じかも。これは、子どもの成長と同じです。繰り返し繰り返し試してみて行動してみる。そしてできるようになるということです。その学習結果として、リハビリの効果が出てくるとね。そして、使わないと退化するのが人間の諸器官である。「当たり」と「外れ」の意味、ぼちぼちお解りかな。           最近の歩行感覚がなんとも言いにくい感じです。よりよくなってきているような、いまだにふらつきがあるというなんとも言い難いです。痺れが続いているのでリハビリ効果は出ているみたい。

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