2014年3月2日日曜日

怖い証拠隠滅の歴史

 どのようなことかというと皇紀2605年8月15日敗戦までの近現代におけるごまかしの歴史観のために隠されたことが多々あると思っています。あるいは故意に忘れ去ろうとしている事柄も多々あると思っています。  ノモンハン事件は皇紀2599年ですね。結局真相は敗戦後ですかな。箝口令を敷き、うやむやで兵器の教訓もうやむやみたい。まだ、戦後真相がある程度出てくるのはましだったかも。  中国での帝国陸軍の行為の中で、毒ガスの廃棄記録ね。残っていないということです。これ、証拠隠滅というよりなにも記録していなかったという方かも。残すべき記録を取っていないことは証拠隠滅と同等かな。敗戦のどさくさ時に多くの記録が焼却処理されたようですね。  あの当時、被害を受けた側が記録できるわけもないし、加害側に記録する意思がないとなにも残らないですね。「証拠を出せ」というのは死人に証言せよというのとよく似ていますね。  ドイツはほじくり出しているようですが、日本は覆い隠しているとしか思えないのです。この体質は未だに続いていますよ。ただ、最近の官僚はあの当時より記録を残してくれていたのですが、今の政権の体質に合致させようとするなら、「証拠隠滅」の機密であり、闇の中での廃棄という国民にとって国にとって最悪の行動に出るような気がします。  なにせ、天皇制を潰しかけて、昭和天皇に迷惑を掛けた連中を拝みに行くようなのが首相ですからね。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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