2009年2月18日水曜日

大学入試や企業の採用試験での資格重視の風潮の原因についての一考察

 2月9日ですか、文部科学省が財団法人日本漢字能力検定協会に対して立ち入り調査を実施しましたね。公益法人にあるまじき「金儲け」をしているとしてです。15日の日本テレビの「番記者」でも取り上げられていました。でも、ここまで各種の資格検定が盛んになってきた要因は多数あると考えますが、そのなかの一要因について考察してみたいですね。
 教育における「評価」の問題であると思います。「評価」の基準が曖昧であったり、現実に即していないことから起こっている部分が大きいと考えてます。
 小中高校と大学における進級および卒業認定ですね。大学に例をとると、どうして、高校の教育課程の補習を大学が、それも非常に多くの大学で実施する必要があるのでしょうか。日本でも以前はほとんどしていなかったことです。そして、大学の卒業認定や単位認定のレベルについて、信用していないから3年次の終わり当たりで採用内定を出す企業。その割には「卒業」に拘ってますね。あ、違った、「入学歴」だったかな。入試の難易度レベルで学力を判定していたのかな。そして、せめて「卒業」ぐらいしてほしいと。
 それでも、不安になってきて、人情のはいらない「外部団体による資格」というのに頼りだして、それを大学や企業が重視しているとなったので高校生や大学生が大挙して受験を始めたのでしょうね。まあ、「漢字検定・級」とか合格していたら、漢字をどの程度使えるか推定できますからね。英語の日本英語検定協会による検定、TOEIC、TOEFLなどの検定もそうですね。「・・卒」より信頼性が出てきているのかもしれないですね。
 「相対評価」による弊害でしょうか。どの時代にも、評価を気にせずに学習を行い、優秀な成果を上げる生徒・学生もいますが、多くは「皆でサボれば怖くない」に染まりやすい環境で育ち、勉強をしています。「相対評価」ですとこの「皆でサボれば怖くない」意識に陥りやすいようです。評価の多くの部分で「絶対評価」を採用し、学習者の学力の伸びがどのようなもであるのかがもっと具体的に判るようにし、ゆっくりと伸びている生徒らに対する補習授業等を充実させ、「学習は自分の成長に必要」という実感と努力による成果を感じさせるようなシステムにする必要があるのでは。
 漢字検定などにはこのような実感を検定受検者が感じていることも人気の一因かもしれないですね。

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