2016年5月29日日曜日

「雑談 昭和への道」から思うこと

 伊勢志摩サミットが28日27日とありましたね。27日にはオバマ大統領の広島訪問ね。  ところで、先の大戦は日本に勝ち目があったのでしょうか。開戦の2年前にあったソ連との紛争、ノモンハン事件のことやもろもろを考えると司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」で語られたことが真実ではと思うのです。  日清戦争については誤魔化しはなかったようなのです。日露戦争について、?と思うことがあって調べてみたら、誤魔化しが、誇大報告等が鏤められていたと思いました。そこに「雑談 昭和への道」をNHK教育放送で見た訳ですよ。  新聞社の出版物にもこの「雑談 昭和への道」があったので購入しましたよ。日本帝国陸軍の兵器は歩兵では元亀天正の織田信長軍の装備に毛の生えた程度で第二次世界大戦に突入したというのです。ノモンハン事件で、ソ連の機甲師団にコテンパンにやられているのに戦車等を近代化することなく1941年にアメリカと戦争状態にね。この開戦通告についてもいろいろありましたね。  ノモンハン事件での日本軍の死傷率は70%以上だったとね。これは、後の玉砕の走りですよ。で、各地で玉砕が続くことにね。玉砕をよしとする大本営は「我々の辞書には降伏はない」ようでした。この集大成が「一億玉砕」ね。日本がどうなっても知らないという無責任さね。国民に対してもこの程度ですから、戦地では何をしてきたか、だから、敗戦と同時に大量の証拠文書を焼却処分したのです。なんで、国内の在郷軍人会までが文書を焼却したのか。焼却したと最近の新聞で読みましたよ。  このような大本営ですから、沖縄は見捨てられたと思うのです。見捨てるだけならまだしも軍の逃避行の途中での県民への残虐行為が漏れ聞こえていますよ。東京大空襲や沖縄戦があっても降伏を決断できなかった東条内閣や次の内閣。「我々の辞書には降伏はない」の状態を打ち破るには天皇陛下の大日本帝国憲法違反の御政断が必要だったのでした。大日本帝国憲法でも政治についての天皇の関与は現憲法と同じ程度と司馬遼太郎氏は述べられていました。だから、美濃部博士の「天皇機関説」ね。  憲法違反まで天皇陛下を追い込んだのは大本営や当時の内閣ね。  当時の軍部等に現実を直視する力があれば、原爆投下までいっていないと思います。いや、開戦もなかったのではとね。そうであれば、沖縄に米軍基地はできていないはずですよ。  もし、天皇陛下の御政断が遅れていたら、北海道は今頃・・ね。  外国からいわれるのではなく、自律的に「歴史を鏡とする」ことね。都合の悪い過去に目を閉じると未来が見えなくなりますよ。 この書き込みのメールマガジンの申し込みはまぐまぐのページでお願いします。

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