2013年4月8日月曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活  No35

PTのリハビリ その1  PTのリハビリ その2  PTのリハビリ その3  作業療法(OT)のリハビリ その1  作業療法(OT)のリハビリ その2と・・・   言語聴覚療法(ST)のリハビリ  リハビリの効果がある理由  その1  4月1日(月)、4月になりましたが、未だ冬?という感じが残っています。特に左半身がです。リハビリ病院でのリハビリ、まずはPT、最初に10mの歩行時間測定をしました。杖をついてヨタヨタと38秒かかりました。ここでも歩行距離を徐々に伸ばすのは勿論ですが、足使いを指導して貰いました。本人にとって自分の歩く様子を見るというのは見にくいですよね。体重の載せ方などを含めて「かっこよく」歩行するということです。歩き方を忘れているのです。右足でできることが左足ではできないのです。単純な繰り返し動作の鍛錬が続くことになります。そして、姿見に向かって歩くことで自分でも確認するということの繰り返しです。それでも、徐々にかっこよくなり、歩きやすくなっていくのが実感できました。発症前よりかっこよく歩いているといわれたことも。発症前の歩き方は?。3月の終わり頃にリハビリ室のある階段の模型を使って練習を少ししました。あの足を回し出しという不自然な歩き方で固定しないように、そして、かっこよく歩こうという訓練です。これは一人では非常に難しいと思います。理学療法士の指導というが必要です。階段は1段ごとに両足を揃えるという方法を最初にしました。これですと、よい方の足にばかり体重が掛かることになります。それで、しばらくしてから、普通に昇降するという足使いの練習も始めました。右手で手すりを持って練習だったですかな。そして、右手を手すりに添える程度での昇降、何かあったときに手すりをすぐに握れるようにです。4月中旬頃に病棟内の歩行ができるようになりました。前にも書いているように許可された範囲内を用もないのにうろうろし始めました。5階西病棟内だけで1日4~5000歩歩きました。どれだけうろついたのでしょうね。  4月2日(火)、少し春らしくに。ひょっとしたら、しばらくしたら夏なんてことが起こりそうですね。昨日の続き、昨年4月の中頃でしたかな、車イスで付き添いなしで下界にエレベーターを利用していってもよいということになりました。リハビリに関しての自主トレが始まりました。体重移動や足の使い方の繰り返し練習をリハビリ室で一応一人でするのです。単調そのもの、体の方は前日練習したことを忘れているので繰り返し繰り返し。この練習で「かっこよく」の基礎ができたのかな。セラピストさん等はまずいわないこと、「このようなこともできないの?」というようなこと、全くなかったです。よく辛抱して指導してくれました。毎日、同じことを聞いたりしているのですからね。その点、学校の教師に根性なしが混じっていますね。「何回聞くのだ」とか「こんなことも解らないのか」等々です。できないから、解らないから学校に通っているのです。すでにできたり、解ったりしていたら学校なんて行きませんよね。リハビリもできなくなったからしているのです。セラピストさん等はよく解っていましたね。私の場合は、視床で感覚神経がダメージを受けたのです。筋肉や皮膚などの感覚神経からの情報がなくなって動かなくなったのですね。感覚神経が回復するまで残った部分、例えば右足の感覚を頼りに左足の状態を推測することも練習しました。動くように使えるように他の部分の感覚を頼りに動かしてみたということです。5月になると病院の実際の階段を使った階段昇降練習の回数が増えてきました。それとともに階数も徐々に増やしました。そして、1階から5階まで上って降りれるようになったのです。5月には杖歩行ができる範囲が病院全体に広がり、エレベーターも杖でも一人利用になりました。階段は5月の最終日当たりで付き添いなしで昇降許可になりました。これで始まったのがエレベーターを使わないでの病院内うろちょろです。続きは明日にします。  4月3日(水)、からだを動かさないことには神経の再生が起こらない。感覚神経の再生も感覚がわからなくても使ってみるしかない。6月になると、朝6時には散歩に階段を下り、病院の敷地内をうろちょろして階段を登ってくるという2000歩ぐらいのコースだったと思います。そして、朝食後の散歩、朝と同じぐらいです。リハビリにいくときには5000歩は越えていることが普通でした。5階の病室から1階に行くときも1階から5階に行くときも階段です。階段利用中は余裕がなかったですね。挨拶されると、おっとっとです。気を入れ直して続きになりました。リハビリ中そのものでした。リハビリでは、小走りやボール投げなどをしました。発症前まではかっこよく(年の割には)走っていましたので、もう一度同じように走れるようになりたいと。飼い犬と一緒にドッグランしたい。退院後は、最寄り駅まで歩いて往復とか、そこの百貨店の1階から5階までを階段で往復とか、10000歩ぐらいは歩いています。入院中は10000歩以上楽々達成していましたので、退院後もということです。ただ、セラピストさんに見てもらっていないので、歩き方が悪くならないかという心配があります。下手すると足を痛めてしまいますので注意しています。入浴したときに左足の屈伸を必ずおこなっています。左腕も右手を使って「伸ばす」ということをしています。最初の入院のリハビリの時から車イスは足を使って漕いでいました。割と早い時期から両足使いで漕いでいました。ただ、当初は左足を使わない方が楽でした。左足は足手まといでしたが、使っているうちに使えるようになってきました。転院後、踵からつけるという風に足使いを変えたところ、加速できるようになりました。ブレーキは両足床圧着制動を採用しました。その結果、左足の能力範囲内の速度までということになりましたが、暴走族という異名をいただきました。それでも、整形外科系の若者よりは遅いです。ただ、脳血管系疾患の患者さんは若くても優雅でした。遅い。私は「若い?」ので速いのです。この違いで「暴走族」になってしまったようです。事故防止の観点から病棟では足ブレーキで急停止できる速さに押さえていました。この車イス操作も足のリハビリになっていたと確信しています。次回はOT(作業療法)のお話にします。  4月4日(木)、OT、作業療法でのリハビリについて書きます。入院初期に自分でできるのは右腕で左腕を伸ばしたり、曲げたり、上に挙げたりなどです。筋肉が固着しないようにと思ってしました。父親のリハビリの様子や自身の手術後の筋肉痛などの経験から、使わなダメになると意識があったからです。前にも書いたように関節についての意識はなかったと同様だったですが、筋肉の屈伸で関節も動かしていたことになりました。最初の頃は、机の雑巾掛けや斜面で錘を持ち上げたり下ろしたりの繰り返し、円錐状の用具を掴んで積み直すとかです。このときに、麻痺したら手が曲がってしまっているから、まっすぐに伸ばせたら、?みたいもののところで曲げたら掴めるといわれて、そうだなと思いました。病室に戻ると、左腕と手のひらとかを伸ばす動作を繰り返しました。この動作でまず感じたことは、全身の筋肉が収縮するということです。麻痺したことで脳のコントロールがおかしくなっていたのです。毎日続けました。お陰で全身運動になり、夜ぐっすりと睡眠できるようになったというおまけが、運動するということの大切さを身にしみました。主治医もびっくりするくらいの早さで指の曲げ伸ばしもできるようになりました。できるだけ、左手でものを掴んでみたり、触ってみたりもしました。腕を頭の上に挙げて伸ばしたり曲げたりもしました。可動範囲が少しずつ大きくなっていったのがわかりました。この動作では腕の筋肉は痛いですが、その痛みが出る範囲が外側へと移っていきました。まだ、車イスの足駆動がおぼつかないときにPTのセラピストさんが車イスを押しながら「左腕を上に挙げてみてください。」といわれたので挙げたら、もう少しで顔面にパンチを入れてしまうほどでした。まだ挙げれないだろうと顔を少し前に出されていたためです。足の方もこっそりトレーニングしていたように腕でもということです。コンタクトレンズを装着しないことには、世間がよく見えないのです。矯正すれば見える、でも、して貰うまでよく見えない。退院後とか自分でするほかないので手のリハビリは足以上に必要に迫られた課題でした。片手装着という方法もあるのですが、常に両手で装着で暮らしてきた者にとって死活問題でした(笑)。ハードのコンタクトレンズでのみ矯正できるので頑張るしかなかったのです。  4月5日(金)、作業療法の続きです。転院した翌日から始まりました。目標として、コンタクトレンズが左手でも扱えるという意味で装着できるようになることでした。目標達成が困難だったです。最低限、装着できるは達成されることにはなりました。手を、腕を、使ってみるというリハビリであるというのは同じでした。感覚の戻り具合を確かめるというのもありました。日日がこちらの方が経過していますし、リハビリをしていたら感覚神経の再生も起こっているはずですからです。徐々に戻ってきている感じがしました。細かい作業も徐々にできる部分が増えてきました。目標が目標ですから、どうしても、チマチマ作業をしてみるということになりやすいです。もう一つの問題が利き手ではない方が障害を受けたということで多くの作業でたいして支障がないことが多いというのもあったのですが、動かしてみるということ、感覚を試してみるということを沢山してみるとことをしました。4月になるとセラピストさんの新人が入ってきます。こちらでは、新人に見学させてよいですかと聞かれたのでよいですと答えました。ところが、よいことに同じ方に固定されているみたいになりました。3月から担当して貰っている外れ、別の部分で当たりの担当者が代休の時、この当たりの新人のSさんを代理にしますがいいですかと聞かれたので、ずーと代わって貰ってもいいですよと答えました。これでかどうかわかりませんが、4月下旬に5月からSさんと代わりますがいいですかといわれたので、即承諾しました。当たりの当たりになりました。前任のFさんの英断に感謝しています。PTの方は3月に土曜リハで当たりの当たりのFさんにして貰ったとき、「月曜からもよろしく」といったのですがダメでした。これ以降、担当のUさんには土曜はFさんを、とか、OTでは代わってくれたから、交代をとか言い続けましたが退院まで代わらずでした。今年の2月に久しぶりにいったとき、このUさんが「Sさんに会いに来るついでに来て下さい」と。ここまで、しょうもない話ができるということもリハビリでは必要だと思います。ですから「リハビリは楽しい」をさらに楽しくしてくれたUさん、Fさん、Fさん、Sさん、Yさんには感謝しています。  4月6日(土)、当たりの当たりのYさんによるリハビリ、言語聴覚療法のお話。初日、目標設定の時から、笑いの絶えないリハビリとなりました。もともと発声発音がよくなかったのでよい機会を与えてくれたという感じです。でも、やはり出血による後遺症はあったようです。本人は気にしていなかったので、「発症前より美声に」が私が言った目標です。実際発症前よりよくなったみたい。このときの発音発声がどの程度なのか知りたいというので3月末に家族と知人に会って貰いました。そこで2人とも「もう戻っている」とか「以前と変わらない」とかいいました。この最初のリハビリで深呼吸をしましょうといわれて、どうするだっけと考えてしまったのです。深呼吸できないと呼気不足でリハビリにならないですからね。脳出血や脳梗塞などでは単に動かないというのではなく動作そのものを忘れているということもあるのだと気がついたわけです。初めのうちは毎回、深呼吸、できるだけ長時間の呼気、それも少しずつ連続してはき出すというものです。鼻漏れを減らす練習、唇や舌の動きの練習、発音の乱れやすい語順の言葉の音読練習です。これの自主練習を病室でしているとき、耳の中で「アバダカダブラ」(読みに間違いがあるかも)とか聞こえているといったら、・・・といわれました。5月からは時間を半分にされました。他のメンバーの圧力のようです。退院の近くまで引き延ばして貰ったリハビリでした。いつも笑いのあるリハビリでした。  4月7日(日)、リハビリに積極的に取り組んだわけは、人間の脳の可塑性というかある意味再生力を信じていること。過去に学んだり調べたりしたことをつなぎ合わせると人間の脳は失われた部分は戻りませんが、残った部分での代償機能を活性化させるにはいろいろからだを使うしかないのです。進化でも「脳が発達したから」というのではなく「両手が自由に使えるようになって作業をしたから脳が発達した」という方のようです。脳で再生を起こさせるにはからだを使うしかないのです。そして、脳にからだを動かしたい、使いたいと刺激を与え続けるしかないのです。そして、使わないと退化するのが人間の体です。実際、筋肉は使わないと固着しますし、関節は錆びついてしまいます。筋肉は細くなります。骨もボロボロになっていきます。そうなると、動くようにするにはものすごく時間が掛かるのです。脳の再生はプラナリアの再生のようにはいきません。軸索や樹状突起を伸ばして、なくなった部分の代償ができるところを探しながら起こっているようです。ですから、時間が掛かります。確実というわけにはいきません。でも、何かが起こっているはずです。それを期待してということです。できるだけ早い時期から取り組むのがよいということです。ところが、リハビリ病院や最初の病院で感じたのは「後ろ向きな気持ち」でリハビリを受けていると感じる患者さんが結構いたのです。私は左半身完全に動かなかったのですよ。ベッドのリモコンを動く右手で使って上半身側を起こしていっただけで、背もたれとしてベッドがあるのに、ベッドから頭を下にしてぶら下がるように転落したのです。感覚器官も左は麻痺していたのです。これで、この視床出血で2回死にそこなったので、復活しないわけにはいかなかったというのもあったりして。それで、復活してきて、「あなたは軽かったのでしょう」といわれるほどになりました。入院当初に食事の栄養バランスをみて、?と思ったのは脂質についてでした。食材をみて思ったこと、「必須脂肪酸」は大丈夫なの?という疑問でした。普通に肉があったら必須アミノ酸は不足することはないですからね。この疑問の根拠は次回にします。          今週は痺れや筋肉の硬直感、収縮させたときの痛みが強くなっています。お風呂で筋肉を伸ばしたり、屈伸させたりして固まらないようにしています。原因は脳の再生と思っていますので、再生が大体終了したときに筋肉と関節が使えるようにしておく必要があると思っているからです。

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