2010年3月11日木曜日

見える虐待、見えない虐待

 3月9日と重なりますが、「虐待」について考えるところを書きます。
 殴る、蹴る,食事を与えない、露骨に無視するなどは虐待であるということがわかりやすいですね。ここに書いたことはすべて躾とは相容れないです。さらに夫婦関係でも殴る蹴るがよく起こっているのが日本だと考えます。子に対する虐待だけではなく、DVにおいても警察の介入を必要としている場合がほとんどでしょうね。夫婦の問題というより加害者、被害者の関係ですね。「付きまとい」とか「メール等による威圧」などは見える方ですね。夫婦間などでは、殴る蹴るとかいうことがなしでも起こっていることがあります。このような場合、警察は介入できないでしょうね。
 それとよく似た状況が子どもでもというか、子どもの方が頻繁に起こりうるのです。露骨ではない無視、行動等に制限を与えるとかは虐待とは見えなくなってくることがありますが、状況をよく調べれば、虐待と判るはずです。成績が親の希望水準に達しないことで行動制限とかは「虐待」にあたると考えられます。このあたりになってくると多くの人は親子関係の一断面としか見ていないでしょうね。
 「親の思い通りにする」ということも虐待の一種だと考えられるのです。そこには、子どもの基本的人権はないからですね。このように考えると、子どもにとって、「安全な家族」というのはそう多くはないと思います。日本でいう「良好な親子関係」の基準におかしい部分が多くあるということです。それが、教育などにひずみをもたらして来ているのです。子どもは「順位」(一部分ということ)だけで見られたくないの「順位」があたかも最大の基準であるように親に評価されるなどすることなどがこれに当たると考えられます。まずは「何はなくても愛される」ということが子どもに必要なのに、いつの間にか「順位」のみに関心が移ってしまっているのが日本ですかな。それを不自然と感じない大多数の大人がほとんどという悲しさですね。
 多くの動物では、親と子はどこかで親子分離をしますが、日本では不自然な「親子不分離」を起こすのが多いのはこの「見えない虐待」の結果でしょうね。
 虐待をもっと広く捉えましょう。そして、虐待の被害者を救う仕組みを。

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