2007年5月21日月曜日

教育改革について、今の論議で大丈夫?

学力低下論議から教育について、教育再生会議や政党などから提言や提案などが出ていますね。
そして、5月18日に教育改革3法案が衆議院を通過しましたね。
で、「教育」とは何なのか。この点が日本ではおかしな方向にずれてしまっているのでは。
「人間は学習をして初めて人間になれる」ということをお忘れのようですね。そこには、他人との競争はないのですね。
他人との競争は、別の次元です。まずは、人間になることが先のはずです。
人間は、相当成長するまでは「比較」されるということが本質的な学習意欲を削ぐのでは。まあ、比較されて優位に立てる子はまだいいですけどね。でも、勉強の意味がおかしくなりやすいので意欲の低下とかが起こりやすいですね。
比較され、ケチをつけられた方は「劣等感」で潰れていくようです。そして、人間として生きていくための最低限の学習も放棄するようになっていくようですね。
教師にもいろいろおりまして、「定期考査などで正確な順位」をつけないと「学力が判らない」とかね。で、定期考査の目的は何だったのかな。目的外利用ですね。そして、学習意欲を削いでいる場合が多いというのに気がついていないとか。
受験科目のみ勉強すればよいとか、入試にでる項目だけ覚えればとか、いう教師もいますね。
旧帝国大学などの有力大学の入試問題は覚えただけではできないところがありますね。「読解力、理解力、思考力、判断力、表現力」が必要ですが、「でる順」 の項目を覚えただけではできません。練習には「考えて表現してみる」ということが必要ですね。考えることから逃げる生徒が結構いるようですね。教師および 親の問題でしょうね。
司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」によると「記憶」を主体にした評価が日本を潰したのです。この傾向は今も変化がないようですね。
教育改革は、この価値観の変革から行う必要があるのでは。「人間になるための学習」ということと「記憶重視から読解力、理解力、思考力、判断力、表現力重視」への改革ですね。

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