2013年4月29日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No38

術後体操はしっかりしましょう。「ヤブ」に注意、殺されるかも。  腫瘍はもう1回です。開業医でも「ヤブ」がありました。 脳出血や脳梗塞時の血圧上昇現象「クッシング現象」   繰り返し繰り返し 履き物の底の厚さと平衡感覚  リハビリでの目標「発症前より美声に」等、以前よりよりよい状態に  悔しくてもより改善しているリハビリを参考にしましょう  4月22日(月)、手術したときはできるだけ運動した方が治りがよいようです。無茶はダメですよ。このとき、背中の筋肉痛が激しかったので、困って主治医に聞いたら「背中の筋肉も切ったからね。」といわれ、背中の筋肉を痛みをこらえながら伸ばしたら、はい、痛みが消えました。この後で、もらった「術後体操」の冊子をみたら書いてあるではないか、読んでおくものだと思いました。で、予定通りに近い感じで退院しました。こちらはタイミングが悪かったら、「棺桶」に収まっていた可能性のある病気でした。退院しても、転移や再発の可能性があるので定期検査が続くことになります。年に一度、頭部と胸部、腹部のCTと骨シンチレーションがありました。翌年のこの骨シンチで1カ所、集積した場所があったのです。骨シンチは放射性物質を血液に入れて、骨新生が盛んなところに集積するという性質を利用したものです。ですから、骨新生が盛んであれば集積します。がんが転移しておれば、溶骨作用があるので、骨は再生しようとします。つまり、骨新生ね。でも、骨折とかでも「骨新生」が起こります。だから、「この検査は解析で骨の折れる検査」ともいわれているのです。「骨転移は普通複数箇所」、このときは1カ所のみ。「骨転移は激しい痛みを伴う」らしいのですが、痛みなし。「骨転移は単純エックス線撮影では溶骨像か骨硬化像」だそうですが、これもなし。執刀医のみが「転移」で「放射線治療を」でしたが、のらりくらりでしのぎました。しばらくするとなにもいわれなくなりました。翌年の検査では別の箇所、あごに集積。前年のは?のままで消えていました。虫歯の指摘。歯医者で治療しました。虫歯検査にも使えますよ、「骨シンチ」。どこの病院でもいる思い込みの激しいタイプのヤブだったかな。この後、すぐにいなくなりました。柔軟に考えたら「転移」には行き着かないと思いますけどね。他はよいお医者さんです。CTなどの検査は5年間続きました。胸部レントゲンと血液検査はその後も5年間、計10年間続きました。それで釈放されました。でもね、健康診断のうち、胸部レントゲンを検診車でするようになったのは痛かったです。胃部検診は肺がんの時から、今の主治医(開業医)のところで夕方にしています。朝食食べて、お昼にはスポーツドリンクやあめ、キャラメルを適度に、午後3時ぐらいまででしたら水分補給してもよいですということなので、病院の食わず飲まずより楽ですし、モニターに映し出される映像は綺麗です。だから、あの食わず飲まずは何なのでしょうね。  4月23日(火)、以上のほかに2002年に左足親指付け根あたり(裏の方ね)に皮膚科該当の良性腫瘍をやっています。紫外線、怖い。お肌に単に悪いというだけではないので。良性腫瘍と悪性腫瘍の違いは「転移」の有無だそうです。日経サイエンスの2000年ごろの論文に良性腫瘍から悪性腫瘍に変わるものもあるというのもありました。まあ、腫瘍ですが、御近所の総合病院、入院した病院で通院ですみました。この件で初診で言った日に「生検」をしましょうということになり、処置して貰っていたら、「取れちゃった。」という声が。摘出手術になってしまいました。その後で肉が焦げる臭いがしたので聞いたら、「止血処置です。」と言うのです。レーザーメスと同じ原理を利用していました。何回か通院してお終いです。そうそう、肝臓の手術もレーザーメスだったようです。輸血ゼロでできたと言っていましたかね。レーザーメスができるまでは血管の塊の肝臓手術は「出血との戦い」だったと聞いたことがありました。2006年頃かな。飛蚊症でこの総合病院に通院が始まります。半年に1回ぐらいです。ここに飛蚊症でいった理由は近所のヤブ眼科医が連休中にさらに連休をとっていたため「休診」だったのです。飛蚊症は今はコンタクトレンズを処方して貰っている別の眼科に通っています。このヤブは近視が遠視になってきていて(こういうことがあるのです。)見にくくなったので行ったら、コンタクトレンズの度数を聞かないというアホでした。遠視が近視のコンタクトをしたら視力どうなると思います?見えるわけないでしょう。基本的な問診もしないというアホ。評判よくないようです。だから、セカンドオピニオンが必要なのですね。ただ、この眼科医、厄介なのは他に丸投げみたい。この点はよいといえばよいですが・・・。現在の私が罹りそうな病気はこの総合病院で面倒みて貰えそうです。このあたりの地域の中心病院として設立されているので近所の開業医からの紹介は大抵ここです。救急もしています。がんセンターは救急はしていないです。がんセンターのあの消化器科の医師の一言「自分で予約して」がありがたい一言になったということかな。  4月24日(水)、先週の金曜日の訪問リハビリでセラピストさんがいうには、脳出血や脳梗塞の直後は血圧が上昇して、最高血圧が200mmHgになることもあるというのです。「クッシング現象」と言うようです。日頃から高血圧でなくても脳出血や脳梗塞などでみられる血圧上昇のことだそうです。調べて見てね。ということは、脳出血直後の高血圧はこの現象によると考えられますが、そうすると、怖いのが「高血圧でないのに出血した」と言うことになります。血圧の薬を飲み続けているとどうなるのか、なにかこわ~い感じもします。  4月25日(木)、ここ数日の間は足の硬直感が強かったです。で、屈伸運動を意識的に日中もしました。毎日、お風呂では足の屈伸、ストレッチ、腕のストレッチ、屈伸をしています。なぜか、湯船で浸かりながら運動したときは痛みとか痺れが軽くなっているので、欠かさずしています。もう少し湯船が長かったら、全身を伸ばせるのですが、足はしっかり伸ばしています。硬直感が強くなるとその後、歩行とかがしっかりしてくるようです。理由は筋肉の感覚神経が復活して、筋肉を緩めるという状態を理解するまでの間頑張ってしまうからかな。緊張したままですと大変ですよ。毎日、ちょろちょろの分もあるから、ふらつくのでしょうか。リハビリをしていて感じたことは脳が普通の状態も忘れてしまっているということでした。前にも書いたように「運動は感覚神経と運動神経の共同作業」だと思っているので、私みたいな視床出血では感覚神経がダメージを受けての麻痺なので、回復した分がある度に脳が学習しているのでしょうね。つくづく脳の回復力は凄いなと思う日々です。ただ、本人が回復したいと何らかの活動をしている場合に限るようですが。人間の能力は使わなかったら低下してしまうようです。この出血があった後、思いもつかなかったこと、「動かないままになるのかな」ということです。出血で手で物が持てなくなったことがわかったとき(入院直前ね)、「リハビリで復活する。」とは思いました。当て外れは結構復活に時間がかかるということですかな。  4月26日(金)、ブログ村病気脳卒中のページで他の方の記事をクリックして読みに行くというのはそのページの「OUTポイント」を増やすのであまりしたくない(大笑い)のですが、毎日どなたのところにはいっています。歩行と靴の底の厚さの関係について書かれているのがありました。失礼ですが、「当たり前だよ。」です。ふらつくのは平衡感覚の問題と脳卒中による筋肉制御の問題の両方かな。平衡感覚は健康な人でも鍛えるためにはできるだけ裏の薄い履き物がよいと。地下足袋なんか最高かも。本当は土の上を裸足で歩き回るのがよいそうです。だったら、脳卒中等で一度麻痺して、再学習(リハビリ)をしているのだから、薄い方がいいですよ。普通の場合は程度の問題ですが。私のリハビリの体験では、歩けるようになる→ふらつきとかがきつくなる→以前より安定的→またふらつく→以前より安定的→またふらつく→・・・と繰り返し繰り返しです。その度により長距離に、少しずつ速くなったりしています。この頃は5000~6000歩ぐらいなら休息なしに歩けるようになりました。歩いているときに横を健常者が歩いていたら、遅れないように歩いて見たりだったのが、この頃は遅い速さの健常者なら追い抜いていったりもしています。目標は「わんちゃんと一緒に走る」ですから、今の状況はまだまだリハビリ途上です。昨日の投稿に『思ったことのないこと、「このまま動かなくなるのでは」ということ』というのは人間について、ぼちぼちまともな知識があったからかなと思います。  4月27日(土)、昨日の続きで「リハビリでの目標」、どの程度まで回復したいかということです。最初の病院でのリハビリではこの件についてはなかったですが、PTで「病院からの逃亡」とかを冗談で言っていました。OTは「コンタクトレンズを自分でしたい」が暗黙かな。リハビリ病院に転院したら、この目標というのを聞かれました。PTでは、表向き「わんちゃんとの散歩」、裏では「近所のスーパーに3.8リットルの水をもらいに行き、それを担いで、側の百貨店の1階から5階まで階段を登っており、家まで担いで帰る」とかをいっていました。OTでは「コンタクトレンズを自分で装着できる」としましたが、この意味は「左手でも右手と同様にコンタクトレンズが扱える」という意味です。感覚が戻らない限り無理かも。いまだにコンタクトレンズを左手では感じないです。コンタクトレンズを触ってわかるような感覚が戻ってきたら、なんでもできるかも。STでは、「発症前より美声に」ということにしました。家族は発症から1ヶ月半ぐらいで「元に戻っている」でしたからね。リハビリして貰えるのなら、「以前よりよりよく」を目指したいですよね。PTでの歩行でもリハビリで「発症前より格好いい歩き方」というのが家族でした。リハビリで教えてくれる歩き方は「美しく足に負担をかけることなく歩けようになる」という感じでした。「ともかく歩けたらいい」というものではないです。だから、しんどいかもしれないですね、後が楽なのに。「その時楽だったらいい」でしているとよい方の足を痛めることになるようです。片足を痛めるとその後、よい方の足を痛めてしまう例が非常に多いのは足の使い方がわかっていないからだと思います。  4月28日(日)、ブログ村から他の人の闘病記を読んでいて、思ったこと。私が勝手に思っていることなので見当違いもあるかも。症状とかは人それぞれなので違いは出てきます。私の場合は間脳視床出血でした。病院到着時意識なし(これやばかったようです。)なので、多くの割合で死、もしくは寝たきり、もしくは車イス生活だそうです。高次脳機能障害も多いらしいです。今はこれらにはすべて非該当です。左半身は完全に麻痺しました。このような状態からの私のリハビリ体験を元にしますのできつめの思いになります。ある人のお手玉を麻痺した方の手でつまみ上げて隣の机に移動する様子の写真がありました。その写真を見ると腕や手が障害を受けた証明みたいに曲がっているのです。私も曲がっていました。発症後、2週目あたりからだったかな、「伸ばす」という運動を繰り返ししました。OTのセラピストさんが「伸ばせたら掴めるよ。麻痺したら曲がっているでしょ。」の一言が切っ掛けでした。曲がっているというのは屈筋が硬直しているからです。緩めないと作業ができないですよね。写真は退院後のリハビリのようなので、「伸ばす」ということをどう思っていたのかなと思います。今でも思うことは「筋肉がリラックスしてくれない。」ということです。リラックスさせようとするのですが、曲がりたがりますね。脳からの命令で筋肉が収縮するように普通の時は「ゆるゆる」でいいではないですか。必要な時に必要な部分の筋肉が収縮できないとか収縮しっぱなしとかなので、練習あるのみですが、練習時でもできるだけ、筋肉を休めた方がいいのではと思いました。死の底から完全復活を目指している者からみると、もっと勉強されたらと思うブログでした。

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