2011年4月3日日曜日

帝国陸軍などの亡霊を見ている感じが

 3月29日にNiftyで見つけた東洋経済の『国政の場で指摘されていた 福島第一原発への「不安」』という記事や4月2日のNHKで放送された「東電 供給計画に“原発増設”」という記事から考えられるのは、一度決めたことは善し悪しがどうであろうとそのまま貫き通そうとする帝国陸軍などの体質そのままという感じを持ってしまいました。そして、これが悪い方になってしまってもということです。
 帝国陸軍は某将校の行動を庇いつつも、陸軍全体が「戦争、戦争」という方向に進み出してしまった後、引き留める者の発言を封じ込めるようなことをしています。司馬遼太郎氏の「雑談 昭和への道」でありましたが、ソ連の軍備をありのまま報告しただけで「恐ソ病」とレッテルを貼られたとか。このような事例から考えられるのは「批判者封じ」ですね。それが、現代にも引き継がれている感じなのです。
 東洋経済の記事の方では原子核工学を専攻した吉井議員が地震と津波の影響で電源と冷却機能が失われる可能性を再三質問しているのです。例えば『10年5月26日の経済産業委員会では、福島第一についてではないものの、「巨大地震に直面したとき、自家発(電)の電源も切断されて原発停止となった場合には、最悪どういう事態が起こるとお考えか」と質問。これに対し経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「停止した後、崩壊熱(原子炉停止後も放射性物質の崩壊で生じる熱)を冷却していくことが大切」、「非常用の電源装置を複数用意すること、あるいはそれ以外の要素で、冷却機能が継続的に動くことが大切」と答えている。』とあるのです。記事にあるように答えるだけで行動に移していなかったので今回の事態に至ったということですね。スマトラ沖の例などもあっても何もしてこなかったのですね、保安院と東京電力は。
 今回の事故でも、対応が後手後手という印象が強いですね。海外の専門家などの話も「後手になっている」というのがありました。
 4月2日の供給計画がそのまま事故による減少や増設計画の変更などを含めていないみたいですね。このような事故があったのなら、遅れは致し方ないか、少なくとも福島第一発電所関係は「ゼロ」にして提出するのが普通だと思うのですが、ここにも「決定済み」は「予定通り」にしかできない体質がという感じです。これも、帝国陸軍の体質と通じるものが。前回の「政治主導」でも書いた民主党にも野党にも見られる傾向ですね。ですから、不必要というどころか経済の足を引っ張ったり、国民生活に弊害のあるような「法」や「規制」がなくならないのですね。一度、決めたものは未来永劫実行するという迷惑千万な体質が色濃く残っている日本だと思いました。
 この中でも、庶民の働きで「経済大国」になったのですよ。国の借金を減らし、老若男女が安心して暮らせる政治を求めています。「ばらまき」は御免被ります。

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