2023年4月8日土曜日

闘病記(視床出血)  左半身完全麻痺からの復活(完全復活を目指して)  No554

麻痺側の体温が低下しやすい理由。   「ぶん回し歩行」の修正での問題と思うこと。    「手続き記憶」と「エピソード記憶」。   ところで1945年3月10日の東京大空襲の差別爆撃で10万人ですがなくなられましたね。   ブログ村脳卒中カテゴリーのあるブログに「緊急事態と下着」みたいなのがなので・・。   人間は経験した範囲で考えている。だから、行動もその範囲かもね。   日本人は自己解剖を非常に怖がる人が多い。  3月27日(月)、麻痺側の体温が低下しやすい理由。血液循環は心臓のポンプ作用だけではないのです。全身にある骨格筋の「筋ポンプ作用」も活用しているのです。普通でも脹ら脛は第二の心臓とまでいわれていますね。筋肉が弛緩して緩むことで血管が広がって血液が流れ込み、筋肉が収縮することで血管が細くされてそこから血液が移動することによりますが、静脈では逆流防止弁が付いているので心臓の方に向かって移動していくことにね。動脈は筋肉を持っているので降圧薬の効果が期待できるのです。筋肉が弛緩して・・というのは普通に筋肉が有効な筋収縮の時のことですね。そう、筋ポンプ作用は普通に筋肉が弛緩して引き延ばされそして筋収縮することで起こるのですよ。筋緊張亢進や痙縮ではこの作用がないということですね。で、血液が心臓に戻るということはその部位に動脈で血液が送り込まれやすくね。動脈血は暖かいです。動脈血が来ないからその部位が冷えるのですよ。そう、痙縮防止のストレッチが楽にできると筋ポンプ作用が期待できることにね。ということは関節も楽に動かせるでしょうからリハビリでの回復も期待できるということですよ。発症直後から「他動による関節可動域確保動作」の大切さを理解して楽な力で関節が動かせるようにしておくというのがいろいろなことで有利なのです。  3月28日(火)、「ぶん回し歩行」の修正での問題と思うこと。一つが関節を適切に動かすことができるかですね。正座ができても歩行のように上体を支えながら連続運動中に適切に関節可動ができるのかということね。二つ目が「手続き記憶」の問題ね。癖の動作修正が非常に困難であることからね。「悪筆」は治らないに近いかな。「お箸の持ち方」でもね。脳の中では「ぶん回し正常」とたたき込まれて無意識に動作しているのです。膝関節を曲げるときにその都度考えて命令を出していたら疲れますよ。私は「車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行」で手続き記憶にできたようなのです。さらにその後の歩行リハビリで歩行時にタイミング良く曲げる手続き記憶が形成できたようなのです。ぶん回しが長い期間続いているのでしたら、しっかり手続き記憶になっていると思うので修正は困難に極めるかもね。発症後救急病院でPTで支えてもらっての歩行でもできたら、そのうちに歩けるようになるかということで、歩けるようになりました。救急病院ではPTの時間のみでぶん回しでした。ただ、車いすへの着座方法で伸筋引き延ばしね。リハビリ病院で車いす着座での両足活用ちょこちょこ歩行開始で許可されるまでは単独歩行なし、闇もなしでしたが健常者風ができました。初期症状から見て「奇跡的」ね。ぶん回しでのリハビリはしない方が身のためですよ。  3月29日(水)、「手続き記憶」と「エピソード記憶」。「エピソード記憶」は陳述記憶の一種とか。物語的記憶かな。「手続き記憶」は非陳述記憶の一つで、例えば、自転車に乗れるや楽器が演奏できるなど、歩行も入りますね。一々動作手順を考えなくても目的の動作ができることです。同一の動作の繰り返しにより獲得され、いったん形成されると自動的に行われ忘れないということです。無意識に動作ができるということに特徴があるのです。棒足ぶん回しで歩行リハビリを繰り返しているとこの手続き記憶が形成されてしまうことにね。そうすると、「歩く→棒足ぶん回し」と自動的に脳のスイッチがはいるのです。この状態で健常者風を目指すとすべての手順で脳が考えてから足に命令を出すことになるので非常に疲れやすくなるのです。手足の動作はすべて当初は脳から考えての命令ですが、ある段階から脳に形成された手続き記憶による命令になっていくということです。こうなると、修正は非常に困難になりますよ。ですから、足の関節を楽に動かせるようにしてから健常者風歩行のリハビリをしてもらう方が最終的には早く回復できると考えています。脳卒中で損傷した部位に関わる過去の手続き記憶が消し去られてしまっているのですよ。脳卒中後の普通の動作はリハビリで新規に手続き記憶を形成することになるので脳の回復具合と関節の稼働状況を考えて変な手続き記憶を形成しないように注意しようね。  3月30日(木)、ところで1945年3月10日の東京大空襲の差別爆撃で10万人ですがなくなられましたね。当時の軍部の施策で増えたというのです。差別爆撃ですが、関東も関西も高級住宅は爆撃されていません。アメリカ軍駐留時の高級将官の宿舎用にね。ウサギ小屋は兵隊の宿舎にもならないのかな。油脂焼夷弾ですね、これを逃げずに手押しポンプとバケツリレーで消火しろとね。消せるわけないのにね。ウクライナとロシアでのロシアの空襲に地下鉄に解放していますね。ところが、当時は軍部が兵員輸送に・・で解放していないのです。ロンドンは待避壕に解放ね。沖縄戦での住民の集団自決ですが、ジュネーブ条約では人民は自国軍のことについて話さなくて良いとね。当時の日本人は話さないでしょうね。それを居場所が・・で集団自決させたとか。国民がいての軍なのにね。今のミャンマーの軍部みたいなことを沖縄の住民に対してしたのですよ。これらは決して忘れてはならないことです。こんなのは他にもたくさんありますよ。これらを語り継がれることが自由民主党には許せないのかもね。  3月31日(金)、ブログ村脳卒中カテゴリーのあるブログに「緊急事態と下着」みたいなのがなので・・。12年前の視床出血時、上は普通のスーパーとかでも売っている半袖シャツでした。そう、年中同じタイプの半袖ね。今もです。ポロシャツ、セーター、ジャンパーだったかな。下がワコールの男性用クロスウォーカーでした。これ、普通のよりお高い場合が多いですね。当時で税別3000円でした。これ、元々は女性用に開発ね。ヒップアップ効果を狙ってでしたがウエスト引き締め効果があるというので男性用もね。男女でクロス構造に違いあり。レギンスははいていなかったです。このクロスとズボンだけというのが下ね。大学生ぐらいまでは今でいうレギンスも愛用していたのですがその後、これはなしにね。出血以前にやばいときもあったのですが、何事もなく過ごしていました。何か「上質」みたいな時に出血ね。私って「安物」の方が体によいのかな。たまたまなのかな。意識不明、救急車、救急病院搬入ですね。気がついたら着替えもっと、しっかりと「考える」ことのくんれんをしようね。させられていました。妻はこの点では「ホッとした。」かも。なので、今の方がやばいときが多いから気をつけているのですが、このお漏らし(出血)はコントロールできないところが怖いですね。靴下は「穴が開いたら捨てる」が判断基準です。そうすると、妻とは基準がずれているのがありますので・・。  4月1日(土)、人間は経験した範囲で考えている。だから、行動もその範囲かもね。ところで、人間は「思考(「考える」とも)」のできる動物のはずですが。この「考える」も訓練なのですね。「愛」もその人の「愛された経験」が基礎になるのですね。で、これを超えるにはというと、「考える」という訓練ですね。この考えるときにいろいろな選択肢やつながりを見つけることができるようにすると未知に領域についての思考ができることにかな。「思いつき」でない「根拠のある思考」ですね。子供の時に愛されていないと子供に悪態をつくことになりやすいのかな。嫁いびりもいびられた経験や子離れできていない場合にかな。手足のリハビリでは生物学的基礎なしに考えるから「筋トレ」タイプにかな。これは脳卒中後でなくても良くないですね。脳卒中後は脳が破損して働いていないのに「動く→筋トレできる」で悲惨な痙縮にね。学校のブラック校則も教師がブラック校則で学生生活を送ってきたため中毒になってしまっているからかな。  4月2日(日)、日本人は自己解剖を非常に怖がる人が多い。私もですけどね。過去の行いと思いですね。ですから、失敗も極端に怖がっていたりね。これが経験の範囲を狭めているかもね。少し注意していれば防ぐことのできる失敗もありますが、成長期に適度に失敗、挫折を経験しておく方が良いようですね。このためには日常等を適切に振り返ってみるというのもね。別に日記を付けるとかなしでもと思うのです。日本人は結構日記を付けている方だったようですが・・。あの太平洋戦争の時、軍部上層部は「生きて虜囚の辱めを受けるな」と捕虜になった時のことの教育をしていなかったようです。こまめに日記ね。捕虜のなった時にアメリカ軍にとって日記が非常に役だったようです。で、ところが公文書は敗戦日には焼却処分の煙は途絶えることがなっかたとも。この後の責任追及から逃れるためでしょうが、その後の太平洋戦争の検証に問題が生じたり、この戦争の戦史をを第三者機関に委託しなかったため、日露戦争の戦史と同様の末路かな。ですから、森友のようなことが起こるのですよ。このときの財務省理財局の検証はうやむやにされてしまいそうですね。官僚も行政で同じタイプの失敗を繰り返すのですよ。

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